[ 古城の薔薇 ]





「そんなに怖い顔しなくても、いいですよ」
 と彼は言った。赤い右目と青い左目を、細めて。
「別に今すぐ、取って食べたりするわけじゃありませんからね」
 怯えるように見上げる茶色の瞳の少年に笑いかけると
彼は用意しておいた特別室の部屋を開けた。
 そこはこの城を島ごと買ったときから気に入っていた最上階の
ゲストハウスだった。中世に建てられたという古城は全面が白く
塗られており緑深い森の中で圧倒的な存在感を放っていた。
 目隠しをされて連れられたツナは、ここが何という国の
領土であるかさえわからなかった。覚えているのは誰かの
叫び声(10代目、と呼ぶ)とどんどん遠くなるヘリコプターの
音だった。
 ツナを中央の天蓋付きのベッドに座らせると、骸はアンティークの
細工が見事な腰掛をひとつ彼の前に置き、座って下肢を組んだ。膝の上に
肘を乗せ、右手に顎を乗せて微笑む――彼の決まりのポーズだった。


「・・まずは、取引をしませんか?」
 骸は持ちかけた。無言のツナがじっと見つめる。その瞳はまだ
震えている。
「君は僕の言うことを聞く、だから僕も君と約束をします。
簡単でしょう?」
 逃げ出さない、嘘をつかない、きちんと挨拶をする――指折り数えて
三つ並べると彼はその三本を崩してひとさし指を右目に当てた。血よりも
濃い緋と六の字が宿る不思議な、禍々しい眼。
「僕はこの眼を使わないと約束します」
 何なら、君に差し上げましょうか?・・と付け加えて骸は悪戯っぽく
笑った。ボンゴレから取り上げた兎が、しげしげと自分を見つめて
興味を向ける――こんなことが嬉しいなんて、意外だった。
「移植するんじゃないですよ?君の思うままに使ってもいい・・」
 誰か、思い通りにしたいものがあるのなら、と彼が言うとツナは
恐怖と不審を彼に向け返した。自分を無理矢理攫っておいて、言うことを
聞くなんて虫が良すぎる。
「・・思い通りにしたいものなんて、ありません」
 ツナの答えに骸は極上の微笑を浮かべた。至極満足そうだった。
「そうですか」
 君ならそう言うと、思っていましたよ。
 数多の敵を催眠眼で操作した男は頷くと、視線を伏せた。
さっきからずっと、彼を見ているというのに――なかなか術が
きかない。
「ではこうしましょう。君の望まない方には、この眼は使わない」
 この約束でどうでしょうか、と告げられツナは頷いた。自分の
周囲を巻き込まないならと飲んだ人質の条件だった。自分が
この部屋に入った瞬間、すべての戦闘は停止――平和が戻った
はずだった。
 身を捨てた理由はただひとつ、仲間を守りたかったから。




「じゃあ、僕の言うことも聞いてくださいね」


 骸はそう言うと姿勢を直して立ち上がり、ツナに近づいた。
すこしだけ怯んだ顎を持ち上げ、上目使いの瞳を見つめる。


「――少しは、効いてきました・・?」
 薄い茶色の眼が、まじまじと自分を見た。震える唇は今にも
赦しを請いそうな隙間を開けて自分を誘う。催眠をかける前でさえ
これだ、彼らの部下も相当――我慢したんだろうな、と骸は
ふと思った。


 程なくしてツナは気を失った。一種の催眠状態に入ったのだ。
この状態で投げかけた言葉はすべて目覚めた彼自身に反映される。
死ねといえばそうするし、自分を愛せと言えばためらいなく足を
開く――従順な人形に。


 ベッドに横たわるツナの前髪をかき上げ、骸はその細い首に右手を
かけた。小さな喉仏の上、圧迫すれば五分で死ねる場所。今なら何の
苦しみも無く地獄へ行かせてやることができる――今生で地獄を見る
前に。
 骸が右手の親指に力を込めたときだった。小さな声が手の奥の喉から
漏れ、彼は思わず指腹を皮膚から離した。




「――・・むくろ・・さん」




 名前を呼んだのは偶然だったか、それとも。
閉じた眼から一筋涙が落ち彼はそれを珍しそうに見ていた。
殺そうとしたものを、そう思った瞬間に達成できなかったのは
これが初めてだった。


――仕切りなおしかな。


 息を吐いて彼はツナから手を離した。細い身体を抱き上げベッドの
中央まで運ぶとそっと彼を下ろし、上布団をかけた。眠る彼の横顔は
部屋の正面にかけられた油絵の聖母によく似ていた。
 珍しいことをしている、と骸自身も思ったが、あまり気に留めないこと
にした。ボンゴレの名前さえ手に入ればどうでもいい子供だ。いつでも
殺せる。


 骸は何の言葉も残さないまま部屋を後にした。


 受話器を上げた途端、繋がる直通のラインは部下の一人の携帯電話
に繋がっている。戦闘中でない方がボスの連絡に答える決まりだった。
「ああ・・千種?――そう、つれてきたよ。
殺した?まさか・・僕だってそんなに気は早くないよ。
それからそこの残党、皆殺しにしていいからね」


   端的に告げると受話器は音を立てて下りた。ギロチンのような
金属音が部屋に響く。細く白い薔薇はまだ、眠ったままだった。