[ 10年論 ]




幸福の定義なんてあるのだろうか?
 滅多に拝めない――恐らく世界遺産なみに貴重な彼の寝顔を
見ながら、俺はときどきそんなことを考える。


 10年前真っ黒なビー玉みたいだった眼は、切れ長になり
丸い鼻は高く通り、小さな口元は薄い笑みを器用に浮かべる
ようになった。
 出会って10年一緒にいたのに、俺は彼の成長過程を未だに
思い出せないでいる。いつから背が伸びて、いつから声が低く
なったのだろう。
 トリガーを誰よりも正確に引く右手は、いつからそんなに長く
逞しくなったのだろう。


「・・何見てんだ?」
 どうやら狸寝入りをしていたらしい彼が眼を開けて、俺に
微笑んだ。彼の笑みには一瞬息を止めてしまうような凄みが
ある。それを「美しい」と気がついたのはつい最近のこと
だったが。


「・・リボーンってどんどん大きくなるなぁって」
 頬杖をつきながら真面目に返答すると、彼は片眉を
吊り上げて答えた。
「そんなの、さっきさんざん目の当たりにしただろ」
「べ、別に・・そういう意味じゃないよ!」
 彼の『大きくなる』が何を差すか、思い当たった節に
俺は顔を熱くして俯いた。先刻この年下の男に組み敷かれて
泣かされたばかりだった。


「どういう意味なんだ?」
 起き上がってにじり寄った彼の眼に吸い込まれそうに
なって、俺は両腕を伸ばして彼の肩を止めた。これ以上
近づくと――否応無しに第二ラウンドが始まりそうだった。

「も、もういいから!来ないでっ」
 慌てて差し出した俺の両手首を掴むと、彼は目じりを引いて
口元を緩ませた。この上なく楽しそうな表情だった。
「――お前のも、大きくしてやろーか?」


 からかうような口調とは裏腹の挑むような彼の視線に、俺は
一瞬心臓が止まりそうになった。


 どんなに馬鹿にされても、絶対に叶わなくても――
俺との関係が彼にとっては遊びでも。


 10年そばにいられたこと――そして今、彼の微笑みがまだ
自分の傍に在ること。


 どんどん俺の背丈を引き離していく彼に、声さえも
届かなくなる日が来たとしても俺は。



 幸せだった、と思っている。これまでも、これからも。
彼の居ない日々が訪れたと、しても。


「・・もう、大きくなってるから、いい・・」
 高鳴る心臓を誤魔化しきれなくて白状すると
答えた唇にキスが降りてきた。
 真っ白にスカイブルーのストライプが入った
シャツを両手で握り締めると、俺を抱きしめる彼の
力がほんの少し和らいだ。切ないような苦しいような
この甘い気持ちは俺の心臓を締め付けて離さない。
 それを幸福と気づくまで10年かかったけれども。




――俺は、幸せだったよ。








(一万ヒット部屋より再録)