言い残すとリボーンは立ち上がった。茫然と絨毯の染みを
眺めていたツナも、慌てて立ち上がりその腕を掴む。二度と離さないと
決めた腕――それが自分を、罠にかけるものだとしても。


「待って」


 リボーンの返事は無い。淡々と階段を降り、ロビーを抜け玄関を
出る。ツナの足が道路に着地した途端、背後から轟音が響いた。
 真後ろでレストランの一室が木っ端微塵になっている。
振り向いたツナは驚愕した。黒い煙が立ち込めているのは先程まで
歓談した二階の角の部屋だった。


――ここまで、追いかけてくるなんて・・


 ツナの首筋を汗が滴り落ちる。


「いい加減、離したらどうだ?」
 リボーンに言われてツナはあっ、と手を離した。握り締めた
袖に手の形の皺がついている。
「・・向こうさんも必死だな」
――狙撃の次は、爆破か・・なりふり構わず、というか・・


 敵のこころ当たりなど検討が多すぎて絞り込めもしない。
やれやれ、とリボーンは息を吐いた。相手の殺気が消えないこと
だけが幸い。こちらの動きはほぼ読まれている。


「・・リボーン」
 身の危険をまざまざと感じたのか、ツナも不安そうな顔をした。
――そんな顔、すんじゃねぇよ。
 ボスにしては、ところどころ無防備なのだ。こんなことで庇護欲を
かき立てられては冷静な判断に支障が出る。
――順番に、あぶり出していくしか・・ないか。


 リボーンはツナの手を引くと、向かいのブティックに彼を連れ
込んだ。ミラノに出店したばかりの新しい、紳士服の店だった。
 元ボディガードの行動が全く読めないボスに、リボーンは
「全部脱げ」と言った。


「え?」
「聞こえなかったか。さっさと脱げ」
 ショーウィンドーの後で背広を剥がされ、ツナは慌てた。
「な、何いきなり・・」


 リボーンは店の店員を呼びつけるとユーロ紙幣を何枚か
渡して告げた。


「こいつに合うスーツを一着・・それからインナーから靴下、
靴にいたるまで全て揃えてくれ」


 な、何なんだよと口を尖らせるボスを試着室に押し込むと
リボーンは壁に持たれて玄関を見張った。先程手荒い襲撃を
外した後だ。向こうも慎重になっているだろう。ガラスの向こう
にもたくさんの野次馬が出来ている。
――しばらくはボスの、化粧直しを待つか・・


 リボーンは「お前だよ」と答えた後のツナの表情と一年前の
惨劇の光景を交互に思い出した。9代目の部屋を訪れたのは
偶然だった。頼まれていた情報がすんなり手に入ったので報告に
行ったのが午後二時を過ぎていたか――部屋に入った瞬間匂いで
分かった。彼は死んでいた。そして――そこにあってはならないもの
に気づいてしまったのも、その時だ。


「・・お待たせ、リボーン」
 憮然とした表情で、着替えさせられたツナはカーテンを開けた。
灰色に黒いストライプの入ったスーツは身体にフィットしてなかなか
似合っている。揃いの靴も、丁寧に磨かれていた。
「馬子にも衣装・・ってな」
 軽口を返してからリボーンは、ツナの右手を引いた。傾いたボスの
耳元に小さく――思惑を告げる。


「・・盗聴されてる」
「え?」


 静まった声に、ツナの表情も凍りついた。


「どうしても会話の続きをさせたくない奴がいるんだ――分かるか?」
「・・真犯人・・」


 ツナの返事に、上出来、とリボーンは瞳を細める。無意識なのだろうが
その表情に、ツナの頬が赤くなった。


「でも何で着替えることが・・」
 せっかく獄寺君が選んでくれたスーツなのに、とツナは反論した。
ネクタイは山本の手土産、靴は特性のオーダーメイド。全部、お気に入り
だったのに・・と。


「お前自身に盗聴器が仕込まれてる可能性がある」
 とリボーンは言った。
「追いかけているのが真犯人だとしたら、そいつはファミリー内の
人間だ」
 分かるな、と言われてツナは頷いた。彼を見つめる瞳は真剣そのもの
だった。


 裏切り者が、自分を消したがっている。
――もしくは、容疑者である、リボーンを。


「身内を疑いたくはないだろうが、元から絶つしかないんでな」
 リボーンの言葉に、ツナも納得したようだった。もしファミリー内
に真犯人がいるとすれば確かに、自分に盗聴器を仕掛けることも可能
だろう。あれだけ確実に居場所を追ってくるということは何らかの
発信機も付いているのかもしれない――いずれにせよ、リボーンがいな
ければとっくにあの世行きだったのだ。
――この男を信じるしかない、とツナは思った。


「でも・・リボーン・・俺は――」
 そんなこと、考えたくないよ、というツナの視線に彼は
「甘いこと考えてんじゃねぇぞ」
 と言った。


 あれほど愛し、大切にしていたファミリーに裏切り者が
いて――それが自分を狙っているなんて、考えたくも無い。
帰ればその人物を探しだしてそれ相応の制裁を与えなければ
ならないのだ――ツナは眼を固く閉じた。信頼していた部下の
顔が次々に浮かんで消える。


――獄寺君・・山本・・俺は、どうしたらいいんだ。


 眼を閉じたまま動かないツナの肩を、リボーンはそっと抱き寄せた。
ボスとして一番苦しいのは仲間の裏切りなのだろう。十年近く彼のそばに
いて気づいたことは
――この男は、本当はボスには向いていない、ということだった。
 彼はあまりにも純粋で、優しすぎる。人を信じられることも才能なら
疑うことも才能なのだ。ボスならばその両方を兼ね備え臨機応変に
使い分けなければならない。信じなければ人望を得られないし、疑わなければ
殺される――そういう世界に身を投じたのだ。覚悟は必要だった。


 自分の肩に額を乗せて、ツナは泣いていた。
おそらくは部下には見せられない姿なのだろう。たびたびしゃっくりを
上げては嗚咽を零した。自分を見つけたときとはまた違う、悔しさからの
涙だった。
 ボスとして人の命を割り切れない悲しさ――受け入れたくない現実・・
自分をつれて帰ればおそらく、裏切り者の処罰が待っている。それに気づかない程
ツナも・・ばかではない。わかるからこそ、辛いのだ。


 何かを手に入れるときは必ず、何かを失う。


 それを涙と後悔とともに繰り返してきた、十年だった。