[ misty ]






 濃い霧がかかっていた。だから見逃したのかも
しれない。だから、疑わなかったのかもしれない。
彼の眼に修羅が居ることを。


 森の中で出会った男は黒曜中の生徒と名乗った。
ツナより一回り背の高く、物腰の丁寧な長身の男だった。
 当初彼はツナが、自分を助けに来てくれたのだと思っていた
らしい。ツナが並盛中の三年生の名前を出すと彼の表情が
曇った。お人よしランキングでも三位以内に入る未来のボンゴレ
十代目は慌てて「あ・・いえ雲雀さんだけじゃなくて」
「――じゃなくて?」
「黒曜中の皆さんも無事だと嬉しいです――その六道骸っていう
奴の仲間以外は」
 首謀者の名前を出すと男は、そうですね、その通りです、と
大げさに両手を広げてツナを歓迎した。固まっていた表情も
綻んだためツナはほっとした。


「ええ・・ひどい男ですよ。六道骸は」
「ご存知なんですか?」
「とてもよく知っていますよ」
 男は笑みを絶やさない。ツナは不安になってきた――雲雀さんは
無事だろうか、他の生徒も彼に捕まっているのでは?
 だんだん青ざめていくツナを見ると男は益々嬉しそうに
言葉を続けた。


「その並盛の三年生についてですが・・噂を聞いたことがあります」
「本当ですか!?」
 ツナは思わず彼の制服を掴み、直ぐに手を離した。

「あ、す・・すいません」
「かまいませんよ」
 男は微笑み続けている。


 森に霧が出てきた。一人で探しにいってリボーンは心配しているだろうか。
ツナがそわそわして辺りを見回すと、男は彼の手を握ってこう続けた。
「・・あそこに戻るのは正直怖いのですが君が望むなら
案内します」
「え・・でも――」
 男が悲しそうな目をするのでツナは返答に窮した。この人は命からがら
逃げてきたのだ――その被害者にわざわざ道案内を頼んでもいいのだろうか。
行く先に例の地獄から来たような男が待ち構えているかもしれないのに。
 しばらく悩んでツナは「・・お願いします」と言った。
「でも・・危なくなったら逃げてくださいね」
「はい。そうします」


 にっこりと微笑んで、男はツナの手を離した。右手で霧の道を
導く。こちらですよ、と。もやのかかる山道だというのに男の
足取りは軽やかだ。カーキ色の背中を追いながらツナは何度か
来た道を振り返ったが、どこをどう曲がったのか検討も付かなく
なっていた。


 行く先に廃墟が見えたのは男に付いて行ってから何分か
経った後だった。戻り道は分からないが彼を見つけたらすぐ
救援を呼ぼう、とツナは思った。白いコンクリートで出来た
礼拝堂はところどころ天井が剥げ落ち、人間を幽閉するには
不向きであるように思われたが、男に呼ばれるまま堂内に一歩
入ると――その中央、ちょうど鍵盤の無いオルガンの前に黒くて
赤い塊が横たわっていた。見覚えのある学生服は勿論、彼の
ものだった。


「――雲雀さん・・!」

 慌てて駆け寄ろうとしたツナの手を、何者かが引いた。
振り返ったツナの目に、先程道案内を申し出た親切な男の
微笑が写る。
「・・す、すいません。離して下さい・・助けないと」
「分かっていますよ」
 男はあくまでも笑っている。初めて会ったときのように
美しく繊細に――地上に触れては消える雪のように儚く。
「・・だって、あの――六道骸が来たら」
 自分も彼も、うずくまる風紀委員長も助からない。
そうツナが懇願すると、男は至極満足そうに答えた。
「ええ、ここにいますよ」


 え、――とツナが言うより早く彼の身体は鮮やかに吹き飛んだ。
男が引いた腕を、思い切り壁に叩きつけたからだった。がつん、という
鈍い音と共に塗装が剥げ落ち、ツナは腹を抱えて床に転がった。背中と
腰を打ったらしい。衝撃で脳裏がぐらついたが男の発言の意味は十分に
理解できた。今目の前にいるのがまさに、六道骸本人だった。


「な・・なんで・・」
 げほげほと息を吐きながら見上げると、つかつかと音を立てて
ツナに近づいた彼は靴の先でツナの顎を持ち上げた。強大な力に
逆らうことも出来ずツナはただ、されるがまま虚空を見上げている。
壮絶な微笑をたたえた男が――いや六道骸が、満足げに言葉を
続けた。
「何故って・・確かめるためですよ」
 骸が振り向いた先にツナは視線を移した。倒れていたはずの
彼が立ち上がっている――既に、立っていられる状態では無いのは
その出血量からも確かだった。


「ひ、雲雀さん・・!」


 ツナの声に雲雀は一瞬振り向いたが、やがてぐらりとオルガンの前に
倒れた。額の傷が深い――脳震盪を起こしているのかもしれなかったが
この距離では確かめようもなかった。


「・・やはり、君がボンゴレ十代目なんですね」


 骸は満足そうに言うと、ツナの髪をわし掴みにしそのまま無理矢理
彼を立ち上がらせた。抵抗しようにも両足に全く力が入らない。そして
それ以上にこの男の力は圧倒的であった。
 髪ごとツナが引きずられると、倒れていた雲雀がぴくりと動いた。
こちらの状況に逐一反応するその様子に骸は赤い瞳を細めた。
――このまま殺してもよかったけれど。


もう少し楽しませてもらいましょうか?


