手を伸ばしても届かないのは、貴方の心
その眼差し、その微笑み、俺を呼ぶ声
十年変わらない響きに魂ごと奪われて
過去と未来に交互に愛される禁忌を犯した
貴方は俺の・・届かない一等星、でした
十年という日々が男をどう変えたのか。
ツナにはまだ、分からなかった。
投げて壊した十年バズーカが自動修復され
ランボが未来に強制送還されるまであと一時間。
それまでは彼の肌の上に居られるのだ。
ねぇ、ランボとツナは尋ねた。寝返りをうつと彼の上から
落ちてしまうのでしっかりとすがり付いておく。
甘えられる時間は限られている。
何ですか、と男は答えた。癖っ毛も下がりがちな目元も
変わらないのに、声だけ一オクターブ低くなって
身体だけ倍以上逞しくなった。
自分を抱きしめて、壊してしまうくらいには。
「・・俺のどこが好きなの?」
この茶色の瞳の少年はときどき自分を困らせるようなことを言う。
どこが好き?ほんとに愛してる?
いつになったら、俺だけを見てくれるの、と。
「・・全部ですよ」
言葉に抱きしめられてツナは、寝返りを打った。
危うく落ちそうになる身体を抱きとめて、ランボは彼を自分の下に敷いた。
見上げる茶色の眼は、先程泣かせてしまったときより潤んでいた。
「十年前に行って来たんだ?」
ツナが受け取った資料を読みながら、するりとボンゴレ本部に
もぐりこんだ伊達男に言うと
「分かります?」
ランボは首を掻きながら答えた。
その悪びれた様子の無い眼に何度、ほだされたことか。
「分かるよ」
――だって俺に会ってきたときはいつも・・今の俺を抱きに来るじゃない。
図星を指されてランボは苦笑した。
「こっちに戻ってくると、貴方を確かめたくなるのですよ」
男の返事にツナは牛柄のシャツを引いた。
奪った唇から、甘ったるい味がした。
「・・向こうで飴をもらいましてね」
「餌付けされたの?」
まさか、とランボは両肩を竦める。この男はいつだって
自分のことを一番という唇で、十三歳の自分にキスをする。
油断は何一つ出来ない。
「俺は見も心も全部、貴方のものですよ」
「――嘘が、上手になったね・・ランボ」
ツナが睦言を吐くと、ランボは呼応するように、その唇に口付けた。
絡みあう舌の柔らかさは変わらないのに
十年前のそれはいつも涙の味だった。
「君は本当に欲張りだね」
「貴方が――そうさせたんですよ」
「・・俺のせいだって言うの?」
言うじゃない、とツナが肌蹴たシャツの間の
浮き上がった鎖骨に手を当てると、キスの動きはそのままに
ランボは一回り小さな身体を押し倒した。彼を抱く心の準備は出来ていた。
「――過去の俺には渡さないよ・・」
そう涙目で囁かれてランボは、頷いて微笑んだ。悲しげな微笑だった。
最愛の人のものになることだけは叶わない。
自分の境遇と置かれた地位を考えれば、それは自明のことだった。
ボヴィーノに拾われたこと――そのボスに対する恩義もある。
最強のヒットマンになりたいという野望も少なからず存在する。
命の恩人に対する忠義、男としての昇進・・それらすべてを秤にかけても
比べることなど出来ないもの。
それが目の前に対する初恋のひとへの、揺ぎ無い思いだった。
それは消して叶わず、届かずどんなにかき乱しても
――その指先ひとつ重ねられない。こんなに近くにいても――・・
「・・何、考えてるの・・?」
上り詰める寸前に聞かれて男は答えた。
「貴方の、ことですよ」
「俺には、嘘しか言ってくれないんだ・・ね・・」
そう言いのけぞった白い喉元に噛み付きたくなる衝動を
押さえながらランボは、猛った息を吐いた。
中に全部出しても注ぎ込めないのは、愛ではない。
埋められない過去と未来の溝だった。
「・・何しに来たの」
久しぶりに過去に戻ると、彼は不機嫌だった。
これ見よがしに膨らませた頬にほっとする。
「貴方に会いにきたに・・決まっているでしょう」
迎えたふくれっ面に微笑を零すと、ランボは宿題をしていた
机から彼を引き剥がした。そばにいられる間だけはずっと
この泣き虫の我儘を聞いて欲しい。
ふいにカレンダーを見ると、二週前の土曜日から今日までずっと
赤い罰印がついていた。
二週間前はどこが好きなの、と聞かれた気だるい昼下がり
だった――あれから今この瞬間まで、この可愛いひとは
自分の来訪を待っていたのだ。期待とやきもちを交互に湧かせながらずっと。
「・・お待たせしてしまって、すいません」
既に涙目になっている身体をベッドに下ろすと、いやいやと
かぶりを振った二つ年下の少年は一言、呟いた。消え入りそうな声だった。
「――ランボは、ずるいよ」
男は困惑した。彼の言いたいことは、痛いくらいによく
分かる。この手に簡単に抱きとめられるくらいに。
茶色の瞳が懇願するのは、男がけして叶えられない願いと
同じ旋律だった。
どうして俺だけを見てくれないの?
