どんな形でも、どんな恋でも。
不機嫌な「彼」との日常
違和感に気づいたのは目を開けたときだった。
いつもより随分ご飯を入れるお皿が小さい。
さらに書斎の机も椅子も縮んでいた。
見上げているはずの観葉植物を見下ろしている。
そしてすごく寒かった。
俺は何の毛皮もまとっていなかったからだ。
「・・えっ、ええっ?」
喉から出てきた言葉もおかしかった。
いつもの「にぃ」や「にゃ」あじゃない。
俺はご主人様が話す不可解な言葉を流暢に話していた。
自分でも何が何だか分からなかった。
「・・気づいたみたいだね」
「わあっ!」
俺が飛び退ると、雲雀さんは笑って俺に
灰色のパーカーとお揃いのズボンをふわりとかけた。
これを着ろ・・ということなのだろうか?でも俺は・・
「雲雀さん、俺・・」
「人間になった気分はどう?」
「・・え?」
――人間?
肌色の手のひらをじっと見る。脚も。
ふさふさの黒い毛並みも、肉球もない。
お腹も背中もつるつるだ。
鼻も引っ込んだし、牙もなくなった。
何より・・にゃあとうまく鳴くことができない。
「でも少し失敗したんだよね・・気分は悪くない?」
俺はふるふると首を振る。
気分はいいが違和感が先立って仕方がない。
四つ這いでうまく歩けない。
前足と後ろ足ではなく、手と足がばらばらに動いてしまうのだ。それに・・
「――耳は残っちゃったみたいだね。それに・・尻尾も」
頭の横に生えていたのは、肌色の耳ではなくふさふさした
黒い毛並みに覆われた獣の耳だった。
尻の間からはするりと黒い尻尾が伸びている。
「・・まぁ、初めてなら上出来か」
「あ・・あの、雲雀さん・・」
――もしかして・・俺・・
「しばらく人間として生活してもらうからね、綱吉」
「・・ええっ?」
それが、始まりだったんだ。
まずは自己紹介をするね。
俺の名前は沢田綱吉。
職業は元・黒猫。
今は・・ここにいる雲雀さんの助手、かな。
「じゃなきゃただの居候だろうね」
う・・確かにその通りかも。
「ぶつぶつ言ってないで早く続けたら?」
は、はい・・!・・それで、彼の「新薬」の実験とやらで
俺はたった今人間の姿にされてしまったわけで。
「いくらなんでも話はしょりすぎじゃない?」
す・・すいません・・!
・・雲雀さんは並森大学で獣医学の研究をしてて・・
「風紀委員もしてるよ」
そう、風紀委員なんて物騒なこともしてます
(この仕事はどうも中学のころからやっているみたいです)
「物騒は余分じゃないの?」
「はぁ・・」
「まったく・・君にナレーションを任せるとろくなことにならないね」
「す、すいません・・」
雲雀さんは腰を上げると、俺をすとん、とソファーの上に押し倒した。
視界に広がるのは口元をわずかに上げた雲雀さんと・・研究室の電灯だけだった。
「・・さて、じゃあ確認をしようか」
――か、確認って。何を?
「ひ・・雲雀さん・・!」
「おとなしくしてるんだよ」
「あっ、ちょっと待ってください・・っ、あ!」
唇を塞がれて俺は肩を突っ張らせた。人間で言うところのキスをされている
・・と気づくには10秒かかった。
彼が俺の唇を、解放してくれるまで。
「んっ・・ふぅ・・ん、・んんっ!」
うまく息継ぎが出来なくて唾液が零れると雲雀さんはそれを舐めて微笑んだ。
「猫でも・・感じるんだ?」
「やめてください・・、あっ」
雲雀さんがぎゅっ、と俺の脚と脚の間を握り締める。
彼が何を指して微笑んでいるか見当がついて俺の顔も
噴火してしまいそうなくらい熱くなった。
人間でいうところの赤面という状態だ。
「もうこんなに硬くなってる、そんなにいい?」
彼は珍しそうに俺の主張を揉みほぐした。触れられるだけで腰が逃げてしまう。
「やあっ・・ん、・・っあ・・だめですっ!」
もぞもぞと腰を捻ると彼はするりと俺の脚からズボンを引き抜いた。
何のために服を着せられたのかまったく分からない。
「・・もうこんなにして、綱吉は淫乱だね」
「違います、・・っあ!」
彼はかがんで、俺のそれをぺろりと舐めた。
猫がミルクをなめるように。
「や、だめ・・雲雀さ・・!」
いやいやと隠そうとした腕をつかまれ、俺は涙を流して懇願した。
離してください、やめてくださいこんなこと・・!