 くふふ、と笑みを零すと骸は掴んだ髪ごとツナを剥がれた壁に押し
つけた。がらがらと破片が崩れ二人の周りに散らばり、ツナは視野の
端に何とか立ち上がろうとしている雲雀の姿を確認して一筋涙を零した。
 言葉を発しようと開いた口の端からうっすらと血が、滲んでいる。


「・・どうしました?」


 うわ言のような台詞に骸は聞き返した。その右手はしっかりと
ツナの頸をコンクリートに押し付けている。あと少し力を入れればこの
細い喉は潰れるだろう。


「――雲雀さんを・・助けてください」


 掠れた声は確かにそう言った。頭から血を流して、瞳から涙を落として
息絶え絶えに頼むことが自分以外の男の命乞いとは――骸は楽しそうに
笑って「・・嫌だと言ったら?」と尋ねた。もうすぐ自分の腕の中で死ぬ男に。



「――許さない」


 ツナの返事に骸は両目を見開いて、そして再びゆっくりと笑った。
予想外の、十分楽しめる答えだった。


「君・・想像以上にいいですよ?」


 骸は嬉しそうに答えると、懐からトンファーを取り出してツナの前に
重ねた。いつ取り上げたかは分からないが既にその利用方法は心得て
いる手つきだった。
 彼はトンファーの先をするするとツナのシャツの間に滑りこませた。
それを思い切り右に引き抜くと、びりびりと不穏な音がしてツナのシャツが
左右にはじけた。覗いた素肌には既に蒼い痣がいくつも刻まれていた。
 信じられないような目で服の残骸を見送ったツナの頬を、骸はゆっくりと
舐めた。口の端から漏れる血痕を吸う。普段は鉄の味しかしないそれが
今日に限って何故か甘い。


「――ん・・っ」
 噤んだ口を舌で押し割り口腔を犯すと、両目を頑なに閉じたツナの腰が
ずるずると壁を張った。力が抜けていくようなキスだった。


 絡んだ舌を離して唾液を飲み込むと、骸は満足そうに唇を拭いツナの
ズボンを片手で引き下ろした。その明らかに先程とは違う手つきに、ツナは
戸惑うように腰を浮かせた。立っていることさえ、彼の力無しでは
無理だった。


「やっ・・何を――」
「何を、って?・・これからすることは一つですよ?」
 骸は引き抜いたズボンを放ると、剥き出しになった性器に指を絡めた。
小さく幼い発達途上のものだった。
「・・やっ・・ん、――あっ・・ん、ぁ!」
 声を上げそうになり、ツナは慌てて舌を噛んだ。血まみれの彼はこの
一部始終を見ている。聞かせたくない――見られたくない。


――ただ彼を守りたいだけなのに。


 いやいやと頸を振るツナに骸は小さな屹立を指で押さえながら
低い声で囁いた。取引をする悪魔のような声だった。

「君と引き換えなら――彼を生かしてあげてもいいですよ?」

 ツナは両目を見開いた。骸は血をすすった舌で彼の耳たぶを舐め
頸にそっていくつか噛み痕をつけている。歯が食い込むたびツナの
下肢が浮き上がった。


「ただし――君は僕のものです」


 しゃっくりを上げながらツナは頷いた。逆らうことも抵抗することも
彼を助けにいくことも出来ないこの状況で、唯一残されていることは
ただひとつ――悪魔のような男の言うなりになるだけであった。


 それに抗う一つの影にツナは驚愕した。立っていることさえままならない
彼が――右手を引きずりながら這い、こちらに近づいてくるのだ。
骸は微笑んだがツナは叫んだ。悲壮な叫びだった。


「雲雀さん、来たら駄目です・・!」
――お願いだから、じっとしててください。
「そうですね、殺されてしまいますよ」
 両手にギロチンを有したかのような男は諭すように微笑んだ。
この悲劇を心底楽しむ瞳だった。


「雲雀さん、お願い――来ないで!」
 ツナの叫びに、雲雀の動きが止まった。微かに動いているので
息はあるだろう。一部始終を眺めながらも骸はツナの身体を弄んで
いた。色づいた乳首に歯形をつけると彼は細い腰を抱いて、濡れた
両足をあらわにした。こんな状況下でも、感じるところはちゃんと
反応している。


「――先を続けてもいいでしょうか?」


 骸が固くなった先端をツナに押し当てた瞬間だった。銃声が一発空を
舞い、森の端からばさばさと鳥の羽ばたく音がした。静寂を打ったのは
黒いスーツを着た一人のヒットマンだった。


「打ち止めだな」
「・・残念です」
 骸はツナの身体を離すと、そのまますたすたと礼拝堂の奥に進んだ。
倒れたままの雲雀は微動だにしない。犯されかけたツナも力なく壁に
もたれていた。


「――また会いましょう、ボンゴレ十代目」


 リボーンは銃口を向けたが森の奥の霧がそれを拒んだ。骸の身体は
白いカーテンに包まれ消えていく。今すぐその頭を撃ちぬきたい衝動を
リボーンは堪えて唇を噛んだ。分身して憑依する能力を持つ男を撃つのは
自殺行為であることは重々承知していた。

 リボーンは脱いだジャケットをツナにかけると、涙で腫れあがった
両目の見つめる先を追った。
 ボスの茶色い目はずっと――何とか息のある風紀委員長の姿を
捕らえて離さなかった。