[ 学校へ行こう! ]
「ねぇねぇツナ兄・・僕もさ、学校に行きたい」
上目遣いで懇願されてツナは絶句した。
このうるうるした茶色の目には、抗いがたい何かが
潜んでいるのだ。けして逆らえないという無言の
プレッシャーを感じでツナが視線をずらすとその
様子を見ていたリボーンが口を挟んだ。
もうすぐ例の右腕希望の男が早まったチャイムを押す
時間だった。
「連れてってやればいいだろ、たまの休暇くらい
願いのひとつも聞いてやれよ」
でも・・とツナが返事を渋ると、フゥ太はそのシャツの
裾を掴んで涙混じりに震える声を出した。
「・・僕、ツナ兄との思い出が欲しいんだ・・
学校もあんまり通ったことないから、どんな風なのか
知りたくて――ツナ兄には、絶対迷惑かけないから」
だから一日だけ、学校に行かせて?と言われてツナは
ため息を落とした。この可愛い顔に不釣合いな重たい
データブックを抱えた弟分の「絶対」はまず間違いなく
叶えられたことがない。それでも――彼の破天荒な願い事を
聞いてしまうのは、きっとこのうるうるした眼に自分が一番
弱いからだと・・この弟分も知っている。
けして振り払うことが出来ないことを分かってて、袖を
少しだけ強く引くのだ――そばにいさせて、と。
吐いた息を吸ってからツナは「いいよ」と答えた。
返事をした瞬間、ピンポーンと玄関から贅妙のタイミングで
迎えが来た。音の主は、十代目の隣に並んで登校したいがために
毎朝四時に起きる将来の右腕候補のひとりだった。
「十代目〜おはようございま・・」
す、といいかけて獄寺は眼を点にした。いつもの十代目の
愛らしい困った顔は変わらないのに、その右腕に奇妙な物体が
へばりついている。
「えへへ・・今日はね、ツナ兄と学校へ行くんだ〜」
ツナの朝の最初の仕事は、激昂した獄寺をなだめすかして
押し留めることだった。
***
学校についたフゥ太は、ツナが危惧したよりはよっぽど
おとなしく過ごしていた。イタリアのから来た従兄弟と、
彼のことを説明し、担任に授業の一日見学を依頼すると
やってきたフゥ太のあまりの礼儀正しさに、職員室は
特例で許可を出した。喜んで跳ね上がるような笑みを
浮かべたフゥ太の横顔に思わず見とれる女教師もいた。
教室に入るとツナの机の横には――いつもの煙草を
吸う男のそれよりは一回り小さい机と椅子が並んでいた。
子供連れで授業を受けるのに最初は気恥ずかしさを
感じていたツナだったが、休み時間の度にフゥ太の
机にクラスメイトが群がるので、それを見ていたら嫉妬
とは別の羨望が彼の胸をよぎった。
イタリアから来た美少年、に最初に飛びついたのは
クラスの女子だった。フゥ太のプロフィールを聞いたり
一緒に携帯で写真を撮ったり・・まるでアイドル並の
反響にツナは――改めて隣の子供を見つめなおした。
さらさらの薄い茶色の髪の毛、その髪と同じ色の
利発そうな瞳、膨らんだ桃の頬、はにかんだ笑みを
浮かべる口元・・年下とは思えない礼儀正しい態度と
その口調に――彼がまるでどこかの国からお忍びでやってきた
王子様のように見えて、ツナは両目をごしごしと擦った。
「ちょっとトイレに行きたい・・」
というフゥ太の手を引いて二人が教室を後に
すると、用を足して出てきたフゥ太は少々
疲れを笑みに浮かべてこう言った。
「ツナ兄って・・こういうところでいつも
勉強してるんだね」
「今日はフゥ太が居るからちょっと賑やかだけど
普段(特に獄寺君がいない日)はもう少し静かだよ」
苦笑しながらツナが答えると、彼は視線を窓の
外に向けた。休憩時間にサッカーをする少年の
