「 帰る場所 」
任務を終えて本部に戻った彼が、執務室に立ち寄ったときには
午後11時半を過ぎていた。
読んでいた雑誌をサイドテーブルに置くと、俺は彼の方を向いて
「おかえりなさい」と言った。
少しばかり殺気を残したまま舞い戻った彼を、なるべく温かく迎えるのは
これ以上彼に無駄な血を流させないからでもあった。
プロの殺し屋としてのりボーンは、おそらく昔かたぎの部類に
入るのだろう。
彼は予定外の殺しや、一般人を巻き込むことを好まない。
指定された標的だけをなるべく速やかに、跡形もなく始末する。
その正確さだけでなく、仕事に対する潔癖さは・・彼が殺し屋として
一目置かれる理由でもあった。
彼は決して流れる血が好きなわけでも、命が散る瞬間を数多く眺めたい
わけでもない。
彼が人を殺すのは、それが彼の誇りともいえる――唯一の仕事だからだ。
リボーンは小さく息を吐くと、トレードマークの帽子をコートかけに
掛け、俺の座るソファーにどさっと腰掛けた。
彼が無言の時は、たいがい怒っている時か、傷ついている時、なのだ。
彼はそのまま上体を傾け、そっと俺の大腿の上に頭を乗せた。
それは意地っ張りな彼なりの、極上の甘え方なのだけど
あまり茶化して甘えてくれなくなるのも困るので、俺は黙って・・
夜のとばりの降りた窓の方を見ている。
膝の上で頭を休ませる男の真っ黒な髪と眼と、窓の外の無音の闇。
同じ漆黒でも、不思議と違う色に感じられるのは何故だろう。
最初は黒、にしか捉えられなかった彼のイメージが・・幾通りにも増えて俺を
離さない。
笑ったり、泣いたり、困ったり、照れたり・・この十年彼の
思いがけない表情をいくつも目の当たりにしてきた。
その一つ一つが宝石とは違う輝きを放って、俺の脳裏に強烈な残像を残すのだ。
――離れたくない、という祈りを伴って。
「・・お前によく似た、ガキを殺したよ」
沈黙を破った彼の言葉は、行くあてのない悲しみに満ちていた。
へぇ、そうなんだ、と相槌を返す俺の膝の上で、彼は小さく寝返りを打つ。
「――出てくるなって、言ったのにな。言うことを聞かないのは
お前にそっくりだ」
珍しく饒舌な彼は、涙の代わりに言葉を吐いていた。
けして敵に後ろ姿を見せない彼の横顔は・・散らせるつもりのない命を
予期せず消してしまったことを明らかに悔いていた。
彼を苦しめているのはきっと・・仕事上のミスだけではない。
――彼も、後悔することがあるのだろうか?
投げ出されたままの彼の右手を取ると、俺はそっと・・
しなやかな手のひらを頬に当てた。
俺より一回り小さくて、細い――けれども確かに血の通った
まごうことなき、人間の手。
その掌の上でいくつの命が散ったのか、俺は知らないし彼だって
数えてはいないのだろう。
彼の手で黄泉に送られることは――マフィアにとってはむしろ光栄な
ことなのだから。
この手で奪われたすべての命を天秤にかけても俺は
――彼の命が、惜しい。
「・・リボーン、俺は・・後悔なんてしてないよ」
「・・・」
「君のことが、もっとよく知りたくてここにきたけど。
君と歩む道を選んだことを後悔したことは、一度もない」
ボスに就く理由としては不純なものなのかもしれない。
言葉も文化も背負う歴史も異なる異国の地で
会えない日々に涙したこともあった。
何日も帰らない彼が気になって眠れない夜も・・数多くあったけれど。
こんなに温かい君の手を、知ることができた。
――それだけで十分、なんだよ。
彼が、小さく馬鹿、とつぶやいた気配がしたけれども
俺は黙って聞こえない振りをした。
見た目よりはずっと、柔らかい彼の手のひらのぬくもりをしばらく
感じていたら、その小さな手が思い切りぎゅっ、と俺の頬をつねった。
「痛っ、ちょっと何すんだよリボーン!」
「寝言を言うから起こしてやっただけだ」
「・・寝てたのは、リボーンだろ!」
彼は、さっと身を起こすと緩めたネクタイを締めなおし
帽子をコート掛けから取るとゆっくりとそれを被り
すたすたとドアの方に向かった。
仕事へ行くことを暗示させる彼の一連の動作に、俺は思わず叫んだ。
「・・リボーン!」
呼び止められることを嫌う彼が、明らかに眉間に皺を寄せて
振り向く。
でもそんなのは構わない――たとえ出来損ないでも俺は
れっきとした、彼の「ボス」なのだから。
「・・待ってるからね。ちゃんと帰って来るんだよ」
「――誰に向かって物を言ってる?」
一呼吸置いて俺は答えた。それが彼に対する最大の賛辞でもあり
もっとも深い枷になることを知っていたからだ。
「ボンゴレ一の、最強のヒットマンに言ってるんだよ」
「OKボス。今日は遅くなるから、さっさと寝るんだな」
分かった、と言うなり笑顔を浮かべた俺に、彼は苦笑して
「たまには・・待ちくたびれて居眠りするボスを
わざわざベッドまで運ぶ俺の身にも、なってくれ」
と言った。
「・・はいはい」
俺は肩を下ろすと、彼を見送ってから照明を落としてそそくさとベッドに入った。
寝ないで彼を待っていたかったけれど、疲れて戻ってきた彼に
待ちきれず居眠りをしてしまう自分の世話をさせるのは何だか酷な
気がした。
冷えたシーツに横たわると、俺のまぶたがゆっくりとカーテンの
ように降りてきた。
――眼が覚めたとき、彼の横顔が隣にあるよう祈りながら。
彼の帰る場所でありたいなんて、身の程知らずな望み
なのかもしれない。
でも俺は、待っていたいんだ。
なかなか弱みも、ぐちも聞かせてくれない彼を。
――五年後も、十年後も、ずっと。