「十代目ーっ!」

 おなじみの呼び声で駆け込んできたのは自称右腕だった。
自分がトイレに行っている間に最愛の十代目が攫われたのだ。
(彼の脳内ではそういう設定になっていた)
忠犬は血眼になって主人を捜索していた。


「ご、獄寺君。ここだよー!」


 ツナも慌てて名前を呼んだ。ウエイトレス姿であろうと
この縄を解いてもらってここから逃げ出したかった。
学校も休みで、こんな誰も近づかない場所に
出来た喫茶店で――ノルマがケーキ500個なんて
神様でも無理な話だった。
 縋るような声にオープンカフェに飛び込んできた獄寺は
椅子にくくりつけられているツナの姿を見るなり卒倒した。
ついでに鼻から出血した。頭に血が上ったらしく
美形の顔貌は赤でどろどろだった。
 いきなり鼻血を出した獄寺に、ツナはため息をついた。
あたりは血の海。また自分の仕事が増える。


「ご・・獄寺君・・大丈夫?」
 それでもツナは彼を心配しておそるおそる声をかけた。
「・・は、はい大丈夫です。十代目」
 顔を真っ赤にしながら言われると説得力がない。
それでもふらふらしながらツナに近づくので彼は別の意味で怖くなった。


「せ、せめて鼻血止まってからにしようよ、動くのは!」
「あ、はい・・すいません」
 獄寺は袖で鼻の下をこすった。血色が悪い。興奮しているのに青白い。
この人は保健室に行った方がいいんじゃないか、とツナが思ったとき
だった。


「・・ツナ?何やってんの?」


 ひょい、カフェを覗き込んだのは山本だった。
ジャージ姿に、肩にバットを乗せている。


「山本ー!!」


 ツナは心底ほっとした。血まみれの彼と縛られた自分では現状を何ひとつ
打開できない、そう踏んだからだった。山本はツナの中で頼りになる
存在ナンバー1だった。自称右腕はやはり力尽きて床に倒れている。


 山本は血の海と倒れる獄寺を一瞥してから、さっさとツナを助けた。
ありがとう、とツナが安堵すると、彼は「なんかあったのか?」とツナに
尋ねた。校内に突如現れた喫茶店。ウエイトレス姿のツナ。血まみれ獄寺。
異様な組み合わせである。
 実は・・とツナは事情を説明した。斯く斯く然々――要約すれば
このケーキを売りつくさなければ殺される、ということだった。


「そういうことなら手伝うぜ!」
 貧血で倒れた獄寺を担架で運びながら山本は歯を見せて笑った。その笑顔に
先程から随分理不尽な課題を突きつけられてきたツナの心が和らいだ。荒んだ
胸に染み入る、オアシスのような笑顔だった。
 学校が休校になったため自主トレをしようと部室に行き、たままた立ち寄った
職員室でツナの悲鳴を聞いたらしい。
 保健室に獄寺を運び込むと、ツナはとりあえず着替えてくるよ、と言った。
いつまでもこんな露出の多い格好で校内をうろつきたくは無い。


 山本が彼の不始末を掃除している間、ツナは更衣室に向かった。その入り口で
ツナは唖然とした。更衣室は何者かが火をつけたのか、跡形もなく全焼していた。


――なんで・・


 ツナは涙を飲んだ。着替えようにも服が無い。知られたら二度と学校に
出向けない格好で接客をしなければならないのか――逃げたくても、逃げられない。


 悄然とした様子で彼が戻ると、山本はカフェの入り口をぴかぴかに
磨いていた。手際のよさにツナが感嘆の声を漏らすと、戻ってきた彼に
山本は微笑んだ。

「――着替えなかったのか?」
「あ・・うん、服・・燃えちゃった」
 最近不審火が多いからなーと山本は額の汗をぬぐった。爽やかな男が
かく汗もまた爽快感がある。


「でも、別にいいんじゃね?けっこー似合ってるし」
「そ、そうかな・・」


 度重なる気苦労にツナの思考回路もまた磨耗していた。屈託のない微笑みに
似合う、と言われるとそれは間違っているという思いよりも何故か納得して
しまう。

「じゃーとりあえずケーキ、売っちまおうぜ」
「う、うん・・!」
 いつまでも格好を気にかけていると、快く手伝ってくれる山本に悪い気が
してツナは頷いた。一汗かいた彼がジャージの上着を脱いだとき、
そのポケットから ライターが滑り落ちたことにツナは気づかなかった。

