百まで数えて
「フゥ太〜お風呂入るよ?」
「はーい!」
ツナの兄の声にとびきり聞き分けの良い声を出す。
節水、節電、節食費が必須の沢田家では入浴は誰かと一緒が夏場の原則だった。
「今日のお湯は、フゥ太にはちょっと熱いかも」
湯船をかき回して彼が言う。桃色のシャンプーハットをかぶりながら僕は
「大丈夫だよ」と笑った。
ツナ兄がいてくれるなら、お湯の熱さなんてどうでもいいんだ。
「ねぇねぇツナ兄、髪洗って?」
「・・仕方ないなぁ」
今日だけだからな、と言いながらツナ兄はいつも僕の髪を洗ってくれる。
ランキングに影響を及ぼす水が苦手ということを知っているからだ。
おまけにシャンプーが眼に沁みていつも涙する僕を見て、彼自ら洗髪を
手伝ってくれるようになった。
「・・かゆいとこない?」
ないよ、と首を振る。頭を両手で撫でられているような感覚が気持ちよくて、
丁寧に注いでくれる手の平の温かさが嬉しくて。
甘酸っぱい溶けるような気持ちに僕はいつも、眼を閉じて浸ってしまう。
いつまでこうして一緒に入ってくれるのかな・・?
そんなことを、祈りながら。
「じゃあ、百まで数えて出ような」
俺はとびきりの笑顔で返事をする。俺とツナ兄が並ぶとちょうどいっぱいになる
湯船はお湯が溢れそうだ。今日の入浴剤はペパーミントグリーン。
ミントの匂いがするのに名前は「箱根の湯」なんだよ。おかしいね。
百数えるまでの間、僕は後何年ここにいられるかをゆっくり確認する。
元々追われる身だからいつかここを――出て行かないといけないことは、
ツナ兄にだけは迷惑をかけたくないことは、分かっているんだけど。
「顔赤いよフゥ太。・・のぼせた?」
ううん、違うよ、と答える。俺はぎゅっと眼を閉じて彼の右腕にしがみつく。
こんなにそばにいるのに、いつか気づいたときには離れてしまうんだ。
――離れないと、いけなくなるんだ・・
「――フゥ太?」
何かが湧き上がって溢れてきそうになる。それは涙かもしれない。
もっと別のものかもしれない。
どんなに好きでも届かない思いがある。望んではいけない願いがある・・
僕は、ボンゴレの人間じゃないから。
「ちょっと待ってて、フゥ太。タオル持ってくるから」
動かない僕に心配した彼が立ち上がる。
小さいけれど本当は頼りがいのある背中を見送る。
視界が霞む。泣いてないよ。泣くもんか。
胸が苦しいのは、離れたくないからじゃない。
幸せが、ひとりじゃないことが、誰かを好きになることがこんなに
――甘く苦しいものなんて。
そんな気持ちを僕が、抱く日が来るなんて。
この世界に身を投じて十年近く経つけど知らなかった。
だから、もう少しだけ――子供でいたい。
彼が僕を、甘やかしてくれる間だけは。
「熱い時は無理するなよ?十まで数えて出るからな」
優しく僕の髪を拭いてくれる彼の、腕の中にいたいから。
・・もう少しだけ、子供でいたいんだ。