「最近のボス、仕事が終わるとすぐに帰るっすね」
ディーノの近頃の様子は、キャバッローネファミリーの中で
持ちきりのうわさになっていた。三度の飯より仕事と部下が好きな
ような男が、毎日どこぞで食事を買いこんではうきうきと本部を
去っていくのだ。部下が不振がるのも無理はなかった。
「確かボス、猫飼ったって言ったような・・」
「どうだかな。ボスと同じ金髪の猫かもしれないぞ」
彼に恋人、もしくはそれに近い存在が出来たのではないか
と部下達は憶測を寄せたが、確固たる証拠はなかった。
確かに以前よりディーノは、特に女嫌いというわけでもなく
もちろん男色の気もなかったが、女性を寄せ付けないようにして
いた。恵まれた容姿と、才覚、さらには富も権力も手にしている男に
言い寄る女は五万と居たが、ディーノはいつもやんわりと交わしていた。
マフィアのボスとして、女性関係のトラブルに敏感だったのかも
しれなかった。
彼をこよなく心酔する部下達は、そんなボスの心を射止めた
女性を確かめたいという衝動に駆られた。どんな美人で、いったいどうやって
ボスに気に入られたのか――噂では、二人はすでに同棲しているとも
囁かれていた。もしかしたら、表には出せない関係の女性なのでは
と推測する輩もいた。
しかし、その誰もが自分の敬愛するボスが――彼とは
10以上も年の離れた素性の知れない東洋人の少年にその心を
奪われているとは・・想像だにしなかった。
ディーノさん、と少年が呼ぶようになったのは二人が
出逢ってから一週間後の夜だった。
その夜ごそごそとベッドを這い出た少年は、トイレに行こうと
ドアを開けた。リビングにはソファーをベッド代わりにして
すやすやと寝息を立てている例の男の姿があった。
月光に照らされたその姿は、さながら映画俳優か雑誌のモデルの
ようだった。
金色の髪が鈍く光り、端正なつくりの顔に彩りを添えている。
高く通った鼻と、少し大きめの唇――閉じた瞼は憂いを含んだ
表情を醸しだしていた。
綺麗だなぁ・・と少年は素直に思った。男性に使う形容詞ではないと
思ったが、彼の美しさは圧倒的と言ってもよかった。
膝をついて、まじまじと男の顔を眺めているとふいにその紺碧の瞳が
ぱちりと開いた。
わっ、と小声を上げて少年は尻餅をついた。逆光で表情は分からなかったが
男は微笑んでいるように見えた。
「お前じゃなかったら、頭を吹き飛ばしていたところだったよ」
そう言いながら、懐から護身用の銃を持ち出した男の手馴れた所作に
少年は冷や汗を浮かべた。これまでに感じたことのない、薄黒い
戦慄だった。
「ディーノさんは・・何者なんですか?」
以前から聞いていた男の名を、少年は初めて呼んだ。彼に興味と少しばかりの
恐怖を抱いたからだった。
青ざめた少年の表情を一瞥すると、ディーノは試すような瞳で彼を見つめた。
「俺が・・マフィアのボスだって言ったら、お前は信じるか?」
彼はディーノと携えた銃を交互に見た。堅気の人間ではない雰囲気は感じては
いたが、男の発した言葉に少年はごくりと生唾を飲み込んだ。
背中にはじっとりと汗が浮かび、両膝は僅かに震える――
自分を助けた男は、イタリアで最も恐れられている闇社会の首領だった。
「別に、お前をどうこうするつもりはないよ。俺も警察には
関わりたくない身の上なんだ」
ディーノが銃をしまうと、少年は腰が抜けたのかその場に
座り込んだ。疑いと、恐れの混じった茶色の瞳は男の一挙一動を
見つめて離さない。
「どうして・・俺を助けたんですか?」
雨の中、娼館街で拾った子供を医者まで呼んで介抱した。
体調が回復してからは、毎日食事を用意し、衣服やその他
必要なものを買い与えて面倒を見ていた――ただひとつ
自由、以外は。
それは、彼が最初に抱いた疑問だった。何処の誰かわからない
子供をそこまで世話して・・この男に何のメリットがあるのだろう。
ディーノはこの一週間、少年には指一本触れなかった。わざわざ自室を
彼専用にし、自身はリビングで寝泊りしたのもディーノの心遣いだった。
「さぁ・・何でだろうな」
俺にもよく分からないんだ、と男は月明かりの下で曖昧に笑った。
その笑顔に善意以外のものは見当たらず、少年は胸を撫で下ろした。
理由を知ってしまえば、この関係は崩れてしまうような気がして
ディーノは明言を避けた。
少年を助けたのも、元気になった今さえ閉じ込めておくことも自分に
とって抗いようのない何か、に導かれた結果だった。
それを「運命」と知るには、二人の関係はまだ――幼すぎた。