彼は俺から舌を離すと、こう耳打ちした。
「・・ねぇ綱吉、君は・・実験体だったよね?」
俺は声もなくうなづいた。
そう、動物実験用に飼われていた俺を
引き取ってくれたのが雲雀さんだったのだ。
「僕の命令に従わないとどうなるか・・分かる?」
「・・はい・・分かっています」
俺はすぐさま研究室に送り返され、怪しげな薬品を打たれるだろう。
俺が選ぶことのできる道はただひとつしかなかった。
雲雀さんは俺の腕を離すと、もういちど俺の主張を両手で
擦りあげて先端をぺろぺろと舐めた。
下腹部から快楽が湧き上がってきて今にも弾けそうになる。
「・・やっん・・んぁ・・雲雀さんっ!」
かたちの無い声を振り絞ったとたん、俺のそれがぴくりと跳ねた。
それは雲雀さんの口の中に生暖かいものを吐き出した。
・・それが初めての射精だ、と気づいた瞬間俺は・・
どうしても涙を止めることができなかった。
情けなくて、恥ずかしかった。
どうして、こんなことをされないといけないのか。
――俺が、動物実験用だから?
「雲雀さん・・俺っ・・」
鼻水をすすりながらしゃっくりをあげると、
彼はやれやれとため息をついた。
「・・君、発情期って無かったの?」
「な・・無いです、そんな」
元猫になんてことを聞くのだろう。
ずっと雲雀さんの背中を眺めて暮らしていて
俺には他の猫と触れ合う機会すら与えられなかった。
それに・・俺は――
「じゃあ僕が初めてなんだ」
彼は嬉しそうに言った。
俺の太ももをぐい、と持ち上げて。
「初めてって何ですか・・あっ!」
俺が尋ねるより早く彼は、俺のかなり後方・・
尻尾の生えている直前のあたりに何か硬くて熱いものを押し付けた。
それが彼の膨らんだものと気づいた瞬間、俺は悲鳴を上げた。
「やだ!やめてください・・!」
どうして、と彼は囁く。
俺の体を侵食しながら。
犯されているのは、入れ物だけじゃない。
「確認したくない?」
「な、何を・・」
そう、彼は言った。何かを確かめようと。
「・・僕が君を愛しているか」
「・・!」
彼の言葉に返事が出来ない。
目を真ん丸くした俺を見下ろすと彼はぐいぐいと腰を押し進めた。
俺のここはどうして・・彼を受け入れてしまうのだろう。
自分で自分が分からなくなる。
「・・いっ、痛いです・・雲雀さん・・っ!」
涙を零して腰を揺らすと、彼はそれをぺろりと舐めて俺に言った。
「・・うん、でも・・いいって顔してるよ、綱吉?」
俺は首を振ったけれど、ごまかすことが出来なかった。
入ってくる彼が自分を身体の奥から壊していくようだ。
痛い、怖い、擦り切れる・・気持ちいい。
結局のところ俺はにゃあにゃあとみっともない声を出して彼に縋りついた。
感じてしまっているなんて・・彼にだけは知られたくないのに!
