[ ねがいごと ]
「七夕って何すか?」
一番星の光る帰り道、いつもの補習でこってり
絞られた俺をあいかわらずの気の長さで待っていて
くれた彼は、開口一番そう言った。
「ああ・・今日って7月7日だったっけ」
墨を広げたような空に瞬く天の川を眺めながら
俺は思い出したように答えた。天の怒りをかった
恋人同士が一年に一度だけ逢える夜なんだと、俺は
彼に説明した。
その晩笹の葉に託した願い事が叶うという古くからの
風習も含めて。
「十代目は何か・・願い事したんすか?」
そうだなぁ・・と俺は頸を傾けた。うちには
笹なんてないし、いざ短冊を渡されたとしても
何を願っていいのかなんて分からない。
欲しいものならたくさんあるのに、願うことって
存外見つからないんだ。
「・・あんまり思いつかないかも」
困った俺が頸を落とすと、嬉しそうな笑みを浮かべた
彼の横顔が隣にあった。
「俺も、思いつかないです。願い事なんて」
――だって、願い事は祈るものじゃなくて
叶えるものでしょう?
歌うような彼のまっすぐな言葉に、俺はただ頷いた。
そんな前向きな理由で願い事がないわけでは
なかったけれども。
星座の伝説になんて頼らない、という彼の姿勢は
己の行き先を自分で切り開いてきた彼の生き方
そのもののように思えた。
「それに・・全部、叶っちゃってますから」
――全部?
そう弾むように続いた彼の言葉に、俺は
心臓が飛び上がりそうになった。
触れた彼の右手が、そっと俺の左手を
掴んだからだった。
「・・だから、願い事なんて一つもないです」
握り締めた彼の手は俺より一回り大きくて
すこしだけひんやりとしていた。いつもはごつごつ
とした指輪を嵌めている長い指は、何一つ装飾品を
身につけていなかった。
何億光年の彼方で生まれた光が煌く夜空は
宝石をちりばめた真っ黒な緞帳みたいだった。
願い事なんてひとつもないと彼は言ったけど。
そのとき締め付けられるように願ったことはたったひとつ。
薄暗闇が広がる帰り道が出来る限り長く
永遠に続いて欲しい。
できるだけ長く、強くこの手を
――離さないで。