He is my only star
















夕食の後片付けをした後のことだった。リビングにいたはずの彼の姿が無くて
辺りを見回すと、リボーンが「バジルなら二階に行ったぞ」と言った。

「バジル君・・父さんについていきたかったのかな」
 ヴァリアーとの決着がついた後も平穏無事な毎日では無かったけれど、九代目の
依頼をはらはらしながらこなす日々はあいかわらずであった。フゥ太も、ビアンキ
も当然のように住み着いていたし。新たな鉱山を探しに行く、と言っていた父親以外
はみんな沢田家に居ついていた。俺の父親を慕う彼もまた、新しい食客の一人だった。

「さぁな・・本人に聞いてみな」
 リボーンの返事は冷ややかだ。
「――だって、見送りにも出てこなかったし」
 仕方ねぇんじゃねぇか、とリボーンは言った。黒い瞳は眼に映るものの思考をすべて
読んでしまうというから、彼はバジル君の胸の内なんてお見通しだったのかもしれない。
「家光より・・大事なものが出来たってことだろ」
「大事なものって・・」
 俺はリボーンの言葉を繰り返しながら階段を上がった。俺よりも、俺の父親と長く過ごした
――いわば兄弟のような彼と、俺は未だにどう、付き合っていいのか分からなかった。

「こんなところにいたんだ・・」
 彼は二階から器用に壁をつたい、屋根の上に腰を下ろしていた。
若干高所恐怖症の気がある俺も、なるべく下を見ないようにして上った。
屋根は天井が平らになっていて、ちょっとした屋上のようなつくりになっていた。
「――星が、綺麗ですね」
 バジル君の声は高くも低くもない。あえて例えるならその蒼い瞳のように晴れ渡っている。
声の響きが少し、泣いているように聞こえて俺は、胸が苦しくなった。

――本当は、父さんに付いていきたかったじゃないのかな。

 そう思うと息も上手く出来ない。この感情の名前は知らない。
 彼についても知らないことが多すぎる。父親との出会い、イタリアでの生活、別れ。
生まれてからのほとんどを父とすごした少年が何を思いどう育ってきたのか。
 彼は「沢田家光」を――本当の父親のように、慕っていたのでは?

 いつも離れている俺より、父との別れは辛かっただろうと俺は思う。
日本に残る名目は十代目のボディガードとしてであったが、それなら
何人も候補はいたのだ。
 バジル君と、父親は仲良しだった。喧嘩をしたことなど見たことも聞いたこともない。
だから――
 俺は、父親がバジル君を置いていったんじゃないか。
 そう、勝手に思っていた。
 それくらい・・父親が姿を消した後の彼は静かで、嵐が去った海のように穏やかだった。
どこか、淋しそうだった。

「本当に綺麗だね・・」  満天の星空を見上げて相槌を打つと、バジル君はゆっくりと振り向いた。
端正なつくりの顔、蒼く澄んだ眼、薄茶色の伸びた髪――彼には「美しい」という
形容詞が、本当によく似合った。
「イタリアの星でもこうして・・星を見ておりました」
「父さんと、一緒に?」
 バジル君は驚いた様子で俺を見る。俺はしまった、と思った。
 少しでもこれまでの二人を知りたい――そういう思いが言葉から
透けてしまうのではないか、と思ったのだ。

「親方様は・・あまり本部にはみえませんから」
「・・そうなんだ」
 意外だった。ずっとそばにいたんじゃないんだ。
「拙者に稽古をつけてくださったのは、九代目の側近が
ほとんどです」
 バジル君は淡々と、今までの成り行きを語った。孤児の生まれで
三歳の時父親に拾われたこと。父親の地位もあり、ボンゴレには属さなかったこと。
死ぬ気になる術を学び「来るべき日」まで強くなったこと。
「――来るべき?」
 俺が問い返すと
「澤田殿にお会いする日までですよ」
「俺?」
 彼は表情を綻ばせる。薔薇のような笑みに息が、止まりそうになった。
「物心ついたときからずっと、沢田殿の話をきいて育ちました」
――いつか、すべてを投げ打ってお守りする大事な方だと、彼は言う。
 それは一目見て直ぐに分かる・・とも。

「沢田殿に会ってすぐに気づきました。この方が――拙者が出会うべき
人であったと。命をかけてお守りする方――だと」
 だから、と彼は続ける。

「ボンゴレへの加入を親方様にお願いしました」
「・・父さんは、何て」
「――勝手にしろ、と」
「・・・」
 随分な父親だ、と俺は思った。彼になんて声をかけていいのか分からない。
黙ったままの俺に、彼は「どうか、親方様を悪く思わないでください」と言った。
「――どうして・・?」
 彼を拾って、思うように育てて、日本までつれて来たのに――ボンゴレに入るだけで
日本に置き去りにするなんて。
 師弟関係でもあんまりだ、と思ったが勿論言えるはずもなかった。
 バジル君は今にも泣き出しそうな眼で、笑っていた。
ここから出て行けばほかに行くところが無いのだ。
俺だって追い出すつもりなんて微塵も無い。
 ただ、どうしてここに残ることにしたのかだけ――聞いておきたかったんだ。

――俺の・・父親のことが、誰よりも大事だったんじゃなかったの?

「・・澤田殿が出て行けと言えば出て行きます」
 そんな、と俺は遮った。バジル君がいて困ることなんて何一つ無いのに・・!
「・・俺は・・いいと思うよ。バジル君がいたいなら・・それで」
 かろうじてそう答えると
「沢田殿のおそばにいたいんです」
 バジル君のまっすぐな視線が、心臓の真ん中を打ち抜いていく。
言葉が胸につかえて出ない。それくらい、彼の言葉は真摯だ。
約束を通り越して、誓約に近い響きがある。
――信じたいと、思ってしまう。

「一生・・あなたを守りたいんです」
 俺は頷いた。何かが頬に触れる。泣いているのだ、と気づく。
彼がそっと俺の涙を親指で拭う。触れたところが温かい。申し訳なさそうな
青い目が二つ、俺を見つめている。

「バジル君、俺――」

 君に、聞きたいことがたくさんあった。
 でも。涙に何もかも溶けてしまった。
 最初は、父親と一緒にいた彼が羨ましかったのにいつのまにか
――バジル君と暮らす父親が羨ましくなっていた。
 俺は、神様もびっくりするくらい、鈍感なのかもしれない。

 困ったような瞳で笑うバジル君の後で、何億光年先の光の宝石が瞬いた。
流れ星に祈ったのはただひとつ。

 彼と同じ、願いだった。