ツナが眼を開けると、そこにはいつも見上げる
わらぶき屋根の天井があった。


[ deep blue forest 3 ]


――あれは、夢だったのだろうか?
 ひどく疲れた身体を労わるように、ツナは起き上がった。
いつもの寝所の上で自分は仰向けになって寝ていた。

 森の奥の小川であった行き倒れの少年。
倒れていたのは彼であったはずなのに、救助しようとした
自分の記憶がない。

 それともこれはすべて幻で、自分は夢現のまま住居に戻ったのか――?

何かが焼ける匂いがして、ツナが右を向くと・・釜戸に、串にさした
魚がいくつかくべてある様子が眼に写る。
 今日は飲み水を取りにいくつもりだったから、釣りの準備は
していなかった。


――夢じゃない。
 ツナはそう直感して立ち上がり、ふらつきながら外に出た。
森を渡るごうごうという風の音が響き、満天の星空がツナの
足元を淡く照らす。
 
 あの魚は自分を助けてくれたお礼なのだろうか、とツナは
思った。むしろ助けられたのは自分のほうで、ツナはもう一度彼に
会いたくなった。
 この真っ黒などこまでも続く森で出会った、初めての友達に
なれそうだった。




 それからツナは何度かその川に行ったが、彼に会うことは
なかった。
 その代わり、その日は招かれざる客がツナを待ち構えていた。

「てっきり森の魔物に食われてしまったかと思ってたよ」

 ツナは持っていた釣竿を、思わず落としそうになった。
彼を待ち構えていたのは、ツナを毛嫌いしていた沢田家の長男だった。
 ツナの周りを囲むように、彼の手下らしい男達が現れツナは
逃げ道を失った。そのだれもが、下卑た笑いと鎌や斧を携えていた。
 森で暮らす少年ひとりを襲うには卑怯なほど、用意周到だった。

「それとも、もう食われちまって・・お前が魔物だったりしてな」
 男が黄色い歯を見せると、手下も下品な笑みを浮かべた。
逃げようとしたツナの両手を手下が捕らえると、その体格差もあって
ツナは彼らに組み敷かれた。
「離せよ!」

 あくまでも強い瞳で、地べたに頬をつけたツナが主張すると長男は
容赦なくツナの顔を蹴った。ツナの口内に鉄の味が滲み・・彼は思わず
歯をくいしばる。
 人気のない森の中で、しかも部下を大勢引き連れている状況では
ツナに助けを呼ぶ手段は皆無だった。しかもいつも自分をかばって
くれた村長はもう亡きひとになっている。

「魔物かどうか俺が確かめてやろうか?」
 男がしゃがんでツナを覗き込むと、周りの男達は乱暴にツナの
着物の合わせを割いた。線維が引き裂かれる嫌な音がして、ツナの白い大腿と
華奢な背中が顕になる。
 大勢の前で辱めて、殺すつもりらしい――抵抗する気力もなくなったツナが
いっそ舌を噛もうかと思ったそのときだった。

 がつん、というものすごい音と、何かが倒れる音がしてツナはおそるおそる
眼を開けた。自分を拘束していたはずの男達も、いつのまにかツナから離れ
ある一点を見つめている。

「・・魔物だ。ほんとうにいたんだ」
「魂を食われるぞ、逃げろ!!」

 男達は次々言うと斧や釜を放り出して、一目散に逃げ出した。
ツナの視野に入ったのは、頭から血を流して倒れる長男と
血のついた岩を携えた――先日の少年だった。


「・・あ、ありがとう」
 ツナは節々が痛む身体を摩りながら立ち上がった。
破れた着物の合わせ目から、足や腹部が見え隠れして恥ずかしい。
 少年は黒衣の上着(コート)を脱ぐと、それをふわりと
ツナの肩にかけてやった。

  触れたことのない硬い生地と、見たことのない形の
服だったがそれはツナの身を覆うには十分だった。
 ありがとう・・と、つぶやくように言ったツナの眼に
涙が滲んだ。
 殺されそうになったという恐怖と助かった安堵が一度に訪れ
ツナは少年の肩越しに頬をあてて泣いた。

 怖かった。死ぬかと思った。本当に怖いのは言い伝えの魔物
でも、それが棲むという森でもない。
――ほんとうに怖いのは・・

 少年は泣きじゃくるツナの細い身体を、そっと抱きしめた。
岩場の二つの影は寄り添い・・それは日が暮れるまで
重なりあっていた。