俺にはランボしかいない、ランボしか好きじゃないのに
・・君はもう一人の俺も、大事そうに抱くんだね。
ランボは肌蹴た自分の肩先に赤い印を見つけてはっとした。
鎖骨にはっきりと浮かぶ、噛み付いたような跡は
十年後の彼が愛しい行為の間に気まぐれに残した扇情痕だった。
「今度の俺は泣いたんだ?」
二時間経って未来に戻ると、迎えたボンゴレはネクタイを
締めなおしていた。これから会議だと、その忙しさが伝えている。
男の髪は元来の癖よりもっとくしゃくしゃになっていた。
抱きしめた身体に泣きながら、抵抗されたからだった。
「――謝りました。貴方を選ぶことは出来ないと」
三行半つきつけられました、と男はうな垂れてその場に
しゃがみこんだ。愛の跡を残したことを責めるつもりは毛頭ない。
俺だけを見てよ、と囁かれて頷けなかった己が泣きたいくらいに憎かった。
ツナはジャケットを羽織るとひざまずいた男に、音もなく近寄った。
十年前の自分と仲違いしたことは彼の眼にも明らかだった。
「・・死にたいの?」
ええ、とても、と若い愛人は答えた。
こんなにも落胆する男の姿を今まで見たことがない。
ツナは覗いた彼の素肌から、自分の残した傷跡を見てはっとした。
十年前誰がそんな我儘を言ったのか想像がついた。
「・・ごめんね」
ツナが呟くと男は力なく正面を向いた。彼は立ち上がろうとして
額にあてがわれた鉄の塊に、動きを止めた。
ツナが携えた銃はまだ、眉間の照準を離さない。
「一度、死んでおいで」
ツナが言った瞬間、ランボの身体は深紅の絨毯に沈んだ。
男の額から血は流れなかった。
打たれた瞬間男は、現とも幻とも判断のつかない夢を見た。
魂が体からするりと抜け出して、過去へと旅立ったかのような白昼夢だった。
少年が泣いている。先ほど押し倒したベッドの上だ。
大きな眼は腫れ、閉じた瞼からは幾筋も涙が流れている。
紅い唇から洩れた言葉に、ランボは心臓が止まりそうに
なった。
「・・ランボの、馬鹿」
ボンゴレ、と声をかけようにも届かない。過去と未来の
間で閉じ込められたような夢だった。おそらく自分の姿も
ツナには見えていないのだろう。
「大体な――お前はあいつを甘やかしすぎなんだ」
例のヒットマンの声がする。どうやらベッドの向かいに
いるらしいが、ランボの視野からは姿を確認できなかった。
「分かってるよ、でも・・もう来なくなったらどうしよう」
あいつはそういうタマじゃねーよ、と家庭教師は付け加えた。
ナイスフォローといいたいが、かけた言葉から伝わる空気は
少々自分を馬鹿にしているきらいがあってランボはむっとした。
会いに行かなくなるなんて・・そんなことあるわけがない。
「しっかりしろ。ダメツナ」
すぐツナに駆け寄ろうとしたランボは、その次の言葉に
伸ばした手を、引いた。
「あいつのためにも、ボスになるんだろ?」
「――うん」
その瞬間に、夢が途切れた。
眼を覚ました時彼はとても幸せな気分だった。
ボンゴレの膝の上で目覚めることが出来たからかもしれなかった。
「いい夢見れた?」
「・・ええ、とても」
ツナに聞かれて男は答えながら泣いた。
泣き顔も武器に出来るのは、優男の特権なのだろう。
ツナは、膝の上で号泣する男の髪を優しく柔らかく撫でた。
この男がもう一度、十年前の自分と恋に落ちればいいと思った。
そしてまた取り返せばいい。そうやって愛していくことを覚えた身体は
この男のすべてを望むわけではない。
手に入らないものだからこそ燃え上がり振り回したくなる。
愛してる?愛してない?そう囁くことが最上の睦言なのだから。
「・・貴方を、愛しています・・」
「――知ってるよ」
きっとこの男は同じ台詞を今度十年前の自分にも伝えるのだろう。
この弱くて優しくてどうしようもない男が、心から愛するのは最終的には
自分なのだ――そう思うと、自然と笑みが零れた。
「またおいでよ、今度の週末に」
「ボンゴレは・・お暇で?」
「ランボのために空けてあげる」
彼は薔薇の花弁が開くように微笑むと、自分を見下ろす
男の首筋にキスをした。後は残さないように、そっと。
ゆっくりと彼のシャツのボタンを外しながらランボは
今度会った時はとっておきのワインとチーズを持って
ボヴィーノの本部から例の鉄の筒を仕入れてこようと、思った。
きっかり一週間後に誤爆した牛柄のシャツの男が
のらりくらりと沢田家にお邪魔し、しばらくツナを泣いては怒らせ、
さんざんすったもんだした後、甘い鞘に納まったこと
それは・・ボンゴレ十代目だけが知る「未来の結末」だった。
君が道に迷わないように、道を間違えないように
まっすぐ俺について来てくれるように
星になるよ。君がけして届かない星になる。
だからその光が途切れるまで俺を――追いかけて。
見上げる地上からその足を離さないで。
いつか俺が落ちるとき、俺を受け止められるように。
俺から眼を――離さないでいてね。
『一等星』