影が二三、ボールを追っている。
「・・僕あんまり学校に行けなかったから」
「あ・・そうだったね。転校でも・・したの?」
早朝の発言を思い出したツナが、少し儚げな横顔に
尋ねると、フゥ太は後で腕組をしながら答えた。
「僕・・ここに来る前はNASAにいたんだ」
「な・・NASA!?」
ニュースで朝聞いたばかりの言葉にツナの返事も
裏返った。先日夢を乗せたスペースシャトルが無事帰還した
ばかりだったのだ。
「うん、ちょっとね・・気づいたら、引き抜かれてて」
どういう経緯での移転だったのか、驚きすぎたツナは
口をあんぐりと開けたまま突っ込むことさえ出来なかった。
・・ただ、星の王子の異名を持つ少年なだけに、宇宙工学に
ついての知識も深かったのではないか、と彼は推測した。
過去を語るフゥ太がすこし淋しそうだったのでツナは、明るめに
言った。
「・・また、遊びにくればいいよ」
ツナの言葉に、表情を翻したフゥ太はほんと!?とその
右手に飛びついて袖に頬を当てた。嬉しくて堪らない、といった
表情だった。今日玄関を出るまでは用意さえしていない台詞だったが
ツナは「まぁ、たまになら・・いいけどな。でもあんまり五月蝿く
したらだめだよ」と言った。教師の評判もいいし、クラスメイトも
フゥ太の存在をこころよく受け入れてくれたようだった。少しの
社会見学――という意味でなら、教室に顔を出しても許されるかも
しれないと彼は思った。あとはふて腐れて授業を休んだ元隣の席の
男をどう説得するかだった。
「僕ね・・ツナ兄と一緒に学校に行けてほんとうに・・嬉しい」
右手に抱きつきながら零れた言葉に、ツナはうん、と頷いた。
クラスでもてもてだったフゥ太に少しだけ羨ましさを感じたことは
胸の奥にしまった。弾けるような笑顔を見ていたら、たまにはこういうのも
いっか、と思ってしまったことも内緒だ。あくまで学校は――教師と
生徒が通う場所だから。
「じゃあ僕、後で教室戻るから」
何か用事を思い出したらしいフゥ太と別れて、ツナは一足先に
教室に戻った。第五時限は一番苦手で赤点の多い化学だった。
ツナはあの難解な化学式をテストで何一つ間違いなく書けた
覚えがない。
――これが終わったら帰れる・・
思いのほか順調に進んだ一日に、とんでもない波乱が待ち受けて
いたのはツナがふぅと肩を撫で下ろした3秒後だった。
「今日から赴任した新しい先生を紹介します」
そう言いながらドアを開けた担任の後に控えていた影に
教室中が一瞬しんとなった。
「イタリアから来ました、フゥ太です!」
専門は化学と物理・・宇宙工学と天体学は博士号持ってます
と一礼した推定年齢10歳の新人教師は、その丈にぴったりの
白衣と分厚い教科書を数冊小脇に抱えていた。
2年A組フゥ太先生が、バレンタインのチョコと授業の分かりやすさ
ランキングぶっちぎり一位の超人気教師になるのは衝撃の登場から
半年後。そのあまりの授業の明快さに化学で赤点のボーダーラインを
下回らなくなったツナは、破天荒な居候教師に――実はとても感謝した。
それでも部屋に戻ると鬼の家庭教師が待ち構えているのだが
ツナは自分を見かけると嬉しそうに飛びついてくる白衣の臨時教師
(彼は産休の代理だった)の横顔を見ながら・・少しだけ
――フゥ太が自分の家庭教師だったらいいのにな、と思った。
そんなことを言うときっと彼は自分にくっついて離れないだろう
とツナは思った。それもいいかもしれない・・なんて思いながら
ツナは苦笑した。
この聡明で無邪気、ときどき無鉄砲な弟に振り回されるのが
いつのまにかとても、嬉しかった。