ツナは言葉を失って、その城の前で立ち尽くした。
それは見たこともないつくりの建物だった。
先の尖った屋根がいくつも続き、月明かりを写す壁は
異様な怪しさを放っていた。
もし森に魔物、が住んでいるとしたら・・それは
こんな得体のしれないところを根城にしているのかも
しれない。ツナは己の中でうずまいた想像をかき消した。
少年についていくと決めた以上、彼を信じるしかなった。
[ deep blue forest 5 ]
少年は慣れた手つきで閂を上げると、ツナを場内へ
誘った。ツナは羽織ったコートごと身体を縮め、重苦しい音を
立てて開いた玄関の間に滑り込んだ。
何が出てきても、けして逃げ出しはしないと心に決めて。
屋敷に入った途端ツナは歓声を上げた。
「・・すごい」
彼を迎え入れたのは豪華なシャンデリアが揺れるホールで、両側に
伸びた階段が緩やかなカーブを描いていた。
階段は二階で合流し、小さな踊り場をつくっていた。その
奥には部屋が立ち並び、突き当たりは森に突き出したバルコニーだった。
一階はホールの奥にリビング、ダイニングが続きその周りを客室が
取り囲んでいる。調度品も高価そうな彫刻や、見事な絵が描かれた皿の
並ぶ棚、グランドピアノなどツナの見たことがないものばかりそろっていた。
分厚いカーテンを開けると窓一面真っ黒な森が広がり、その上に
満点の星空が輝く。
「こんなところにひとりで住んでたの・・?」
少年から屋敷の隅々まで案内されながら、ツナはたずねた。少年は
小さくうなずいた。とても淋しそうな横顔だった。
どこかの、異国のお金持ちが住んでいる場所というのが
ツナの実感だった。
どうしてこんな大きな屋敷が森の奥にあるのか、
原因は不明だったが、どこかの猟師がこの家を見つけ
「魔物が住んでいる」と勘違いすれば迷信のひとつも
出来たかもしれない。
誤解が自分の中で解けてツナはほっとした。大きくて
誰もいない屋敷のどこか一部屋貸してもらえるのであれば
ありがたいことこの上なかった。
「ここが、貴方の部屋です」
どうぞ、と少年が案内したのは主人用の一番大きい客室だった。
ふかふかした絨毯にソファー、大理石のテーブルの
奥は暖炉。専用のキッチンと、浴室が整備されベッドは
キングサイズだった。
「・・俺には大きいよ、ここは」
そのあまりの広大さにツナは途方にくれた。この屋敷の
主人の部屋を使うことなど恐れ多かった。
辞退しようとしたツナに、少年は真剣な表情で答えた。
「――もともと、ここは貴方のお屋敷なんです」
「えっ!?」
驚いたツナが彼の言葉を聞きなおそうとした瞬間、少年は
ぐらりとバランスを崩し・・壁にもたれ掛かった。
「大丈夫?・・気分悪い?」
暗がりで気がつかなかったが、少年の顔は真っ青だった。
「ちょっと休めば治ります・・」
少年は気遣うツナに笑みを返して、その場に座り込んだ。
貧血か、脱水かなと推測したツナが
「何か栄養のあるものもって来るよ、台所はどこ?」
と尋ねると少年はちょっと困った顔をしてツナを
見た。何かを言おうとしてためらい、そのままツナに
顔を近づける――
「・・んんっ!?」
唇が触れ合って、ツナは身体を硬直させた。以前にも
彼と同じようなことをしたが、その後の記憶がまったく
なかった。
わずか数秒だけ重ねたあと、少年は唇を離した。とたんに
今度はツナの身体がぐらりと傾いた。体中の力が抜けたよう
だった。
「今・・何を?」
不可解な行動と自分の身に起きた出来事が分からず、よろめいたツナ
は廊下に座り込んだ。全身が疲労して足に力は入らない。
ツナとは反対に少年の血色は十分よくなっていた。
まるで、ツナから何かを吸い取ったように見えた。
少年は自分のしたことを恥じたように、頬を赤らめた。
その瞬間――ツナにひとつの直感が湧き上がった。
「君は・・あの――森の魔物なの?」
人間と唇を重ねるだけで元気になる、反対に唇から
何かを奪われた人間は立てなくなる――
「人間の命を・・食べてしまうっていう?」
信じたくはなかったが、先ほどの出来事はツナの過程を
十分裏付けた。ツナは目に涙を浮かべた。恐怖よりもただ
・・哀しかった。
「正確には・・命を食べるのではありません」
意を決したように、少年は話し出した。ツナは両目を
大きく開いて彼を見つめなおす。
「人間の生気を頂くのです」
「せいき・・?」
「一種の生命エネルギーです。我々が頂くのはその中でも
ある特殊な生気なのですが・・人間を殺すものではありません」
「そうなんだ・・」
ほっとしたのか、急にツナはぽろぽろと泣き出した。
張り詰めていた神経の糸が切れたようだった。
少年は確かに人間とは違う生き物なのだろう。
しかし彼は人間以上に人間らしく、ツナに接した存在
だった。
食べられてしまうのか、と思ったとき哀しかったのは
自分の命が惜しかったわけではない。
せっかく会えた大切な人と、離れてしまうのが
辛かったのだ。
「そのせいきって、誰のでもいいの?」
「基本的にはたったひとりの人間のものを
頂きます」
その方が自分の主人になります、と少年は言った。
彼の話によれば、彼の種族は主人から一生生気を頂く
代わりに、その主人に永劫お使えするのだと言う。
一度決めた人間の生気だけを吸い続ける、非常に
義理堅く健気で、頑固な生き物のようであった。
「そっか・・けっこう大変なんだね」
話のところどころにツナは納得した。おそらく彼は
自分を主人に決めたのだ。だからツナ以外の人間からは、
彼は生気を吸わない。
さきほどふらついていたのも、おそらくエネルギー切れから
くるものだろう。
生気を吸われた人間もそれ相応の疲労を負うことになるが
若いツナは一晩も寝れば回復する。自分が少々疲れても、それで
彼が生きていけるのなら・・
「俺のでよかったら、・・食べてもいいよ」
無邪気に笑ったツナに、少年は何故か顔を真っ赤にしたが
生唾を飲み込んでツナに口付けた。
初めてのときよりも、先ほどのときとも違う甘くて深い
口付けだった。