彼と出会ってから、俺は授業に出なくても
よくなった。
 テストを受けなくても叱られないし、春になると
ちゃんと進級した。
 勉強を教えてくれる存在は別にいたから、俺は
そんなに困ることはなかった。


「あいつはお前を甘やかし過ぎなんだ・・」
 自宅に戻ると、教科書を開いて俺を待っていた
リボーンは頬づえをついてため息をこぼした。


  「じゃあ、授業に出たいって頼んでみようか」
 俺が提案すると、リボーンは眉をしかめた。
大切な取引相手のご機嫌を損ねるのを躊躇って
いるようだった。


「別にいいさ。単位が取れないわけじゃない」
 自分に言い聞かすかのようにリボーンは呟いて
鉛筆を耳にかけた。今日は英語の補習だった。




「 人形 」



「何見てるんですか?」

 ぼんやりと尋ねると、彼は「別に」と
答えた。窓の外の雲の流れる端を追いながら。
 外では体育の授業が始まっていて、ジャージ
姿の生徒達がサッカーボールを蹴っていた。
ぽんぽん、という聞こえないはずの音が弾む。


 応接室の中央に位置する一番大きい
革張りのソファーの上で、俺と彼は並んで
座っていた。正確には、彼の膝の上に乗る形で
俺は彼の体に背を向けて寄りかかっていた。
 俺を後ろから抱きしめるのが、彼は好きだった。


「最近趣向が変わったみたいなんだ」
「そうですか?」


   彼は俺の髪を撫でたり、時々匂いを嗅いだり
引っ張ったりしている。
 彼といると俺はテディベアになった気分になる。


 登校すると俺は、まっすぐに応接室を目指す。
彼はすでにそこにいるけど、俺たちは特になにも
しない。彼が淡々と業務をしている間、俺は持ってきた
自習ノートを開いて待つ。
 仕事が終われば、彼は俺を抱きしめたり
膝の上に乗せてみたりする。それ以上は何も起きない。
 時が過ぎれば俺はその部屋を出て、夕暮れの廊下を
帰路につく。時間だけは流れるのに、あとはみんな
止まっている。


 何故こういうことになったのか俺にもよく分からない。


俺はときどき、彼の人形じゃないかとさえ思う。



「小動物は嫌いだったんでしょう」
 彼にごろんともたれて、上を向くと。
「そうだね。でも君は嫌いじゃないよ」
 表情は変わらなかったのに、彼が笑った気がした。


 いつまでこんな日が続くのか。俺には分からない。
おそらく彼は、俺の時間を止めたんだ。人形は年を
取らない。


「――群れたりなんてしないで、さ。
ずっと僕のそばにいなよ。大事に飼ってあげるから」

 頭上で聞いた小さな台詞は夢か、幻だったのか。
優しいとか、甘いとか、切ないとか
彼にはおおよそあてはまらない言葉がはためいて。


そう呟くと、彼は俺の少しだけ大きい耳たぶにキスをした。




(一万ヒット部屋より再録)