[ ホットミルク ]




 応接室の鍵を開けると、彼はどうぞ、と言った。恐る恐る部屋の中に入る。
だいぶ前だったけど、ここで獄寺君と山本が怪我をして――自分も気づいたら
パンツ一丁だったことを思い出すと、背中がぞくりとした。
 窓の外は一面の夕焼け、彼は奥の部屋に行ってしまって何をしているのか
分からない。少なくとも前回のような目には遭わないとは思う。偶然とはいえ
助けられた俺の方だったから。


「何してるの?」
 戻ってきた彼はマグカップを二つ両手に持っていた。その中からもくもくと
白い煙が立っている。
「あ・・そ、その」
 物思いにふけっていましたなんて、言えない。
「そこ、座れば」
 はい・・と俺は真っ黒なソファーに腰掛けた。ふわっ、と体が沈む。
ぴかぴかに磨かれた、柔らかいソファーだった。



「・・どうぞ」
 受け取ると彼は俺の横に座った。茶色のマグカップに注がれていたのは
真っ白なホットミルクだった。入れ物の温かさでもそれが、沸きたてであるのが
分かる。
「・・なんで、あんなところにいたの?」
 付けようと近づけた口を、離す。彼が問いているのはつい先程のこと。
このあたりを縄張りにしている柄の悪い連中が、ちょうど金品をかつあげ
しているところに俺が通りかかったのだ。
「――たまたま、です」
 俺は答える。そう、ただ単に下校中だった。
「・・それで、君はどうしたの?」
 どうしたのって。結果はシンプルだった。
「――巻き込まれました」


 俺の返事に彼はつりあがった眼をぱちくりと開いて、それからくっくっと
笑い――最後に困ったように苦笑した。片肘をついて。俺を見上げて。


「じゃあ僕が通りかからなかったら――どうするつもりだったの?」
 俺はマグカップを机の上に置いた。結論は目に見えている。
「・・やられていたと、思います」
 それでも仕方ないと思ってしまう性分だから、俺はいつまでたっても
だめツナなんだろうと思う。


「あ、あの・・ありがとうございました――助けてくれて」
「君を助けたわけじゃないよ」
 俺は両手をぎゅっと握った。そんなことわかっているつもりだったけど。
心の底まで締め付けられるようだった。


「君がやられたら、あの連中だって生きては帰れなかっただろうね」
「・・・」


 雲雀さんはそう言うと、ソファーの上にごろりと横になった。
その頭が俺の足の上にある。彼の髪が膝にかかって、俺は飛び上がり
そうになった。


「それ飲み終えたら、起こしてよ」
「ひ、雲雀・・さん?」


 肩が震える。足が震えを起こしたら、殺される気がする。


「また一人で帰って、かつあげにでも巻き込まれたらどうするの?」


 傍若無人に彼は俺の膝の上で寝返りを打つ。頭の重みで大腿が痺れてしまいそう。
俺は机の上にそっと手を伸ばした。まだ温かいホットミルク。
 マグカップの縁にくちを付ける。飲み込んだら胸の奥がぽうっとあったかくなった。


 彼はすでに寝息を立てていた。起こしたら怒られるかな。このまま朝までいたら
呆れられるかな、と思いながら俺は夕焼けを見送った。
 赤い炎が立ち込めるような空にきらりと、一番星が覗いていた。