モルヒネ




 あとどれくらい持ちそう、と尋ねられて医者は答えた。
手術をすれば二年、しなければ二ヶ月、と。
 痛くないのはどっち、と聞かれて医者は・・言葉を濁した。
その病が死ぬ間際に、患者にもたらすものが地獄の業火に焼かれるような
耐え難い苦痛であることを彼は、書物と経験から知っていた。


「獄寺君には言ってない。山本は薄々気づいてる。
ディーノさんには先週言った。リボーンは、最初から・・知ってたよ」


 矢継ぎ早に名前を上げられ医者は顎鬚をかいた。言わないことも
伝えることも愛であり、信頼と敬意の裏返しであるとしたら
この悲劇の結末を知る自分はただの――傍観者なのだろうか、と。
 薄茶色の目に、栗色の髪がふわりと風になびく23歳と呼ぶには
あまりにも顔立ちが幼く――その語調が儚い日本から来たボンゴレの
後継者は、手の施しようの無い病の状態――いわゆる末期に差し掛かって
いた。


 増殖した余計な細胞を、皮膚を裂いて剥ぎ取ってしまえばあるいは
一縷の奇跡(たとえば医学の革命的な進歩)に望みを託すとしたら
この青年の命を――自分が予想するよりはもっと長らえさせることが
できるのかもしれない。医者がそう言うと、ツナはわらって答えた。


「でもそんなに長く・・入院できないよ」


 姿をくらますだけでイタリア中が大騒ぎになるような超重要人物、しかも
命にさえ法外な値段をかけられ、常に暗殺者から背後を狙われているような
マフィアの頭領・・それが何ヶ月も不在なんて、戦争を起こすようなもの、と
彼は歌うように答えた。


――これから死ぬ人間が、そんな迷惑をかけられないよ。


 そう言うツナの眼に浮かぶ人物をシャマルは想像して、その先に蓋をした。
イタリアに来てからずっと、どんないい女より大切に見てきた宝石のような
男の心残りはたぶん――ただひとり愛した、黒髪のヒットマンなのだろう。
 そのとき浮かんだ嵐のような嫉妬を彼は職務という肩書きでかき消した。
自分にはこの患者を看取る義務がある――そう言い聞かせて唇を少し噛んだ。
 思われるのが自分でないことにこんなに絶望したのは初めてだった。


 シャマルは窓枠に手をかけ沈む夕陽を見送るツナの背中をそっと
抱き寄せた。後ろから抱いたら、いくぶん質量の少なくなった体が
もたれ返してきた――まるで残りの命のすべてを、預けるように。


「・・俺が死んだら、誰にも言わないで、埋めて」


 叶えることはできない約束事に、医者は黙って頷いた。
この青年がこころ安らかに目を閉じることが出来るならどんな
絵空事でも、真実に書き換えてしまおうと男は本気で思った。


――なぁ、坊主。


 シャマルは言いかけて、言葉をもう一度飲み込んだ。苦い薬の
味がした。喉にとけたのは10年隠した、一握りの思いだった。


――いますぐ、楽に・・死なせてやろうか?


 何の苦痛も恐怖も無く、午睡を得るように楽園に行くことのできる
薬はたくさん――後ろの戸棚に並んでいた。そしてそれが体内から
検出されないよう摂取し、記録を改ざんする術を彼はいく通りも
心得ていた。
 望めばどんな形でも――眠らせてやれるのに、どうしていつも男は美しく
死にたがるのだろう。


 うっすらと朱色の空に闇が広がっていく。ゆっくりと終わる命の
残照のような落陽は、さながら散りゆく栄光のようだ。
白衣に、スーツを着た男の涙が滲んだとき男は、この愛が
モルヒネに変わればいいのに、と思った。


 今すぐ自分の腕の中で、楽に逝かせてやりたかった。