ひどく適当なことを言ってその場を誤魔化した。
それでもその台詞を、ツナの眼を見て言うことは
出来なかった。



「付き合えばいいんじゃねーの?ツナも、獄寺のこと
好きなんだろ?」



 俺は嘘をついた。ツナと、自分自身に対してと両方にだ。
惨めだったし、情けなかった。こんな自分の頸を絞める嘘ばかり
重ねて俺が、守りたいものは何だろう?


 直ぐにでも前言撤回して、呆れられても信じてもらえなくても
いいから、ツナに好きだ、と言うべきだった。
 直ぐにでも――



「・・あぁ、うん。そっか・・そうだよね」



 安心したように笑って、頷いたツナの表情に俺の
二の句は喉で詰まった。決定的な言葉だった。
 獄寺がツナのことを好きで(それは自明のことだった)
ツナが獄寺のことを好きな場合・・
――俺はどうなる?



 馬鹿みたいな仮定の先の、当たり前のように鎮座する答えに
俺は、哂った。居場所のない、自分自身を。振られることを覚悟で
ツナに告白する勇気なんてない、弱くて自分に甘い、俺自身を。



 昔から、手に入らないものなんて何一つなかった。
勉強なんてしなくてもそこそこテストで点は取れたし
がむしゃらに練習しなくても、野球の打順はいつも4番だった。


 告白してくる女子なんて数え切れないくらいいたし
適当に付き合って別れても代わりなんていくらでもいた。


 俺はずっと、ぬるま湯に浸かって生きてきた。
だから、がむしゃらに突っ走るとか
誰かを一筋に思い続けるとか


(たとえば、獄寺みたいな)


 そんな見っとも無いことをしなくても
何でも手に入るものだと――頭の隅で思っていたのだ。
 小さな俺の、井戸の世界の中で。




 それを変えたのが、ツナだった。




 中学に入学したときからずっと気になっていた。
どんなに周りからダメツナと呼ばれても、ツナは淡々と
周りの評価に臆することもなく・・日常生活を送っていた。
 何をしても、ビリから数えたほうが早い・・そんな自分と
正反対の状態の男をどうしてそんなに気になるのか俺にも
分からなかった。

 ただ、うまくいかなかった時に見せる、困ったような微笑とか
ふとした時に見せる凛とした表情に、何度か見とれている自分がいた。
 本当は気が優しくて、頼まれると断れない性格なんだな、とか
自分を卑下することはあっても、他人を悪く言うことなんて
絶対ないこととか。

 みんなの知らないツナについて・・知れば知るほど、もっと
知りたいと思ったし、近づきたいと思っていた。


 待ち望んでいたとも言えるツナとの接点は
俺の――自殺未遂騒動だった。


 正直俺はそのことについてあまり・・思い出したくはない。
柄にもなく、野球が出来ないことに真剣に悩んでいたし
結果としてツナを危険に巻き込んだ。


 失うことが実は何より恐い、ということ。何でも手に入る
環境にいた俺は――失敗することや誰かに負けることを
ずっと遠くから恐れていた。


 何も望まなくても、欲しいものはこの手にあった。
努力や遠回りをしなくったって・・何でも、手に入ると
思っていたんだ。




 「練習の邪魔してごめんね・・」



 俺の思考を遮るような言葉に、俺は息を飲んで
正面を向いた。眼の前に、ツナが差し出したペット
ボトルがある。
 促されるようにそれを受け取って、俺は生唾を
飲み込んだ。


 ごくん、と鳴った喉から行き場のない汗が滴り落ちる。


 こんなことを、している場合じゃない。
俺が受け取るべきものは、こんな小さな筒じゃない。
今、掴まなくてはいけないものは


すがり付いてでも、泣きついてでも
掴まないといけないものは



背を向けて歩き出した、ツナの・・小さな右腕だった。




――せめて、もう一度振り向いてくれないだろうか?




 本当は臆病で情けない俺は、最後まで他力本願だった。
また今度、でも。宿題、頑張ろうな、でも。
 接点はいくらでもあるのに。ツナを引きとめる些細な
言葉ひとつ俺は吐けずただ、汗の滲んだ白いシャツが
離れていく後姿を、茫然と見送っていた。


 まるで――金縛りにでもかかったかのように。


 なぁ、ツナ?もう一度振り向いてくれないか?
振り向いて笑って、また今度ね。そう言って惨めな
俺に・・最後のチャンスをくれないか?



 こんなに欲しいと思ったものはないのに、自分では
何一つ動けず、必死に奇跡を求めている自分自身を
俺は、わらった。
 泣き出したいくらい情けないはずなのに、それさえも
受け入れられない俺は、己をわらった。


 ペンキの剥がれかかったドアが、鈍い音を立てて閉じた時
俺の手元からペットボトルが滑り落ち、床に当たって鈍い音を
立てた。


 今追いかければ、間に合うのではないか。
すべて話して許しを請えば、思いだけなら通じるのではないか。



 そんな遂行できない仮定を、未練深く思い浮かべる俺の
頭上を入道雲が通り抜けていく。


 蝉の音がやたらと五月蝿い。やつらは何をそんなに必死で
鳴いているのだろう。初めての夏でもあり、最後の夏だからか。
鳴いて鳴いて、鳴きつかれて、死ぬ。


 届かない太陽に、焼け付くような恋をしながら。



 両目を零れ落ちるものが、涙と気づいたとき俺は
初めて――後悔した。


 本当の自分を晒してでも、ツナに好きだということが
できなかった。




 俺が守りたいのは、陳腐なプライドを大事に温める
弱くて卑怯で非力な――自分自身だった。