[ 10years notice ]




空になったグラスの氷を揺らすとツナは、ふぅと小さなため息をついた。
周りは黒いスーツを身にまとった強面の男達ばかりだった。
年に一度、イタリアマフィアのボスが懇談する闇会議
――通称『マフィア会議』は、ミラノの某高級ホテルの
ワンフロアを借り切って盛大に行われていた。


会議という名のパーティが幕を開けてからずっと
通訳として随行した獄寺も、護衛として付いてきたリボーンも
取り行き先やお得意様との歓談に興じていた。
 ボス同士の当たり障りのない挨拶、しかする仕事のないツナは
オードブルのクリームチーズをひとつまみ口元に放り込み
天井の豪華なシャンデリアを見上げて途方に暮れた。


――だから嫌いなんだよな・・マフィア会議って。


 みんな物騒な話か、武器の話しかしないし
・・俺は自己紹介だけで直ぐにお払い箱。
このまま何時間も、豪勢な料理を一人で立食し続けるのは
ツナにとって耐え難い苦痛だった。
 かといって、ボスが部下を差し置き、勝手に本部に戻るわけにもいかず
一分一秒でも時が早く進むよう、彼が会場の大きな振り子時計を
祈るように振り仰いだ・・そのときだった。



「シャンパンはいかがですか?」


 と、自分の前に出された葡萄色のグラスに
ツナは引き寄せられるように手をつけた。
 その瞬間、銀の盆を片脇に恭しく挟んだウエイターと眼が合い
ツナは小さく声を上げた。男はツナの口を右手で優しく覆うと
静かにと片目でウインクをした。
 秘密を共有する恋人の、内緒の逢引の合図だった。



――なんでこんなところに・・



 眼鏡の奥の深い紫色の瞳は確かに笑っていた。
見慣れた癖っ毛の上に、茶色のヘアピースをつけたボヴィーノの
雇われヒットマンは、ツナの手を引くと足音ひとつたてず
屈強な男達の晩餐をすり抜け、彼を従業員用の控え室に連れ込んだ。
 何度も予行練習を重ねたかのような・・鮮やかな逃避行だった。




 簡素なソファーが並ぶ窓のない部屋にツナを招き入れると
彼は部屋の内側から鍵をかけた。茶色のヘアピースと伊達眼鏡をさっさと
取り払うと、待ちきれなかったようにツナを抱きしめる。


「どうして・・こんなところにいるの・・?」


 千切れてしまいそうなくらい自分を抱きしめる男の肩ごしで
ツナは茫然としたまま白壁の天井を見上げた。
 いまだに、目の前にある現実がうまく――把握できない。


「貴方に会いにきたに決まっているでしょう?」


 満開の薔薇のような彼の微笑みに、ツナは息をのんだ。
わずかに汗の染みた白いシャツが、彼の鍛えられた筋肉に張り付いて艶かしい。


「でも・・なんでこんな危険なこと」


 信じられないと言った口調でツナは言葉を続けた。
周囲はすべて敵に囲まれている。ボヴィーノのヒットマンであることが
知られれば、生きて帰れないどころか骨さえ残らないだろう。


 貴方に会うためなら、なんだってしますよ、とランボはツナの耳元で囁いた。
抱き合い体温を重ねた状態のまま彼を壁に押し付け、ランボはツナのネクタイを
緩めると、その下のシャツの隙間に手を滑り込ませる。


「や、だめだって・・ランボ。こんなところで」

「大丈夫、夜会はまだ・・始まったばかりですよ」


 ドアを開ければ、陰謀と策略が錯綜する闇の会議。
ドアの向こうは決して許されることの無い恋人達の逢瀬。


 光の届かない隠れ家で、息を潜めて。
二人は互いの呼吸が混じりあうくらい深く口付けを重ねた。
黒真珠のように輝く彼の柔らかな髪に顔を埋めると、ツナは息を殺して
彼を受け入れた。その熱も、擦れあう度洩れる睦言も、ひとつになった
場所から湧き上がる切なさもすべて・・愛しかった。



 情事が済むと、ランボは淡々とツナの衣服を整えた。
まるで何事もなかったかのように、自分のネクタイを締める
大きな手を見つめながら、ツナはずっと喉元で引っかかっていた
疑問を彼に投げかけた。



「ランボは・・俺のことどう思ってるの?」



 ときどき突拍子も無い所から現れたり、変装して会議に潜入したり
どうやって入るのか執務室に顔を出しては、彼は何度もツナを驚かせた。
その様子はヒットマンというより・・さながらスパイのようでもあった。
ただどちらも、彼にとっては大事な仕事だったが。


 スリルをわざと楽しんでいるのか、大胆な登場を印象づけよう
としているのかは分からない。
 ただそうして自分のもとを訪れる彼を、ツナは何も言わずに受け入れた。
危険を冒して逢いに来てくれること、甘く囁かれる愛の言葉
自分を抱きしめる広い背中・・十年物のワインのような瞳に酔わされて
気がつくと二人は恋人同士になっていた。



「愛しています、と言ったら笑いますか?」



 そう言い、ツナの小さな手を取ると彼は膝まづいてその甲にキスを落とした。
目覚めた眠り姫に、婚約を誓う王子のように。


「何言って・・ランボ。俺は――」


 その優雅な仕草に慌てたツナは、彼の手を振り解こうとした。
もともと恋など許されない立場にいた。まして敵のヒットマンとなどご法度だった。
二人の関係はお互いを破滅させる諸刃の恋だった。



「駄目だよ・・俺は君を――」


  ――愛しているなんて、言えない。


 そう言いかけたツナの両眼から、大粒の涙が零れた。
薄茶色のおおきな瞳を罪深く染める雫が頬を伝い・・顎を濡らしている。



 愛しているなんて言ってしまったら、きっと戻れないのだ。
以前の甘いだけの恋人同士には。二人の間に流れているものは秘密と
交わす熱情だけ。それだけでよかったのだ。
――愛でないなら、いくらでも言い訳ができる、とツナは思った。
もし発覚してもただの火遊びで済むし、処刑も免れるだろう。
くすぶった火は後から灯せばいい――本気でないから、それが可能なのだ。


 だから・・『愛しているなんて、言えない』

君をこれ以上危険な目に合わせるわけにはいかないんだ。

――君を好きだと・・気づいてしまったから。


 言葉に詰まったまま泣き崩れるツナを、ランボはしっかりと支え
先ほど愛したばかりの小さな身体をソファーに座らせた。
 ゆっくりと身を起こしたランボは、言葉に代わりに零れる大粒の涙を
一つ一つあやすように舐め上げると、ツナの薄紅色の頬にキスをした。


「俺の十年、全部・・貴方に捧げました」


 だから、とランボはツナの手を取り囁いた。
それは優しい旋律を伴ってツナのこころに溶け込む
――最初で最後の、告白だった。


「貴方の十年を――全部・・俺にくれませんか?」


 何も答えられず、自分の胸もとに崩れた小さな茶色の震える髪を
ランボは繰り返し返しなだめるように梳いた。
 まるで――幼い子供をあやすように。



 それはまるで十年前の・・二人の光景のようだった。