 どこからともなくエプロンを取り出し腰に巻くと、山本は携帯電話を
取り出した。

「野球部の奴らに声、かけてみるな」

「あ、ありがとう・・!」

 山本はやっぱり頼りになるなぁとツナが思った瞬間、黒いスーツを着た
集団がわらわらとカフェの玄関に現れた。その物々しい雰囲気にさすがの
ツナも山本の影に隠れる。「いらっしゃいませ」と彼が言うと、黒い集団の
中からひょっこり、少年が飛び出した。

「ツナ兄ー!!」
「フゥ太・・!?」
 嬉しそうな声にツナが山本の後から飛び出すと、フゥ太はツナの足に
しがみ付いた。スカートを履いているので生足に、である。

「ツナ兄カフェ始めたんだって?遊びに来たよ〜」
「ど、どこで聞いたの?」
 僕は情報屋だからね、何でもお見通しだよ、と少年は笑ったが
いつまでもツナの足にしがみつくその姿に、後の山本の額に青筋が
立っている。フゥ太はそんな彼に向かってあかんべえをした。


「で、でもこの人達は・・」


 周りに群がる黒服の男達は店内を占拠するどころか、廊下まで
はみ出している。彼らにツナは見覚えがあった。


「ツナ・・!遅くなってすまん・・!!」
「ディーノさん!」


 部下をかき分けて現れたのは白いスーツを着たディーノだった。
胸には赤い薔薇のコサージュが覗き、稀代の色男をいっそう華々しく
させている。


「フゥ太から・・聞いてさ」
「あ、喫茶店のことをですか?」
 わざわざイタリアから駆けつけてくれたことが嬉しくてツナが
尋ねると彼はツナの剥き出しの両肩に手を当てて言った。
「そう、披露宴」
「・・!?」


 二の句が告げないツナと、極上の微笑を宿したディーノの間に
メニューを持った山本が入った。いつまでも二人の世界にしておくのは
危険と判断したからだった。


「・・ちょっとフゥ太、ディーノさんに何て言ったの?」
 ケーキを運びながらツナが尋ねると、フゥ太は苺をフォークで
付き裂きながら答えた。
「ディーノ兄とツナ兄が、結婚するって言ったんだよ」
 口の端にクリームをつけながら放たれた爆弾発言に
ツナは眩暈がした。結婚って・・俺とディーノさんはそういう
関係じゃないし――そもそも男同士じゃないか。


「だって・・僕、ディーノ兄とツナ兄が大好きなんだもん・・
二人にうまく、いって欲しかったから・・」 
 うるうると瞳を振るわせた弟分に、ツナは慌ててこう答えた。
「わ、分かった・・ディーノさんには俺から言っとく」

 どうしても彼の青い瞳がぐらつくと強く言えない。ツナはため息を
ついて厨房に戻った。


「だいぶケーキはけてきたな〜」
 山本の言葉に在庫を覗くと、ケーキは半分くらい消化されてきた。
恰幅のいいキャバッローネの連中が、我先にと甘味を味わったからだ。
 無茶苦茶な理由ながら、ディーノとその部下を連れ出してくれたフゥ太に
ツナは心の中で感謝した。

「これ売り切れたら、二人で打ち上げしような」
「うん・・!」
 山本の笑顔にツナもつられて微笑んだ。ディーノと向かい合っている間
常に山本が表情に殺気を浮かべていたことと、ツナは知るよしも無い。



「俺は甘いものは嫌いだぞ、コラ」
 なじみのある声にツナが振り向くと、ちゃっかりと椅子に腰掛けていた
コロネロがメニュー表を閉じた。

「あれ!?・・わざわざ来てくれたの?」
「野暮用のついでだ、コラ」
 彼の視線をツナが追うと、その先にロープでぐるぐるに巻かれたスカルが
転がっていた。スカルはツナを見るなり何かを必死に訴えたが、コロネロは
「ほかっとけ、コラ」と言った。

「でもちょっと可哀相だよ」
 ツナが言うと、「だいたいヘルメットかぶってる奴がどうやって
ケーキ食うんだ、コラ」と彼は突っ込んだ。
一理あるが、縛られて床に転がされているのはあんまりだ。
「・・せめて椅子に座らせてあげたら?」
 ツナの優しい声に、コロネロは「仕方ねーな。おい起きろ、コラ」と
無理矢理スカルを椅子に乗せた。黒いヘルメットが内側からくもった。
泣いているのかもしれない。


