「おーい、ちょっとは元気になったか?」
 往診ついでに、ディーノが入院したという病院に立ち寄った
シャマルは、お見舞いという名目で買い込んだワインを抱えたまま
病室のドアを開けた。


 ベッドに寝ているのは、金髪の男ではなく――彼に始終付きそっていた
黒服のボディガードだった。彼は猿轡で口を塞がれ、さらに鞭でぐるぐると
巻かれた状態のまま寝そべり、シャマルと眼が合うと声なき声を上げた。


「・・あの野郎」
――病院をばっくれやがったな。
 シャマルは舌打ちをすると、ナースコールを押して異変を知らせた。
男を拘束する鞭を解きながら、シャマルは彼の動向を推測する。
――あのガキのところに行ったんじゃねーのか?

 おそらく自分の考えは当たっているだろう。例の少年が彼の部屋を
出てから――キャバッローネのボスは仕事さえままならず自宅療養中
だったというのだから。
 今頃ディーノが自分の気持ちに気づいたのだとしたら・・それはきっと遅いもの
なのだろう。しかし、遅すぎるということはない。
――まぁあいつらしいというのか・・
 唯一ディーノの過去を知るシャマルにとっては、ディーノが幸せになることに
ついて異議はなかった。確かに彼はいまや泣く子も黙るマフィアのボスだが
それとこれとは話は別だった。
――今度は、手ぇ離すんじゃねーぞ?
 シャマルはそう呟くと、病室を訪れたナースに恭しく挨拶をした。
もともと見舞いがてら綺麗どころを物色するつもりだった。



 自分の頭上で男が話す声に、少年は目を開けた。打たれた後頭部は
ずきずきとして顔を上げると吐き気がこみ上げた。自分を連れてきた
らしい男は、もうひとりの仲間と何か話し込んでいた。
「ほんとにあんなガキが・・跳ね馬のところに出入りしてたって
いうのか?」
 ディーノさんのことだ、と少年は思った。後から来た男は
自分の存在について半信半疑のようだった。
「間違いないっすよ、ちゃんと二週間、尾行したんすから」
 男の言葉に、少年は戦慄を覚えた。自分が軽はずみに出ていった
ことが招いた危機だった。ディーノの部屋に住み着く人物について
情報が漏れていたのだとしたら、部屋を出た自分を捕らえようと
するのはマフィアの定石として・・至極納得のいくことだった。

 少年は気づかれないように、もぞもぞと身体を動かした。
両手両足は縛られ、口もタオルで封じられていたがこのまま
ただ死を待つわけにはいかなかった。何より――彼に迷惑を
かけたくなかったのだ。


 証拠はあるのか、という男の問いに格下らしい男は
銀色の鍵を取り出した。
「これ、跳ね馬の部屋の鍵っすよ」
 その途端、少年は男を振り向いたが二人の視線は
手元のカードに注がれている。
――本当の目的は・・
 自分ではなくて、ディーノにあったのだと少年は
思った。まずは自分を捕らえ、ディーノの居場所を見つけ出し・・
それから男達が何をするかは少年にも十分検討がついた。
それは――ディーノの危機を意味した。

――ディーノさんが・・危ない。
 と少年は思った。ただ彼に危険を知らせる術は自分にはない。
少年は頭を回したが、積み上げられた木箱と廃タイヤしか見当たらなかった。
どこか郊外の倉庫に――連れて来られた様だった。


「あのガキはどうします?」
 男の声に少年はぎくりとした。今、意識が戻っていることを
知られるわけにはいかなかった。
「捨てておけ」
 ともうひとりは答えた。ディーノの部屋の鍵を入手したことに
満足しているようだった。



 男二人の足音が過ぎ去ると、少年は身体をしゃくとり虫の
ように動かして倉庫内を這った。何とかして縄を解き、危険を
彼に知らせなくては思った。
――俺・・またディーノさんに迷惑を・・。
 そう考えると、少年の瞳に涙が滲んだ。狙われていたことさえ
気がつかなかった。自分とディーノを結びつける唯一の鍵さえ
奪われてしまった。

 一縷の希望を抱いて、倉庫内を進んだ少年は
その奥から燃え上がる赤い炎に気づき・・その動きを止めた。
先ほどの男達は倉庫に火を放ったのだ。
自分を建物ごと焼き払うつもりなのだろう。
 少年はもくもくと立ち上がる灰色の煙と呆然と見つめながら
絶望が胸に押し寄せるのを感じた。
 死に近いのは――ディーノではなく・・自分の方だった。