その森には――人間の魂を食らう魔物が住んでいる
という言い伝えがあった。
[ deep blue forest ]
並盛村の入り口を出てまっすぐ北に向かうと、そこには
深遠とした森が広がっている。うっそうとした林の隙間からは
中の様子をうかがい知ることは出来ない。
村のものはけっして近づかないその村に、ツナはたったひとりで
住んでいた。
村の長である沢田という男が、天寿を全うしたのが二週ほど前。
自分を拾った男の養子となり、沢田家で暮らしていたツナはその
殺伐とした暮らしに心底飽きていた。
彼が沢田家の長男や、村人の執拗な嫌がらせにも耐えてきたのは
ひとえに村長に対する恩義だけであり、彼が亡くなった今ツナがこの
村にいる理由もない。またツナを、村長の隠し子として信じて疑わない
連中も多くいた。
月が傾く葬儀の夜、ツナは後継者争いで揉める親族の間をするすると
通り抜け12年余り自分を育ててくれた男に礼を言った。
それが――ツナの村に対する別れになった。
ツナの行く先は決まっていた。村では生き延びることは出来ない。
まして町に出るための路銀も体力さえもない。
唯一の選択肢は、村人が決して近づかない北の森に向かうことだった。
村人が北の森を嫌う理由は、ひとつの古い伝承にあった。
それは・・北の森には魂を食らう魔物が住んでおり、森に迷いこんだ者の
命を奪うというものだった。
――魔物なんて怖くない。別に・・命を捕られたって構わない。
森に足を踏み入れるとき、足元に広がる大樹の根を踏みしめながら
ツナはそう思った。
伝説の魔物なんかよりも人間の方がよっぽど――おぞましくて
冷酷で凄惨な生き物だった。ツナは沢田家の長男に何度殺されそうに
なったか分からなかった。あるときは氷の入った井戸に投げ込まれそうに
なり、あるときは食事に毒を盛られた。そのとき身を呈してツナを守って
くれた村長はもういない。沢田家のものにとってツナは、忌まわしいお荷物
でしかなかった。
村人がツナを嫌う理由・・それはツナが何処の誰の子供か分からない
ことと、その発見場所にあった。
ツナは生まれたばかりの状態で、北の森の入り口で見つかった。
当時沢田家の嫡男だった発見者は、その赤子を連れ帰り「ツナ」と
名づけて養子に迎えたのだ。
不吉の元凶とされる北の森で見つかった子供を、沢田家の跡取りは
自分の子供以上に大事に育てた。その可愛がり方に、周囲のものは
「あれは村長の隠し子ではないか」といぶかしんだ。
真実はどうであれ、自分にもう身寄りがないことと
自分が生きる術はこの森にしかないことをツナは覚悟していた。
ツナは生唾をごくん、と飲み込むと・・森の奥深く足を進めた。
月明かりがぼうっと照らす広葉樹の影が揺れ、名も知らない鳥の
鳴き声が闇に響く。
禁忌の森は、ツナを歓迎しているようだった。