立てば芍薬、座れば牡丹

首の落ちるさまは――








六道















立てば芍薬、座れば牡丹
首の落ちるさまは――
 六道さんはそんな唄を歌う。毎回違う節をつけて上手に歌う。
歌い始めは何なのか知らない。歌い終わりはいつも、
『首の落ちるさまは、椿のよう――』

「ああ綱吉君、こんにちは」
 六道さんが笑った。

 俺は膝をついて深々とお辞儀をする。
「おはようございます、六道様」
「おはようございます、綱吉君」
 そうして、朝が始まる。彼の遅い朝は十時頃。麦飯と昆布だしの
味噌汁、ナスとほうれん草のおひたし、梅干を並べたお膳を持って
俺は六道さんの部屋に行く。生まれ育ち物心ついてからはずっと
それが俺の仕事だった。

「綱吉君は朝が早いのですか?」
 六道さんはむしゃむしゃとご飯を食べながら言う。あまり食欲の
無い人である。たいがい出したものの半分は残す。この人はきっと
俺のご飯に彼の残り物が割り当てられていることを、知っている。
「六道様よりは、早いですよ」
 答えてから、廊下の水拭きを再開する。六道さんは縁側を眺めて
くふふとお上品に笑った。俺が毎日磨くので廊下は黒光りするほど
ぴかぴかなのだ。彼の暮らす部屋は見渡す限りの青い畳と、それを
仕切る廊下、縁側、広い庭で構成されている。彼がこの部屋出たこ
とも、向かいの庭を越えて外に出たことも、俺の記憶する間では一
度も無かった。

「綱吉君、ご馳走様」
 六道さんの声で俺は、水拭きを止めてお膳を下げる。
青物が嫌いな六道さんはおひたしをほとんど食べない。
昔毒を入れられたという味噌汁も、まるきり飲まない。
梅干とご飯をつつくだけである。そうやって長らえている。
命を、ではない。存在を、である。

 六道さんはこの世のものではない。正確に言うと、生きてはいない。
彼は死人である。しかし、ご飯も食べれば唄も歌う。それがやっかい
なのである。死んだのなら大人しく土の中で灰になればいいものを、
彼は焼かれても、湯がかれても生きていて、ぼんやりと、そして上手
に歌をうたう。
 奇妙な歌にこの世の終わりのような節をつける。

 彼が現れたとき、この町は散々だったと言う。田畑は荒れ、家々は
焼け道には強盗が闊歩するほどに町は荒れていた。六道さんは町へ行
く峠の先、お地蔵さんが六つ並んだ場所で、くだんの歌をうたい、石
の首を抱いていたという。
 嵐で落ちたお地蔵さんの頭を。後生大事にするように。

 彼が死人であると分かった途端、町の偉い方は集まって、六道さんを
祭ることにした。早く成仏して下さい、ということである。
そういう時は神様になってもらうのが一番早い。
死んでも生き残った六道さんは、町の外れの一番大きな屋敷に連れて行
かれ庭の見える大きな部屋をあてがわれた。俺が生まれる何十年も前の
話である。俺が生まれた頃には彼はそこにいて、あいかわらず歌をうた
い続けてきた。

 立てば芍薬、座れば牡丹
首の落ちるさまは椿のよう――

「六道様はどうして死なないのでしょうか」

 と以前、尋ねたことがある。彼に仕えてすぐのことであった。
「地獄を、一巡りしてしまったからですねぇ」
 我関せずという表情で彼は答える。地獄というのは極楽に繋がっている
のではなくて、今生と繋がっていましてね。少し道を間違えると簡単に
戻ってしまえるのですよ。
「戻ってしまえるのですか?」
 戻ってしまえますよ。それは地獄の沙汰や仕来たりとは、別の問題です。
「六道様は地獄へ行かれたのですか」
 行きましたよ。なかなか愉快で、楽しい場所でした。あの時はまだ私は
一人きりではなかったのです。苦痛を分かち合う仲間もおりました。
「六道様には友達がいらっしゃったのですか」
 いましたねぇ。
――友達というにはまだ、不適切な関係でしたが。
「不適切な?」
「不適切です」
 くふふ、と六道さんは笑った。