 二人の赤ん坊を見送ったころには、ケーキはほとんど売り切れていた。山本の
つてで訪れた野球部員や、噂を聞いた生徒達もこの珍しい風紀委員カフェに足を
運んだからだった。


「・・君はメニューにありませんか?」
「え?」
 尋ねた男の目が赤と青だったので、ツナは面食らった。
髪の色は目のさめるような青。目立つ風貌である。
三人組の客だったが、ひとりは全く喋らずひとりは話し出すと止まらない。
――この辺の学校かな・・? 
 身覚えのない制服だったのでツナは首を傾げた。
「いえ・・メニューにある分しか無いのですが」
 ツナが答えると男はその手を取って微笑んだ。
優雅な笑みを浮かべているが行動は強引だ。
「あ、あの・・」
「ケーキじゃなくて君が食べたいんですけどね」
「――すいません、閉店です」
 ケーキ、売り切れましたのでという山本の声に二人の会話は遮られた。
ツナは彼の影に隠れたが、三人組は残念そうに帰っていった。
青い髪の男だけは「また会いましょう」とツナに向かって
片目をつぶる始末だった。


「あいつら、黒曜中の連中だよ」
 山本に囁かれてツナは、そうなの、と頷いた。
「あんまりいい噂聞かないから、近づかない方がいいかもな」
 今日は彼に世話になりっぱなしだなぁ、とツナは思った。


 勘違いしてめかしこんできたディーノに謝罪し、フゥ太と一緒に見送ると
あんなに人でごったがえしていた店内はすっかり空になった。冷蔵庫のお菓子の
山もなくなっていた。


「ありがとう、山本・・」
 日は落ちかけていたが、礼を言うツナは既に涙目になった。
「別に・・ツナの力になれればそれでいーし」
 照れた山本が頭をかいた、その時だった。


「十代目ー!お待たせしましたーっ!!」


 白いシャツの黒いズボン、真っ白なネクタイとエプロンを巻いた
獄寺がどたどたと店に入ってきた。


「ご心配をかけてすいませんでした。今から十代目のお店を
手伝わせていただきます!」
 敬礼する獄寺にツナは申し訳そうに言った。

「・・ご、ごめんね獄寺君。もう終わっちゃったんだ」
「遅かったなー」
 山本の声には何の抑揚も無い。


 そ、そんな・・と獄寺がよろめくと、ちょうどその後から
彼の姉がひょいと顔を出した。
「何・・もうカフェ終わっちゃったの?」
「獄寺君後ろ向いちゃだめーっ!!」


 ツナの叫びもむなしく、ふらついた獄寺は姉の顔を直視し
そのまま再び倒れこんだ。彼にとってもまた運のない一日だった。
 床に沈みこんだ獄寺を抱き起こしながら、ツナはビアンキに
ごめんね、と言った。


「ケーキもう無いんだ。売り切れちゃった」
「そう・・残念だわ。せっかく腕によりをかけたのに」
「・・!!??」


 ビアンキの何気ない一言にツナと山本は戦慄した。
――今、何て言った、と。

「あ、あれ・・ビ・・ビアンキが作ったの!?」
 尋ねるツナの声は震えている。
「そうよ。だってリボーンの注文なんだもの、徹夜で仕込んだのよ」


 頬を染めたビアンキの返事に、今度はツナがよろめいて床に座り込んだ。
まさか――あのポイズン料理をクラスメイトや自分の知り合いに
振舞っていたなんて!

 泡を吹いて倒れている獄寺の背中を擦りながら、ツナはもういっそ
こんな風に自分も倒れてしまいたいと思った。


 ディーノさんや、フゥ太、キャバッローネの皆さんは
無事なんだろうか・・
コロネロやスカルは食べなかったんだっけ?
でもクラスメイトや野球部員はみんな食べにきてたよなぁ・・


 忙しい一日を走馬灯のように思い起こす。ツナは眩暈がした。自分も
あのケーキを食べればよかった。そうすればせめて自分も犠牲者の
ひとりになれる。


 翌日学校の生徒の半数が、謎の体調不良で授業を欠席した。
その一部始終を知るのは、可憐なウエイトレスと彼の助っ人だけだった。
 その内の一人は現在も長期休業中である。噂では毒に効くよい医者を求めて
イタリアまで足を運んだというが――その消息は定かでは、ない。




(遅くなって本当にごめんなさい!)
(沼野さんに捧げます・・!)