今なら分かる。
吐き出しそうな後悔から滲むのは。
口中の血の匂い。
溢れる涙の匂い。
俺を支える君の腕が、こんなに温かいなんてね。



嘘をつくんじゃなかった。
君を好きだと言えばよかった。
そうしたら、こんな死にかけの腕でも
君をちゃんと抱きしめられた。



君の腕の中で死にたい。


今なら分かる、俺はこうするべきだった。
もっと早く、こうなるべきだった。



俺は、こうするべきだったんだ、よ。

















  Last loop


















 獄寺君に告白されたのは、蝉の音がやたらと五月蝿い、終業式を
終えたばかりの7月の午後。
 帰らないで待っていてください、と彼に言われたとき俺は
「そうではないか」という予感がした。
 二人きりで体育館に残って、向かい合ってひとしきり汗を
掻いてから。
 彼は、ずっと俺が好きだった、と。
付き合って欲しい、と言った。
 うだるような暑さの中の真摯な告白だった。
もしや、と思っていたけれど究極的な愛情表現(好き、ということ)
を聞いた瞬間、俺の視界は真っ暗になった。
 何かとてつもなく重いハンマーで、頭を殴られたような
衝撃だった。
 嬉しいとか、哀しいじゃない。受け入れるでも、否定するでもない。
もっともっと深くて、暗い、身を押しつぶすような何か。
 俺はそれに名前をつけることがどうしてもできなかった。
ただ、今すぐこの場から逃げ出したかった。



「考えさせてくれないかな」



 確か俺は、そう答えた・・と思っている。
どうやって熱帯のような体育館から出てきたのか俺は
ちっとも覚えていない。
 どうして彼の告白がこんなにショックなのか、正直俺にも
分からない。
 それは、うすうす感づいていたことで。
いつか、現実になるべく蓄積されていた思いだった
――俺だって、彼が俺に特別な思いを抱いていることくらい
気づいていたんだ。

 ただ、それが言葉になり、いつか俺と『彼等』を縛ること。
ずっとそれが、恐かったんだ。














 動悸が激しい。息ができない。視野が霞む。
胸が押しつぶされてしまいそうだ。
校庭のフェンスにもたれてしゃがみ込んだ俺は
彼の言葉を反芻しながら、何度も飲み込めない息を吐いた。


『・・こんなことを言うと、十代目を困らせてしまうことは
わかってます。返事は、ゆっくりでいいですから。
・・待ってますね』


 彼の声色は最後まで優しかった。俺が困惑することを
見越した上での表現だった。それさえも彼らしかった。
彼は、欲しいものはちゃんと欲しい、と言う。思いを
伝えた上で待つことを選択できる。それは優しさでもあり
覚悟でもあった。いつだって、彼はまっすぐなのだ。


 その言葉を聞くなり、俺は俯いて何も言えなくなって
しまった。彼に、好きだと言われることはむしろ幸せなこと
だった。俺も好きだよ、と言えればよかったと思う。事実俺は
彼が好きだった。――でも。



「――気分悪いの?・・ツナ」



 天上から降ってきた言葉に、俺は大空を振り仰いだ。
スポーツドリンクを片手に持った、夏という言葉が一番
似合う俺の一番の親友は、タオルで額の汗をぬぐったまま俺を
覗き込んでいた。


「山本・・」


「熱中症なんじゃねーの?とりあえず、中入れって」


 そう言った彼の手に引かれて足を踏み入れた野球部の
部室は思いのほか閑散としていた。太陽が照りつける
窓から振る光の帯が目に痛い。
 思いのほか、蝉の音が五月蝿くて、俺は。


 正式な練習は明日からなんだけどな、と彼は言った。


「今日は自主トレ。ほんと野球ばかだよなー俺って」


 汗を拭いたばかりのタオルを座椅子にかけると、彼は
飲みかけのスポーツドリンクを差し出した。水滴がついた
プラスチックの透明な筒を口に当てると、ほのかな塩味が
喉に広がった。


「あんなところにいると、干上がっちまうぞ」


 からかうように言った彼が、羽織っていたシャツを
ばさり、と脱いだ。日に焼けた素肌と、均整の取れた
筋肉から迸る汗が――瞳に焼き付いて離れない。


 ごくり、と喉を鳴らして口中の海を飲み込むと
彼は座椅子からタオルを取ってそれを頸にかけ
俺の向かいに座った。


「で、何があった?さっき真っ青だったぞ?」

 ――獄寺と、一緒に・・体育館から出てきたろ?

 続けて放たれた彼の言葉に俺の視界は暗転した。






 あまりにも、蝉の音が五月蝿くて、俺は。

――彼の言葉が霞んで、よく聞こえなくなっていた。






 どう弁解して、何から説明すればいいのか。
脳裏をぐるぐる回るのは、心配そうな山本の瞳と
俺を好きだといった、灰色の髪の下の、青色の眼。


 そのどちらも、ずっと俺のそばにいてくれたし
これからもずっとそうだと思っていた。
 胸を押し潰してなお膨らみ続ける、この罪のような思いを
どう、言葉にしたらいいのだろう。
 どんな選択肢を選んでも、俺は後悔するし
彼は俺を軽蔑する。


「何かあったんなら言ってみなって。すっきりする
かもしれねーぞ」


 そう屈託なく微笑む、向日葵のような存在が俺の
前で、真実を告げるのを・・待っている。


 俺は、眼を閉じて言いかけた言葉を永遠に封印した。
――ずっと彼のことが、好き、だった。




<続きます>