名前で呼ぶように言われてから十日後。









「あ、あの・・っ、恭弥さん・・」
「何?こういうの嫌いじゃないんだろう?」
 部屋に入るなり押し倒された俺は見かけよりは随分力のある
彼の腕に抵抗してじたばたした。艶のある黒い皮がやたらと軋むだけだった
けれど。

「き、嫌いじゃないです・・けど」
 ――毎日応接室に入り浸っていたら・・不謹慎じゃないかと、思うんだ。
「それで――何?」
 不機嫌にネクタイを緩めて彼が瞳を細める。
「で、でも・・その・・毎日、なんて」
「腰が立たない?」
「・・!」

 図星を差されて、俺は顔が沸騰してしまいそうになった。絶対に蛸みたいに
赤くなってる。雲雀さんはくすりと笑うと、俺の額にそっと口付けた。出会った頃には
考えられないような優しさだった。
「・・綱吉が、あんまりいいから、ね」

 歯止めが利かないんだ、と耳元で言われてぞくりとする。どうしよう、もう体の
あちこちがおかしい。ぎゅっ、と瞳を閉じると闇の向こうで雲雀さんが息を落とした。
「まぁ・・君がしたくないっていうなら、やめてあげてもいいけど」
 密着した体が離れて、彼の手が触れた素肌が焼けるように熱くなった。
こんなにも感じてしまっているのに――
「やっ・・待ってください!」
――止めるなんて心臓が持たない。

 俺が彼の腕を握る。彼はそれを引き剥がして、口元に近づけた。
ひとさし指に噛み付く。
食い込む歯が痛い、なのに――離れたところが、焦げてしまいそうなんだ
「あっ・・恭弥さ・・っ」
「ここも感じるんだ?」
 指と指の間を彼はぺろぺろと舐める。爪を噛んで、指腹に吸い付いて。五本の形を
確かめるように。
彼は俺の下肢の間に手を入れて微笑んだ。

「・・もう、出そう?」
「あっ、やっ・・ああ――もう駄目です・・っ」

 指だけでいけちゃうなんて淫乱だね、と彼はズボンを引き抜いて俺を
あらわにした。既にぬめっている先端を丁寧に愛撫する――さっき俺の
指にそうしたように。
 彼の名前を必死に呼んで俺は果てた。こんなに早くいってしまったのは
彼に抱かれるようになって初めてだった。触れられただけで身体が反応して
しまうなんて――
「綱吉は悪い子だね」

 出したものを全部飲んで、彼は言った。「次は、君の番だよ」
俺は差し出された欲望の固まりにそっと舌を寄せる。歯を立てないように。
ゆっくり、ゆっくり――長い飴玉を舐めるように、舌を当ててなぞる。
形を変えるまで。

「・・だいぶ、上手になったじゃない」
 彼に褒められて、俺は嬉しいのか苦しいのか分からなくなった。初めて舐めろと
言われたときは死んだほうがましだと思ったが、口に突っ込まれた瞬間俺がいって
しまった。それから――この熱くて固い彼が欲しくて仕方なくて、
どんなにはしたなくても喉の奥までほうばってしまう。彼が喜んでくれるから。
 彼が優しく俺の髪を撫でている――そう、綱吉もっと抉るようにね。
君の中に入れるんだから、大事にしないと駄目だよ。


 自分の唾液でどろどろになった彼を受け入れた瞬間、はじけた俺の下腹部は
確かに、堪えようも無い快感と至福を、吐き出した。


 夕焼けを見ながら服を身につけると、雲雀さんは窓の方を向いていた。
ドアをノックしたのはお昼の休み時間だった。それから角度や場所を変えて
交わったけれど、恥ずかしさも苦しさも痛みも全部越えて身体に残るのは
泣きたくなるような気だるさだけだった。




「もう来なくていいよ」
 背中を向けて彼は言った。俺は二の句が告げなかった。今、彼は何と言った?
聞こえなかった、と彼は振り向く。俺は首を振った。信じたくなかっただけだ。

「あ、あの・・恭弥さん」
「もう一度言うと殺すよ」
「は、はい・・」
 彼に睨まれて俺は頭を下ろした。どこから尋ねていいのかも、理由を聞いて
いいのかも分からない。ただ一つだけ言えること、それはその日が来てしまったということだ。
彼が俺に飽きる――日が。

 俺は靴を履くとソファーから降りた。痛む身体を引きずってドアに向かう。
もう二度と叩くことは無い応接室の扉。彼と俺の秘密を開く鍵。
こうなることは、頭のどこかで想像していた。
もともと脅されて結んだ関係だ。それでもよかった。彼のそばにいられるなら。
どんなに恥ずかしくて痛い思いをすることになったって・・
彼が俺を見つめてくれるなら、それでよかったんだ。


「・・雲雀さん」と俺は言った。ドアノブに手をかける直前だった。

「・・俺、雲雀さんのことが――好きでした」

 抱かれてからじゃない。初めてここで出会ってから、ずっと。
気絶させられても、友達が傷つけられても俺は・・貴方のことを忘れることが出来なくて。
それから、取引の形で貴方を知って、傷ついて泣きたくてそれでも
この部屋に通うのを――止められず。
心も身体も束縛されて、それが泣きたいくらいに幸せで・・
自分でもおかしくなるくらい、貴方のことが好きでした。


 涙で視界が霞む。球体の金属に手をかけようとした瞬間、俺の目の前でそれが
吹っ飛んだ。銅の破片がぱらぱらと宙に舞う、帰らなくていいよ、と声がした。
いつのまにか隣にいた彼はトンファーを下ろすと、ドアノブのないドアに俺を押し付けた。
もうこの扉は開かない。

「・・ひ、雲雀さん・・!」
 強く肩を押されて声を出すと、彼の舌がそれを阻んだ。
「――んっ・・・ふ、・・あ」
 ようやく開放されて息を吐き出す。彼の目を見た途端腰が抜け、俺はその場にしゃがみこんだ。
見上げる彼は、息も止まるくらい鮮やかに笑っていた。
 いいかい綱吉、よく覚えておくんだよ。
 俺はそのときの彼の言葉を一生、忘れない。そう誓っている。


「僕を好きじゃない君なんて――僕は嫌いだからね」


 はい、恭弥さん・・と俺は答えた。彼の言動は理解できない。でもそれがいい。
謎が俺をここまで縛り付ける。永遠に解けない謎だから、そばにいられる。


 一度、機会があったら聞いてみようと思うんだ。どうして、俺なんかがいいんですかって。
彼はまた気を短くするかもしれない。だから今は黙っておく。
 彼の唇が重なる。温かい。彼の舌が頬をなぞる。涙が止まらないからだ。
この思いをなんて呼ぶのだろう。恋より熱くて愛より深い・・解けないパズルのような。
知らない、感じたことが無い。でも――嬉しくて、涙が溢れる。
俺は彼の袖を掴んで、絶え間ない愛撫に身を委ねた。

永遠に探し出せない最後の1ピースはきっと、夕焼け色に染まる彼のものだと、思った。