眼を開けるとツナは部屋を飛び出した。
袖を掴めたことに安堵し眠りこけてしまったのだ。
ドアを開けた瞬間、その向かいに立っていた
男と眼が合い、ツナは表情を綻ばせた。

「・・おはよう」
「朝から忙しいこったな」

 腕組みをした男のへらず口も変わらない。
「君が逃げてしまうんじゃないかと、思って・・」
 ツナが語尾を詰まらせると、リボーンは舌打ちを返した。
捨て身でファミリーを飛び出した元ボスを放っておけるわけがないのに
その理由を自覚することが彼にとっても癪だった。ただしお尋ね者
の自分が直々にツナをファミリーまで送り届けるわけにもいかない
――ましてこの浅はかな男は自分を頼ってここまで追ってきたのだ。
やれやれ・・とリボーンは帽子の向きを直した。
この男の無邪気ともいえる理不尽さにはもう慣れている。
その我儘を聞いてやりたかった自分も過去に存在した。

「飯――食うぞ」
「え・・?」

 間の抜けた返事の後ボンゴレの腹が大きくぐうと鳴ったので
リボーンは笑った。あれから、ルームサービスの一つも
取らなかったのか。

「腹の音だけは一人前だな」
「・・そういうリボーンだって」

 向かいの男はぷい、と頬を膨らませる。
「・・何だ?」
「――何でも無い」
――随分嬉しそうに・・俺を馬鹿にするよね?

 一階のカフェで朝食を済ますと、二人は早々にチェックアウトした。
追われる者としては同じ場所に長く滞在することは避けたい。
もちろんホテルも偽名で予約していた。


リボーンが足早に歩き出すとツナはやはり付いて来た。


 ミラノを離れてドイツかフランスに行くかとも思ったが
そこまで彼が首尾よく準備をしているとも思えない。リボーンは
思考を巡らしながら路地裏をぐるぐると歩いた。南につてを頼る
手もあるが人影が無いのも逆にリスクが高い。このままミラノに
留まるべきか――・・


「ねぇ・・リボーン、待ってよ」
 追いつけるよう十分に速度を落としても、このボスはいつでも
駆け足で殺し屋の後を追う。
「・・ったく、――」
 リボーンは浮かれつつある脳の中を引き締めて、一度息をついた。
つい、一年前と同じ気分になる。
そばにある栗色の頭をこづいていた、あの日々に。
「・・どうしたの?」
 ツナは息を切らせて彼を覗き込んだ。出会えた、という安心感が
横顔からでも伝わる。リボーンは苦笑した。気がつくと見とれている。
一年前に戻ってしまう。
「何でもねぇよ」
「・・変なの」
――おまえがいきなり現れるからだろう。


 リボーンの逡巡をツナは知らない。


「・・考えてたんだよ、これから」
――この思慮の浅い男をどう元いた家に帰すか。
「俺は――リボーンが一緒じゃなきゃ戻らないよ」
――駆け込み寺じゃないんだぞ、俺は。


 リボーンは立ち止まった。


「・・どこまで、掴んでるんだ?」
「え?」
 彼が聞きなおした途端、リボーンはツナの手を大きく
引いた。その身体が傾いた瞬間、ツナの足元を数発銃弾が
掠めた。サイレンサー付きか、銃痕だけでは狙撃者の位置
を把握できない。
――路上に出た方が早いな。
 リボーンは大きく身を翻す。何とかそれについて行こう
としたツナは叫んだ。
「・・リボーン!」
 銃声と一緒に、二人は走り出した。


 近くのレストランに駆け込むと、リボーンはウェイターに
個室を、と告げた。評価は五つ星、招かれざる客は
入れないだろう――と勝手にセキュリティに期待する。
 昨日からずっと気にはなっていたが、襲撃の間隔が短い。
暗殺にしてはやり方が荒いのだ――恐らく相手はプロではない。


敵は焦っているのか、狙いは何だ?


――ボンゴレの命か?


 通された部屋に着くと、片方はやれやれと息を吐き
片方はぐったりとして椅子に座り込んだ。
「――どうして・・」
 気づいたの、とツナは言いたいらしい。
「・・視線だよ」
「視線?」
 ボスを見守る視線と標的を狙う視線は根本的に
異なる。前者が不安と期待に満ちているのに対して
後者はどす黒く粘着性に満ちている――いわゆる
舐めるような、視線だ。
 それが見抜けなくて最強を名乗ることなど出来ない。
 普段ボスとして人から見られ慣れているとその感覚が
鈍るのだろう。その点でツナを責めるつもりはなかった。
追っ手なら自分も星の数ほど付いている。

 ランチを二つ、と頼んだものの食べる気は全く
起きなかった。

「――君には・・助けられてばっかりだね」
 ツナが額の汗を拭うと、リボーンはふん、と息を
吐いた。当然だ、ともいえる表情の裏には守りきると
言う自信とけして傷つけさせはしないという自負に
溢れていた。そういうところはファミリーを離れても
変わらない。律儀な男だ――とツナは思う。