「ああ・・いいときだけは猫に戻るんだね・・」
俺を突き上げながら恍惚を言い放つ彼の横顔は、
達する寸前でも優雅で綺麗だった。
もう一度目をあけたときも俺は人間だった。
彼がさんざんかじった耳も、引っ張って楽しんだ尻尾も
しっかりと肌についていた。
もう馴染んでいるといってもよかった。
「・・おはよう」
「お、おはようございます・・!」
声に飛び起きると、雲雀さんはいつもの白衣に黒いシャツ・・
黒いズボンという格好だった。
俺は布団を引き寄せると身体に巻いた。
また何も身に着けていなかった。
「・・気分はどう?」
俺の顎を指で上げて彼は言う。
どきどきしてしまうので俺は視線を床に落として答えた。
「悪くない・・です」
嘘だった。
身体のあちこちは軋んでのどはガラガラ、心の奥は
握りつぶされて砕けてしまいそうだった。
でも彼にこの異常を伝えればまた俺は・・
四角い実験室に戻されてしまう。
それがとても、怖かった。
「・・どうしてうそをつくの?」
「・・え?」
彼の声が優しくて、俺は上を向いた。
漆黒の瞳が俺を見つめている。
切れ長の優しい目・・どうして彼は
俺の胸のうちを読んでしまうのだろう?これでは・・
「――雲雀さんが・・好きだから・・です」
答えはとうに胸の奥で出ていた。
でも言葉にするのが怖かった。
俺はもの好きな彼が持ちかったただの猫で。
彼がいなかれば銀の檻で一生を迎えるサンプルだったのに・・
彼が俺を助けてくれた。
あの薬品と注射器の部屋から俺を・・救い出してくれたんだ。
一時の気まぐれでもよかった。
彼は俺の命の恩人で・・大切なご主人様だったのだ。
「・・じゃあ嘘、つかなくて・・いいよ」
彼の唇が頬に舞い降りてきて、俺は彼のキスに身を委ねた。
それから今度はベッドの上でもう一度彼のいう確認行為が始まった
としても、それでもよかった。
凶暴で乱暴でとてつもなく優しい、この全然理解できないひとが
死ぬほど好きだった。
それから一週間後、俺はまだ人間だった。
俺は彼のご飯をつくったり、レポートを代筆したり、
彼の夜のお世話をしたりして毎日を過ごしていた。
彼の研究室にはだれも近づかなかったので俺の存在は
誰にも知られることはなかった。
不幸中の幸い、といったところだろうか。
その日彼は試験管をいくつか並べたケースを
戸棚に仕舞いながら俺に言った。
「・・どうも失敗作みたいなんだ」
「え?何がですか」
「君」
「・・・」
彼の言わんとすることがつかめなくて彼を見つめると
「だから、ずっとここにいてもいいよ」
「・・・」
俺は頭を下げた。泣いているからだった。
彼は脚立から降りると俺の頭をくしゃくしゃに撫でた。
優しい手のひらはいつも温かかった。
「・・猫に戻す薬、失敗しちゃってね」
「え?」
彼は申し訳なさそうに言って、にっこりと笑った。
俺はハンマーで後頭部を殴られたくらいの衝撃を受けた。
「だから今日の晩御飯も風呂掃除もレポートもよろしく、綱吉」
「え・・ちょっと待ってください、雲雀さん・・!」
――それって・・
永久にこき使われるってことですか?
俺が涙を拭きながら抗議すると、彼は猫用の首輪を持って俺に微笑んだ。
その手の先の鎖がじゃらりと音を立てた瞬間、嫌な予感が背筋を駆け抜けた。
「不満なら形だけでも猫に戻してあげてもいいけど」
「い、いえいいです!お米たいてきます・・!」
身を翻した俺に彼が「今日は秋刀魚の塩焼きでいいから」と猫じみたオーダーを言う。
俺と彼のスリリングで暴力的、ときどき愛な日常はまだ、始まったばかりだった。
***
たまきさんに捧げます。
素敵なヒバツナをありがとうございました。