店のオーナーでもあるマフィアの首領は、主賓周りで
忙しそうであった。彼は選りすぐりの少年達を従え、にこやかな
笑みを浮かべてテーブルを回っている。この店の趣向も、おそらくは
彼の趣味なのだろう。
ディーノはふん、と息を吐いて眼をつぶった。下卑たお世辞と
社交辞令が飛び交う胡散臭い店に、いつまでもいる気はない。
オーナーはディーノの座るテーブルを一瞥すると、ヤニ汚い歯を見せて笑い
ふかぶかしく会釈をした。
「名高いキャバッローネの10代目ではありませんか。わが店の
オープンにまで駆けつけていただき光栄です」
あからさまなお世辞だったが、ディーノも心にもない笑顔を
浮かべて返事をした。
「この分ですと、貴店は繁盛しそうですね」
――この若造が、舐めた口をききおって・・
男の額に薄く青筋がたったものの、彼は一瞬にしてそれを消し
いつものビジネスの表情に戻った。基本は穏やかだが、――取引だけは
冷徹に。
「どうですか?今なら選り取りみどりですよ。ご所望なら個室も・・」
「生憎、そういった趣味はありませんので」
ディーノは痛烈な皮肉で返し、失礼しますと席を立った。
彼は今すぐこの男を撃ち殺したい気に駆られたが、せっかくの
目出度い日を気に入らない男の血で汚す必要もなく――喉元まで出かかった
言葉を飲み込んだ。
ディーノは振り返りもせず、店を出た。日の落ちたミラノの街には
細い矢のような雨が降り――街全体が泣いているように見えた。
迎えにきたハイヤーに、本部までと軽く伝えるとディーノは
シートに深く腰掛け眼を瞑った。イタリアの雨は音もなく振る・・
その静寂はすべての血と涙を洗い流してきた。
自分の、決して許されることのない過去もだ。
先ほどの不快感や店のいかがわしい雰囲気も忘れ、ディーノが
感傷にふけった、その時だった。
急にブレーキをかけた車体が大きく前方に傾き、反動でディーノも
額を背もたれに打ち付けた。
「――どうした?」
「すいません。人影が見えまして・・引いたかもしれません」
それはまずい、とディーノは後部座席から飛び出し辺りを
捜索した。マフィアのボスがひき逃げ・・なんてゴシップは
なんとしても避けたい。
彼は路地裏のゴミ箱の隅に、小さく蹲る黒い影を
見つけて振り返った。駆け寄ってその身を起こすと
・・それは、12、3歳くらいの東洋人の少年だった。
運転手が言っていたのは、この少年のことかもしれない。
ディーノは全身を確認したが、彼に目立った外傷もなく
おそらく車の前に飛び出し、引かれる前に路地に飛び込んだと推測された。
――どうしたものかな・・。
思わぬ場所で、やっかいな拾い物をしてしまった。まさか
置き去りにすることもできず、ディーノは小刻みに震える小さな
身体を抱え挙げた。
苦しそうにうめいた少年の額は、焼け付くように熱かった。