六道さんは赤い着物を引きずって、部屋の奥に入っていった。
寝るのである。彼は一日の半分以上を寝て過ごす。起きると唄を歌う。
それくらいである。

 彼の名前を一度、聞いたことがある。その時彼は自分を「死体」とも
「亡骸」とも答えた。六道死体。そんな名前があるはずはない。正確な
名前は覚えていないという。

「姓名なんて死んだら不用ですよ。わずらわしいだけです」
と、彼は障子を半分だけ開けて曖昧に微笑んだ。
「いつか、君にも分かる日が来ます」
「・・それは、死ぬときですか?」
「そう、遠くはないでしょう」

 彼はそう言って視線を落とした。少し悲しそうな横顔だった。

蒼く艶のある髪を持つ彼は、眼も覚めるほど美しかったので、このお屋敷に
移ってすぐは、彼の噂を聞きつけた隣町、そのまた隣町のものがこぞって彼に
求婚しにやってきた。宝物をたくさん、押し車に詰め込んで。
 彼は男であるが、女物の着物を着ていた。町のものが着せた赤い衣は彼の白
い肌が映えてとてもよく似合った。六道さんを男と疑うものは一人もいなかった
ので彼を一目見たものは必ず求婚したという。そしてことごとく振られ郷里に
戻って妻子をなした。六道さんは断り続け、そして年月が通り過ぎていった。

「六道様、起きてください、夜ですよ」

 日が沈むと俺は彼を起こしに行く。一度寝てしまうとてこでも起きないけれど
夜が来れば違う。彼はきちんと起きて、縁側に腰掛けて星を見る。明日の天気を
占うのだ。六道さんが晴れると言えば明日は晴れるし、大雨といえばその通りに
なる。日照りが続くと彼にはきゅうりがたくさん届く。梅雨が終わらない時には
米俵、雪が多いときには薪の束、春が来たら豆を一升、供えるのが仕来たりで
あった。そうすると、軒並みうまく四季が回っていく。六道さんは美しいまま。
歌う声の響き一つ、衰えることを知らない。

「どうしたら、六道様みたいになれるのでしょうか」

 そう尋ねたとき彼は初めて俺を見て、くふふと笑った。美しい笑みだった。
俺は彼の瞳をじっと覗きこんだ。良く見ると、右目は赤くて左目は青かった。
光の加減だったのかもしれない。

「赤い衣を着て、唇に紅をさしておいで」

 六道さんはそう、歌うように答えた。それきり目は合わなかった。俺は
毎日彼に朝飯を運び続けた。毎晩、彼と星を見て過ごした。おとめ座が泣
く時は晴れ、やぎ座が暴れると雨、アンタレスに騙されてはならない、よ
くよく星の動きを追うのですよ。天の川は空を、切り分けているのだから。

 ある日、俺はお屋敷から一対の衣を盗んだ。クチナシの花を模した
鮮やかな朱の着物を羽織り、揃いの黄帯を巻き、足袋を履いた。鏡を
見て口紅を薄く差し、彼のお屋敷へ向かった。彼を驚かせたい、それ
だけで。
 彼の言う「六道さんみたいになれる方法」を俺が、覚えているはずも
なかった。
 ふすまを開けると、彼の姿はなかった。彼の座布団だけがきちんと
縁側に立てかけてあった。庭の植木がざわざわと揺れた。彼は影も形
もなかった。この世から、消えてしまったようにみえた。
 俺が縁側に座ると、町のものが「娘が、娘が」とわらわらと出てきた。

「六道の娘が来たぞ」

 新しい娘が。今度の娘は小さい、髪が茶色い。異人のようだ。
 町のものが出てきて、俺の周りを囲った。六道様どうか町をお守りください。
飯と味噌と少量の野菜、漬物を用意いたします。日照りと大雪だけは勘弁して
下さい。町の若い男をひとり、お付きにします。好きにしてやってください。

――今生を恨まれますな、六道様。

 気がつくと俺は庭に立ち、赤い着物を着て彼と同じ唄を歌っていた。

 かつて彼が何十年、もそうしていたように。燃え盛るような夕陽を眺めて。
吐いた息が空に吸い込まれていく様を、遠くぼんやりと眺めながら。

 彼は何処へ行ったのだろう。死んだのだから、生きていることは出来ない。
地獄へ帰ったのだろうか。どうして俺を置いていってしまったのだろう。
また新しく六道の娘が来れば俺も、彼と同じ場所に行くことが出来るだろうか。
彼はその場所で俺を待っていてくれるだろうか。

『立てば芍薬、座れば牡丹
首の落ちるさまは――』

遅咲きの椿が、残雪の重みで音を立てて落ちた。