『なんにもいらない。貴方だけいてほしい』
校門を抜けると、傾きかけた西の陽が沈んでいた。
「寒っ」とツナは身を震わせ、悴んだ両手を擦り合わせる。
吹きかけた白い吐息の向こうに、よく見る後姿があった。
「獄寺君・・」
――あんなに、先に帰っててって言ったのに・・
忠犬ハチ公のように校門でツナを待ち続ける獄寺の姿は
学校でもちょっとした名物になっていた。
夏の暑い日は樹の陰で、雨の日は傘を差し
嵐の日は下駄箱でただ、ツナを待ち続ける。
その姿見たさの女子が校門周辺に群がり教師から
苦情がきた程(獄寺ではなく、ツナに)なのに
当の本人は全く意に介する様子もなく寧ろうきうきと
ツナの下校を待っている。
そして補習を終えて下校するツナに、さも今自分が
そこを通りかかった様子で尋ねるのだ。
『奇遇っすね10代目!一緒に帰りませんか?』
あまりの執着に閉口したツナが、待ち伏せの理由を
尋ねると、獄寺は困ったような顔をした。
「迷惑っすかね・・こういうの」
俺は別に迷惑じゃないんだけど、とツナが言うと
獄寺は満面の笑みを浮かべた。自分の言葉一つで
くるくると表情が変わる。それは面白いし、正直嬉しい。
「でも、雨の日はいいからね?それからあんまり
遅くなるときは言うから、先に帰ってて」
そうツナが念押しすると、獄寺はもの分かりよく返事をした
がツナの言いつけを聞いた試しがなかった。
気圧は西高東低。午後からは雪、と報じた天気予報。
1時間では絶対に終わらない数学の補習。
白く霞む窓の向こうを見ながら、ツナは今日こそは
さすがの獄寺君も先に帰っているよな・・と思っていた。
「お疲れさまっす、10代目!」
白い息を弾ませながら喜色満面で近づいてくる獄寺とは
対照的に、迎えるツナは少々困惑していた。
「・・待ってたの?」
何、ものの数分ですけど、と獄寺は笑う。ツナを気負わせない
ための嘘だが、今日は直ぐに見破られた。
「雪、積もってるよ。獄寺君」
コートの襟に薄っすらと積もった雪は、獄寺が補習の
間中外でツナを待っていた証拠だった。
「・・ごめんね。俺、待たせてばかりで」
どうして涙が出るのだろう、とツナは思う。
帰りを待つのも、先に帰らないのも彼の勝手なのに
止めてくれといっても絶対に止めない。
でも嬉しそうに近づいてくる彼の姿を見るとほっとするし
姿が見えないとさみしい。
今日みたいな寒い日や土砂降りの日は風邪を引かないか
心配になる・・なのに、本人はいたって満足そうな様子で校門を出る
ツナを出迎えるのだ。
「ボスを無事にお送りするのも、右腕の役目です!」と言って。
突然のツナの涙に慌てたのは獄寺だった。
口をついて出てくるのは、「すいません」とか「俺・・」とか
「10代目」とか意味を成さない単語ばかりで、ほろほろと涙を零す
ツナの周りを右往左往する姿はいかにも頼りない。
それでも意を決したのか、獄寺はふいにツナの両肩を掴むと
そのままぐいと自分に引き寄せた。
獄寺の両腕の中にツナはすっぽり納まってしまう。
自分の顔がツナには見えないのは獄寺にとっては都合がよかった。
なぜなら今の自分はきっと茹で蛸のように真っ赤っ赤だから。
「10代目・・その・・」
あの、と獄寺は続けてから押し黙った。抱き寄せたまではよかったが
うまく言葉が続かない。為すがまま自分の腕の中にいる10代目の気持ちも
分からない。
ひとつだけ分かるのは、泣かせてしまったのは自分だ、ということ。
「・・すいません、俺」
ぷっ、と腕の中のツナが笑った。
「さっきから獄寺君、『すいません』しか言ってないよ」
ツナのからかうような声に、獄寺の心臓は高鳴った。
腕の中に誰よりも何よりも大好きな人がいる。そして笑っている。
「・・あったかいね」
抱きしめたのは自分のほうなのに、腰に回ったツナの細い腕に
獄寺はどきりとした。
「もう・・怒ってませんか?10代目」
うん、と小さくツナは呟いた。怒っているわけじゃないんだけど、と
心の中で訂正しながら。
獄寺君の腕の中にいたらほっとした・・なんて。
言わないでおこうとツナは思った。
見上げた彼の顔は吹き零れそうなほど赤く、緊張のあまり
肩は微かに震えていたから。
でももう少しだけこのままでいたい。
そして獄寺君も自分と同じことを考えていたらいいのに・・と、ツナは思う。
そうしたらなんで泣いてしまったのか教えてあげよう。
答えはもう、出てしまっているから。
<終わり>