蛇を踏んだ。正確にはするりと道路に伸びたその尾を踏んだ。
しなやかな白い鱗がきらきらと眩しい。
きゃん、と鱗が鳴いた。甲高い少年の声だった。踏みつけたのは
蛇の尾であったのに、道端に転がっていたのは少年の姿だった。栗色の髪
淡い肌、紺のズボン。良く見るとそれは並盛中の体操着だった。
雲雀恭弥は彼を起こして確かめた、蛇がいた場所から少年が
転がり込んできた。間違いなく奇跡か、ただの化け物だった。
抱き起こすと少年は後頭部を打っていた。痛てて、と擦る目が
恨めしそうに彼を見上げる。
踏みましたね、と少年は言った。先程よりはいくらか低い声だった。
そうだね、と彼は答えた。異論は無いが蛇に責められるつもりもない。
自分の通り道に悠々と尾を出していたのは蛇の方だ。
「責任、取ってください」
人間の姿をして随分強気な蛇だ。いや初めから彼は蛇だったか?
もしかして自分は、人間を踏みつけたのか?
「・・どうやって?」
とりあえずは聞いてみる。尾を踏んだ責任は取れても、彼をもう一度
蛇にするのは難しいだろう、となんとなく思う。いつのまにか彼の心配
をしている。
「俺を飼ってください」
「・・・」
嫌とはいえない。彼――いや、元蛇が自分の学生服の袖を掴んで
離さないのだ。まして突然現れた体操着の少年をこのまま道端に
置き去りにしていくわけにもいかないだろう。これまで棲家であった
草むらに身を隠せないのだから。
「付いておいで」
雲雀はそう言って踵を返す。少年も立ち上がって膝の泥を払った。
体操着が土臭い。帰ったら風呂に入れなくては、と雲雀は思う。
「君・・名前は何ていうの?」
蛇に自己紹介を求めるのは、おかしなことだろうか。
「沢田綱吉です」
少年は答え、聞き分けの良い微笑を浮かべた。
[ snake lover ]
部屋に着くなり雲雀は少年の服を頭からすっぽりと脱がした。
きゃあえっち、と少年は素肌を隠したがそのまま強引に風呂場へ
連れて行く。
「・・土の上で寝てただろ」
ズボンも下着も取っ払ってしまうと、雲雀は彼に頭から温水をかけた。
ひゃあ、と情け無い声が上がり、癖のついた髪がしなしなになってゆく。
蛇口の横にあったボディソープを手に取ると、雲雀はそれを綱吉の身体に
塗りたくった。
「・・あ、あの・・自分で洗えます」
「蛇なのに?」
恥ずかしそうにしている彼が可愛らしい。雲雀は綱吉を浴室に
座らせ、強引にひざまずかせた。ぺしゃんこになった髪を洗い流すと
道端出身の彼は生まれたばかりの卵みたいになった。
「目つぶってないと、シャンプーが入るよ」
「・・わかってます、けどっ」
目をつぶるのが怖いらしい。ただ身体を洗うだけなのにどうしてこんなに
聞きわけがないのか。
「それとも・・何か別のことを期待してるの?」
蛇を抱く趣味は無いけれど。
「し、してませんっ・・別に」
ふーん、と雲雀は彼を持ち上げるとそのままざぶんと浴槽の中に
落とした。茶色い瞳を真ん丸くした綱吉は茫然と、雲雀を見つめている。
「20数えて出るんだよ」
そういい残して曇りガラスのドアが閉まると、綱吉は
ぶくぶくと湯船に沈んだ。はぁい、と返事をする代わりに
緑色のお湯から気泡がひとつふたつ、浮かんだ。
着替えて浴室を出ると、雲雀はすでに部屋着に着替えていた。
羽織っていた学生服が丁寧にハンガーにかかり、壁に掛けられている。
「・・ちょっとこれ・・大きいです」
綱吉はジャージの袖口を上下ともまくって二つ折りにした。
どちらにも並盛の文字が入っている、あずき色のジャージだった。
「そうだね」
だぶだぶのジャージを着た彼を見て雲雀は瞳を細めた。
こんな生徒がうちの学校に居ただろうか――いや、見たことが
ない。やはり彼は今しがた踏んだ蛇の化身なのだろうか。そんなこと
を思いながら彼に飲み物を勧めてみる。
「・・紅茶、飲む?」
「あ、はい。・・ありがとうございます」
笑顔で紅茶を受け取り、彼はふうふうとそれを吹いて冷ました。
変温動物故に猫舌なのか。
「ちょっと待ってて」
雲雀は立ち上がって台所に戻り、氷を数個冷蔵庫から取り出すと
彼のコップにそれを落とした。
「これなら飲めるだろう」
「・・はい、美味しいです」
至極幸せな微笑を浮かべる蛇だった。自分を飼え、と無茶なことを
言う割りにはおとなしい。彼はいつまでここにいるつもりだろう。
「・・君はこれからどうするつもり?」
単刀直入に聞いてみる。
「えっ・・ここにいたらだめですか?」
「駄目ってわけじゃないけど」
蛇と同居した前例が自分の歴史にないだけで。
「・・俺を飼ってもらえませんか?」
茶色い瞳に見上げられて、雲雀は息が詰まった。
縋るような目がじっと、自分を見つめて離さない。
置き去りにされる寸前の捨て猫のようだ。
「――いいよ、別に」
雲雀は横を向いて視線をそらした。自分が食われたら
元も子もない。ちょうどいいところに部屋も余っている。
蛇を――少年を飼うくらいの経済的余裕も十分にある。
「君がここにいたいなら」
「はいっ、お願いします!」
綱吉はぴょんと右手を上げて同居を宣誓した。居直られては
止める道理も無い。雲雀はやれやれと立ち上がった。今日から
二人分の夕食を作らなくては。
そういえば、と彼は振り向いた。何が食べたいか一応尋ねて
みようとしたのだ。渦中の少年はソファーの下で丸くなって
すやすやと寝息を立てていた。輪を描いた背中は緩やかにとぐろ
を巻いた蛇の後姿のようだった。