「 はとがこわい 」
10、11、12・・けっこう増えてきてるな。
群れる灰色の塊を数えながら、獄寺は自分の髪と同じ色の煙を
吐いた。二本目を吸い終わったところで、公園の時計は午後五時半を
過ぎていた。いつもなら夜八時くらいまで最愛の十代目の宿題を
手伝うという楽園にいるような仕事が待っているのだが、「今日は用事が
あるんだ、ごめんね」というツナの一言で彼は校門からまっすぐ自宅に
進行方向を変えた。そこまでは潔かったが、いかんせん自室に居て
することもなく、寝ても冷めても思い出すのはあの栗色の髪のひとの
ことばかりなので――せめて夜が更けるまでは馴染みのこの場所で
不毛な時間つぶしでもしていようかと思ったのだった。結局彼の一日は
十代目に始まり、十代目に終わる。ツナがいなければ一日及び世界など
とう終わってしまったようなものだがそこは楽観的なB型。また明日
朝一番に彼を迎えにいこうとこころに決めて、獄寺は三本目に火をつけた。
要は、この長い夕暮れが早く地球の向こう側に行って、いつもの五倍速で
朝が来ればいいのだから。
「・・獄寺君、こんなところでどうしたの?」
声が聞こえたとき獄寺は幻聴か、と思った。十代目のことを思いすぎて
幻を見るようになってしまったのかと、一瞬彼は思った。あまりにも都合の
よすぎる幻影だったのだ。
「・・やっぱり獄寺君だ・・」
紙袋を抱えて走ってきたその姿はやはり十代目のものだった。
獄寺はさっとたちあがり、敬礼するくらいに姿勢を正した。称する敬意の
深々しさだけは、定評のある男だった。
「・・あ、いや・・その――散歩をですね・・」
馬の形をした遊具に座って持参したパンのみみをちぎって
鳩に与えているなど口が裂けてもいえないので、獄寺は苦し紛れに
そう答えた。ツナはその様子を特に気にする分けでもなく、ふーん・・と頸を
横に倒した。
「獄寺君はよく・・この公園に来るんだね」
俺は、あんまり来ないんだけど、とツナが付け加えたので
獄寺は脳内の並盛町の地図からこの公園の存在を抹消した。
日本に来て半年あまり世話をしてきたこの灰色の群れたちとも
もうお別れだ――そう彼が思った瞬間、ツナが悲鳴に近い声を
挙げた。
「・・ごっ、獄寺君・・!ハト・・っ!」
ん、と獄寺が真横を見るとその足元に餌をつつく鳩の姿が
二三、あった。それを見下ろすツナの顔は血の気が引いたくらい
真っ青だった。
「・・獄寺君、俺・・ハト、嫌い・・」
そうツナが言った瞬間、獄寺は足元の丸々と肥えた灰の群れを
懐のダイナマイトで全部爆破してやろうかと思った――が、
大好きな人の前で凄惨なものを見せることだけはやめろと
忠義心が囁いたためその想像は消去した。明日の朝が来るまでに
こっそり全部始末しておけばいい・・と、彼は思った。
その代わり、彼はツナの左手をぐいっと引いた。
「・・行きましょう、十代目・・!」
行き先はもちろんツナの家だった。おそらくツナは何らかの
買い物の後たまたまこの公園の近くを通りかかり、運命のような
確率で自分を見つけ出してくれたのだ――と、獄寺は思った。
都合のよい妄想に突っ込みはいらないのだ。
右腕を掴んだまま何メートルか走って、獄寺はツナを振り返った。
大嫌いな鳩から彼を救うためとはいえ、ちょっと先走り過ぎたと
――珍しくそう思ったのは、ツナの呼吸がだいぶ荒れていたから
だった。
「ご・・獄寺君・・、よかったの・・?」
あの鳩――君の友達みたいだったけど、と膝に手をつきながら
ツナが言うと
「構いません。縁もゆかりもありませんから」
と彼は鮮やかに吐き捨てた。初めから何の縁もなかったが。
獄寺の答えに眼をぱちくりさせたツナだったが、的を得ない
答えに彼なりに納得したのか、申し訳なさそうに俯いて
「昔餌やってたらいっぱいたかってきたことが
あって・・それから、鳩苦手なんだ」と事情を説明した。
獄寺は自分が嫌いと言ったからあのとき鳩を殺しかねない
顔をしたのだと、ツナは思った。そういう勘は嫌なくらい
当たるが、不思議とそんな彼が嫌いではない。ただ、少々
行き過ぎてしまうのだとツナは思った。
「だから、何にもしないであげてね・・」
「任せてください。十代目には指一本触れさせませんよ・・!」
既に会話は行き違っているが、片やクラスメイトに盲目の愛を注ぐ男
片やそんな彼にだんだん感化されつつある彼にとっての「十代目」である。
両者の間の小さな行き違いも、もう互いに気にならなくなっていた。
だからこそ、こうして一緒にいられるのだ。
ツナは安堵して息を落とすと、実はね・・と紙袋の中を
ごそごそと探ると、
「今日、これ買ってきたんだよ」
と獄寺に中のものをそっと見せた。夕焼けで赤く染まったそれは
黒塗りの箸と・・同じく黒に灰色のストライプが入った
マグカップだった。
「獄寺君、毎日うちでご飯食べてくから・・もうお箸と
コップは合ったほうがいいんじゃないかなって思って
買ってきたんだけど・・」
どうかなぁ、とツナが聞いたときには向かい側の
獄寺の眼には光るものが溢れていた。泣いてはいけない、と
思うのだが――わざわざ十代目が自分のために、時間を割いて
箸とコップを買ってきてくれるなんて・・感激の極みだった。
幸せ、という言葉は今この瞬間のためにあるのだと獄寺は
思った。
「すいません十代目・・ちょっと眼に、ゴミが・・」
獄寺が何回も両目を擦るので、ああ泣いているんだな、とツナは
思った。獄寺の生い立ちについて少し聞いたことがあるツナは、
たぶん彼はこういう――家族みたいなもの、に触れていなかったのだ
と思った。それで感激して涙が出たのだ・・と、思った。
獄寺の場合はちょっと違ったが、それはもう説明するまでもないだろう。
最大の感謝の言葉「ありがとうございます」を何度も述べた彼は
それは俺が持ちます、と言ってツナから紙袋を受け取り――
その代わりに空いた右手をそっと繋いで帰路をたどった。
獄寺はそのとき、自分に懐いていた鳩に――非常に珍しく
ちょっとだけ感謝した。あのときあの時間に公園にいなかったら
十代目には会えなかったのだから。
鼻の頭を赤くした右腕候補の横顔を見上げながら、ツナは珍しく
少しだけ――大嫌いな鳩に、感謝した。たぶんあのとき鳩が嫌いと
言わなかったら、こうやって手をつないで帰ることもなかったかな
と思ったのだ。
夕焼けの二人の影が重なる、紅葉を散りばめた並木道。
揃いの茶碗と、湯飲みを買って、ついには彼の寝る布団まで
ツナの部屋に常備されるころにはもう白雪の道を踏みしめていたけれど・・
――温かい左手と、一回り小さな右手の持ち主はとてもとても
幸せだった。