「ねぇ・・リボーン」
「――何だ?」
「一年前の、ことなんだけど」
 やはりそこに行き着くのだろう。リボーンは腰掛けた椅子から
身を起こした。向かいのボスはむしゃむしゃとサラダを食べている。
食欲があるのはいいことだが、緊張感がなさ過ぎはしないか?
リボーンはやれやれ、と頸を振った。

「・・あれをやったのは君じゃない」
 茶色の眼は真剣だった。言い切る眼差しの奥に彼を連れて帰る、という
気配が見え隠れする。
「随分自信があるんだな」
「・・そうでしょう?」
「どういう意味だ」
「あんな殺し方・・君はしないよ」
 リボーンは腕組をして押し黙った。


 ボンゴレ九代目は昼食をとった後、何者かによって射殺され
午後三時に部屋を訪れた部下によって発見された。邸内には
ツナと獄寺、山本など複数の人間がいたがいずれも正午以降
彼の部屋を訪れていないと証言した。獄寺のみが、正午前に
所用で9代目の部屋のドアをノックした、と言った
――郵便を頼まれたんすよ、と彼は答えた。
 彼はその後郵便物を九代目に渡し(その時九代目は生きていた)
ツナの部屋に戻っている。
――獄寺君はずっと俺の部屋にいたよ、とツナも後で
証言した。

 発見された9代目は背後から数発銃弾を打ち込まれほぼ即死
状態であった。部屋に入った誰もがその血の量に吐き気を催した。
ツナのその現場を直接見ているが、あんなに血の気の多い死体
も初めてであった。よほどの恨みが9代目にあったのではないか、と
彼は推測する。
 そしてその死体の傍らに立っていたのが、リボーンだった。

 発見されたとき、リボーンは銃を携帯していたが彼が9代目を
撃ったかは定かではない。もともと防犯上の理由で9代目の部屋の
壁には防弾剤が仕込まれている――そのためいつ、彼が狙撃されたか
が分からないのだ。ただ、彼が背後から撃たれていることを考えると
犯人は身内の誰か――という推測はすぐに浮かんだ。
リボーンはその時、発見した部下の静止を振り切って窓を
割り逃走した。それが、彼が犯人では無いか、という説の根拠になった。
やましいところがないなら、逃げる必要もないだろうと残ったものは
口々に言った。誰もが、この中に犯人がいるのではないか、と疑心暗鬼
になっていた。

 しばらくファミリー内はぎすぎすし、一周忌が終わるまでは
ツナ自身もふさぎ込んで日々を過ごしていた。その時彼を精神的に
支えたのが右腕である獄寺や、山本の存在だった。彼らはことあるごとに
ツナを励まし、時に酒宴を開いてボスの気分を盛り上げた。ファミリーの
汚点ともいえる9代目の事件について真実を知りたい、とツナが言った
時も獄寺は眉の形ひとつ変えず頷いた。いつでもツナの意見に反対しなかった
山本だけが、不安そうな顔をしたことをツナは覚えている。
――今その問題を掘り返すことはファミリー内の不安を助長させることに
なりはしないか、と山本はツナに進言した。

 日々ファミリー内を奔走し、時に声をかけ差し入れを調達しその摩擦を
和らげようとしている彼ならではの言葉であった。
 獄寺と狂言の喧嘩を勃発させ、ファミリーを飛び出す前夜、ツナは山本を
呼び出して謝った。
 ツナが頭を下げると山本はぽん、とその肩を叩いた。
――帰ってきたら、一緒に飲もうな。
 眼に涙を浮かべてツナは微笑んだ。いつも笑顔にワインを手土産に
帰ってくる彼らしい見送りの言葉だった。


「・・どうして、あの時逃げたの?」
 ツナの詰問は続いている。リボーンは答えなかった。
表情一つ変えず、部屋のただ一点を見つめている。
「君はあの時自ら犯人になった――そのために逃走した。
考えられる理由は一つ・・
――君は、真犯人を庇っている」

 これは俺と君の問題じゃない、ファミリー全体の問題
なんだよ、とツナは続けた。

「このままだと君が容疑者にされたまま、事件がうやむやに
なってしまう・・それが怖いんだ」
 ツナは視線を伏せた。
「――あの遺体を見たときからずっと、君じゃないって
信じてた。だから・・犯人を捕まえて、君と一緒に戻りたい。
――やり直したいんだよ、俺は」

 必死の説得に、リボーンは組んでいた足を戻した。足りない頭なりに
よく考えた、と言いたいが――次の言葉を聞いてボスは、どんな顔を
するのだろう。


「・・だから教えてよ、君は――誰を庇っているの?」


「・・お前だよ」


 リボーンの返事に、ツナの手の中のガラスがすらりと床に落ちた。
絨毯にしみこんでいくのは沈黙と、一年付き続けた嘘の破片だった。