ほどなくしてベンツはある高級ホテルの
玄関にたどり着いた。
ホテルマンの促すままに、最上階に上るエレベーターに
乗り込んだツナは、ガラスの向こうに広がる蒼い海と
澄み切った空に、思わずため息をこぼした。
世界で最も美しい眺めを、窓の外に臨む
ペントハウスだった。
「お帰りなさいませ!10代目!」
ドアが開いた瞬間飛び込むように現れた灰色の
髪の男は、主人の帰りを待ちきれない子犬のように
思い切り頭を下げて挨拶した。
その余りの勢いにツナは一瞬たじろいだが、
「あ、・・えっと・・ただいま」
と、今の自分の状況を考えて応えた。自分が何者なのか
どういう目的でこのホテルに連れてこられたのか、ツナには
分からないことだらけだったが、眼の前で腰を90度に
下り深々と礼をする人物は――少なくとも、記憶をなくす
前の自分の関係者だった。
ツナの言葉に男はぱっとその身を上げ、整った
顔をほころばせた。ツナに会えたことが、嬉しくて
たまらないといった様子だった。
「あの・・」
ツナが伺うように彼を見つめると、男は
「獄寺です!何なりとお申し付けください!」
と、右手を額まで上げて自己紹介をした。
知り合い――というよりは、側近や部下
に近いような印象だった。
『ボンゴレ9代目の落とし胤』
『10代目』
自分を指す言葉を浮かべながら、ツナは
――自分は誰かの後継者ではないのか?
と推測した。恐らくは、10番目の。
「獄寺君・・」
迷路に入った思考を休ませようと、ツナは思った。
「ちょっと休ませてもらってもいい?」
「はい!もちろんです!」
獄寺は満面の笑みで、ツナを寝室に案内した。
キングサイズのベッドの端には、深紅の薔薇が
大輪の花を咲かせていた。
金色の蝶の刺繍が入った羽毛布団に倒れこむと、
ツナは甘い香りに誘われるように深い眠りについた。
眼をあけると、豪華なシャンデリアが視界に
飛び込んできた。僅かに軋む頭部を摩りながらツナは
その身が半分くらい沈むような布団から起き上がった。
開いたドアの先から、挽き立てのコーヒーの匂いと
誰かの鼻歌が聞こえてくる。
「おはようございます!10代目!」
今、ちょうどコーヒーを入れたところですからね、と
エプロン姿の男は湯気の上がるフライパンを
片手で持ちながら微笑んだ。
――コーヒー入ったぞ、ツナ。
――卵は・・半熟でいいんだよな?
目覚めた自分を同じくエプロン姿で迎えて
くれた男の微笑がありありと浮かんで思わず
ツナは涙ぐんだ。思い出してはならないものが
胸の中から溢れて止まらない。それはいつかみた
夢の続きを――叶わない願いを思い出させる。
こんな未知の場所にきてまで、懐かしい光景に
会うとは思わず、感極まったツナは涙を見せない
よう両腕で顔を隠してうずくまった。
今自分を笑顔で迎える男の前で泣いてはいけない
気が、なぜかした。
「お食事をリビングに用意しましたので」
着替えはベッドの横にかけてあります、と
彼は行ってから寝室を後にした。
ツナは、腕を組んだまま頷いて、両目を
擦ると用意された絹地のシャツに袖を
通した。
この部屋にいる間の世話は、すべて彼に
一任されているようだった。