たぶんこんな日が来ることを、俺は知っていた。




[ good bye my dear ]




 受け取ったたくさんの花束と献上品をすべて執務室に
運び終えると、帽子をかぶり直したリボーンがふいに背中を
向けてドアの方へ歩き出した。
 その無言の背中に感じた一抹の不安・・それは予感と言っても
いいのかもしれない。彼が俺のもとを去る、という想像などしたくもない
でも確実に訪れるであろう――任務完了、としての別れ。



「・・どこに行くの、リボーン」



 かけた声は確実に震えていたけれども、俺は俯き加減の
背中に声をかけた。その背にのる重圧に、やっと解放された
夜だった。


「お前には関係ない」


 以前よりももっと、冷たい口調の返事だった。声をかけても
彼は振り向かない――その意味するところは


彼はもう、俺の家庭教師ではない、ということだった。



「・・もう君の、憎まれ口を聞くことはないんだね」


 初めてあった時からずっと隙のない、皺ひとつない
スーツがきりりと似合う真っ黒な背中に俺は語りかけた。


 ボスの就任式を迎えた夜――俺と彼はただのマフィアのボスと
いちヒットマンの関係に戻った。二人を繋ぐ術はもう、どこにもない。
――契約の更新をしない限りは。


 彼はドアの前でぴたりと止まったまま微動だにしなかった。
式が無事に終われば、別れの挨拶さえもなくこの部屋を立ち去る
――確かに彼が契約していたのは前代のボスだから、九代目が亡くなれば
俺と彼の接点はない。俺にわざわざ挨拶する義理なんて――どこにも
存在していない。突然の、無言の別れは・・まったくもって彼らしい
行動だった。



「・・俺ずっと、リボーンのことが好きだったよ」


 答えない背中に俺は語りかける。たぶんこの機会をのがせば君に
さよならを言うこともできない。闇を根城に裏社会を駆け抜ける君と
もう一度会える保証なんてどこにもないんだ。



 本当に彼に伝えたい言葉を俺は、涙と一緒に飲み込んだ。
それはけして叶うことのない、願いだったから。




ずっと、俺のそばにいて
我儘で何をしても駄目な、俺のことを守って




――言葉にすれば、彼の背中に届くまでに溶けてしまいそうな
儚い願いだった。
 それをどうしても口にすることができなかったのは



 プロのヒットマンとしての彼を、出会ってから数限りなく愛し
尊敬していたからだった。




 私情で雇用関係を結ぶことなど彼は望まないだろう。
彼は冷静沈着で確実な正真正銘プロの――殺し屋、なのだから。


 俺はそんな彼が好きだった。そしてこれからもずっと彼には
自由でいて欲しかった。ボスと情を結ぶ子飼いのヒットマンになんて
したくなかった。それは彼の伝説と呼ばれる経歴とそのプライドを傷つける
・・最強のヒットマンとしての、彼の誇りを汚してしまうくらいなら
彼を――自由の空の下に離してやりたかったのだ。


 手に入らなくてもいいと言えば嘘になる。でも
――ずっと俺の好きだった彼でいて欲しい、だから・・



「・・・・・」



 最後に伝えたい言葉が、ありがとうなのか、さようならなのか
俺には分からない。分からなくてただ、涙が零れる。
 どんな言葉を手向けても、全部嘘になる。
 愛している、そばにいて。
 それだけが・・たったそれだけが、言えない。




「・・本当にお前は、馬鹿ツナだな」




 背中ごしでも彼がため息をついたのが分かる。
読心術を使うまでもなく・・俺の心の内なんてずっと、彼の掌中だ。



 彼はゆっくりと振り向くと、涙で立っていることさえ
おぼつない俺を一瞥して・・ほんの少し片眉を上げた。
俺を馬鹿にする時に彼が見せる、俺の一番大好きな
彼の表情だった。


 一時だけ振り向くと・・彼はそのままドアノブに手をかけ
重厚な防弾扉の向こうに消えた。


 鈍い音を立ててドアが閉じた瞬間、俺は膝から
崩れ落ちてその場に肘を付いて――泣いた。
 泣き声を上げて嗚咽を漏らすことしか俺に残された
行為はなかった。



 慟哭する俺の後ろにひっそりと置かれた彼からの
手向けに、しばらく俺は気づくことが出来なかった。


 明日から俺が所有することになる書斎机の上に置かれていたものは
最強のヒットマンが肌身離さず持っていた――
彼の愛銃、だった。