「何だかよくみねーうちに、随分顔色よくなったなぁ」
少年を初めて診た夜から二週間後、再びディーノの部屋を
訪れたシャマルは、開口一番そう言った。
痩せぎすで、肌も唇の色も真っ白だった少年は、いまや頬を赤く膨らませ
紅をさしたような唇をへの字に曲げている。彼はどうやら、シャマルの往診に
ふてくされているようだった。
「・・そんなに警戒するなって。別に何にもしねーよ」
とりあえず心音を聞こうと、聴診器を取り出すと少年は恐れと疑いを
含んだ眼で闇医者を睨んだ。
「どーだかな。回診ついでにセクハラしてさんざん訴えられてたもんなぁ」
二人の様子を後ろで観察していたディーノは、腕組をして笑った。
振った女に逆恨みされたり、二股をかけて半殺しにされていたのを何度
助けたことか。
「おいおい滅多なこと言うなよ。俺は、男は診ない性分なんだぜ?」
警戒心をあらわにする少年に、シャマルはおどけた様子で両手を
挙げた。男は診ないという信条を曲げてまで、彼を診察するのは
他ならぬディーノの頼みだからだ。余計なことを患者に吹き込まれては
困る。
血圧、体温、心音・・と一通りの診察を済ませると、シャマルは
「健康そのもの!いいもの食ってるみたいだな」
と、笑ってすらすらとカルテを書いた。雨の夜、ディーノに呼び出されて
診た謎の少年のことは、彼なりに気にかけていた。
「確かに、食欲だけは旺盛だからなー」
「・・ディーノさん!!」
二人のやり取りを見ながら笑うディーノに、少年は真っ赤な顔をして
抗議する。育ち盛りである彼は、どんなに食べても太らなかった。
――ちょっと見ないうちに、随分仲良くなったもんだな。
と、シャマルは思った。少年は随分ディーノに懐いているよう
だったし、ディーノもまんざらでもない様子だった。
友人としては年が離れているし、兄弟と呼ぶには二人を包む雰囲気が
甘い。
――こいつはひょっとすると・・
シャマルは思考の先に、一抹の不安を感じた。少年と話すディーノの
顔は仕事時の彼とは比べ物にならない程、穏やかだった。彼があの日以来
ひとりの人間に入れ込むのを見るのも――初めてだった。
ただ、ディーノは知る人ぞ知る闇の世界のボスなのだ。一介の人間が身寄りのない
少年を育てるのとはわけが違う。いずれディーノとその背景は、少年をいずれ
望まぬ危険に巻き込むのではないか。
診察を終えて、少年を自室に戻すとシャマルは、ディーノに施設を紹介して
やろうかと提案した。いわゆる孤児を預かる場所で、里親探しではシャマルも
何度か手を貸していたため思い当たる節はあった。
彼の提案を、ディーノはあっさりと断った。シャマルは驚いた様子で、ディーノに
問い直した。彼をかくまって、一体どうするつもりなのか、と。
「あいつが出て行きたければ、それでもいい。ここにいたければずっと置いてやる
つもりだ」
とディーノは言って、グラスの水をごくんと飲んだ。もともと医者からの
お墨付きが出たら、解放してやるつもりだったのだ。
「ここに置くって・・まさか養うつもりか?」
そういうことになるな、とディーノは笑った。それでもいい、という笑み
だった。ことの深刻さを危惧したシャマルは、小声でディーノに問いただした。
「お前の正体がばれたらどうするんだ?」
「もう知ってるよ」
何だって、とシャマルは両目を見開いた。
「俺がマフィアのボスだってことは、もう話した」
ディーノは空になったグラスとテーブルに置くと、先日の少年の様子を
思い出して苦笑した。
「随分びびってたけどなー。様子も変わらないし、慣れたのかもな」
そりゃびっくりするだろう、とシャマルは少年に同情した。自分の
正体を告げたことさえ、ディーノにとってはもう過去の出来事のよう
だった。つまり少年はディーノの正体を了承し、それでもこの部屋で
暮らし続けているのだ。
たいしたタマだな、とシャマルは思った。細っこいやたら美人の
東洋人くらいにしか少年を認識していなかった彼だったが、存外
その器は大きそうだった。
泣く子も黙るマフィアのボスと一緒に暮らすなど、自分にはとても
出来ない真似だった。
「ひょっとしてお前ら・・出来てるのか?」
シャマルが一番想像したくない推測を問うと、ディーノはまさか、と
笑った。
「俺はそういう趣味はないよ」
屈託なく告げられた言葉に胸を撫で下ろすと、シャマルは診察道具が
入ったかばんを肩にかけ、ドアノブに手をかける。
「まぁ・・気をつけるこった。イノセンスっていうのは一番手の
施しようがない毒薬だからな」
彼なりの忠告のつもりだったが、ディーノは「新手のジョークか」と
笑っただけで、特に気に留めていない様子だった。
栗色の髪の少年は、素性は知れないものの、素直で純朴そうな顔立ちを
していた。初めてみた時よりは、妖艶さよりも可憐さが増したようにも
見え、シャマルは苦笑した。あんなにご機嫌のディーノを見たのはひさし
ぶりだった。その原因が例の少年にあるとしたら、彼は運命の悪戯に感謝
する他なかった。