[ 午後三時、リゾートランドにて ]
「わーっ、すごいね・・いろんな魚がいるんだ」
水槽を覗き込みながらツナは、歓声を上げた。眼も覚めるような
青、奇抜な緑、毒々しい赤・・様々な色を鱗に乗せた魚達が
悠々と泳いでいる。マフィアランドの中でも選ばれたVIPのみ
入場できるというリゾートランドは、代々マフィアのボスや
アルコバレーノの御用達であった。リボーンに連れられてそこを
訪れたツナは十年前の惨事を例に出して口を尖らせた。
「どうして十年前はここの存在を教えてくれなかったの?」
確かあのときはスカルが乗り込んできてあわや戦争に担ぎ
出されるところだったのだ、あまり良い思い出ではなかった。
ふくれっ面のボスにリボーンは「馬鹿」と返事をした。
「十年前はただの、ボス候補だっただろうが」
「・・そんなに違うの?」
――ボスと、ボス候補って、と尋ねられて彼は息を吐いた。
「大有りだ」
――だから、ここに来ることが出来る意味をもう少しその足りない
脳みそで考えてくれないか?
後半の台詞は胸の中にとどめておく。みなまで教えては教育に
ならない。
リゾートランドはマフィアランドのほぼ反対側、地球を一周した
地点に位置する。地図にも記されていないし、探査衛星でも把握は
不可能だ。なぜならこの「島」は可動する。必要ならミサイル防衛も
可能な船状要塞であった。
この島の居場所と、秘密を知るのはリボーンと限られたマフィアの
ボスだけだが、のんびりと水槽を見つめるツナとスカルはこの土地を
ただの大きな島と思っていた。
「それにしても凄いね・・これ全部スカルが世話してるの?」
ツナの言葉にスカルは頷いた。十年立って身長こそ伸びたものの
その風貌は変わらない。フルフェイスのヘルメットをかぶったまま
だったが、奥の表情は照れているのだろう。
スカルは熱帯魚の餌を取り出すと、ツナに手渡し
「これ、やってもいいぞ」
と言った。通りの悪い声だがツナも慣れていたので「ありがとう」
と受け取った。
リゾートランドにはそれぞれの私有地があり、アルコバレーノ
は専用の別荘を所有していた。普段マフィアランドに勤めているコロネロも
休暇時にはこちらへ来て羽を伸ばすという。ただし、海洋演習と射撃訓練は
欠かさないが。
ツナとリボーン、コロネロはスカルの別荘に立ち寄っていた。根が神経質
なスカルの別荘は隅々まで掃除が行き届いており、歓談するにはちょうどよい
場所であった(ちなみにリボーンの別荘は非公開、コロネロの別邸は
ほぼ武器庫である)。
さっきからツナの関心を集めている水槽は玄関を入って直ぐ、アーチ型の
天井が美しい応接室に、壁を一回りするように設置されていた。水槽の向こうに
太平洋を臨む、空と海の青が混じりあう貴賓室である。
普段従えるペットは別として、スカルの趣味は悪くない。
それがまだ別荘を持たないツナを、彼の私邸に呼んだ理由だった。
「ほらほら、餌上げるよー」
ツナが魚に餌をやる様は見ていて可愛らしく、とてもマフィアのボスとは
思えない。事実、フゥ太のランキングでも「守ってあげたいボス第一位」は
三年連続ぶっちぎりボンゴレ十代目であった。
――微笑ましいというか、抜けているというか・・
巨大水槽に身を乗り出して餌をやるボスに、リボーンは苦笑した。
そばについているスカルはおそらくツナに見とれている。事実上の
骨抜きだ。悪くない――とリボーンは思う。手持ちの駒は多いほうが
良い。
スカルの用意したトロピカルジュースを飲みながら、コロネロは
足を組みなおした。まさか魚を見るためだけに、虹の名前を持つものが
三人も集まることは無いだろう。
「・・用件は何だ、コラ」
リボーンは組んだ両手を机に乗せて、あいつのことだ、と
答えた。
「――そんなの見れば分かるぜ、コラ」
リボーンが彼をここに呼んだ時点で、彼を十代目と
認めたことになるのは周知の事実だ。それを見抜けない程
平和ぼけしたつもりはない。
「――あいつを、育ててやって欲しい」
リボーンの言葉にコロネロは目を丸くした。殊勝だな、と
言いたげな蒼い目が、黒い瞳を覗き込む。
「それはお前の仕事だろ、コラ」
リボーンは頷いて指を組んだ。珍しいことだとは思っているが
背に腹は変えられない時もある――彼を守るためならば。
「・・ちょっと私用があるんでな。預かって欲しいんだよ」
「――ボスをか?」
そうだ、と彼は答える。出張ならいくらでもあるだろう、まして
留守番も出来ないボスではあるまい――と思考を巡らしコロネロは
ある一つの結論にたどり着いた。言葉にしてはならない答えだった。
「・・決めたんだな、コラ」
「――そうだ」
リボーンの眼光が鋭い。コロネロの指摘に彼も気づいただろう。
ツナをボンゴレに置いていけない理由がそこにある。
リボーンは九代目を殺しにいくのだ。名実共にツナを十代目に
押し上げるために。
「・・長かったな」
コロネロは籐製のチェアーで背伸びをした。どうせここに滞在するの
なら、アマゾンから丸ごと仕入れた密林でサバイバルを仕込んでやろうと
思った。それからファルコを連れて鷹狩りだ、乗馬も教えなければならない。
「ああ・・いい奴だったよ」
リボーンは瞳を閉じた。今はただ、人工呼吸器で生かされているだけの
ボス。殺すのは簡単だ、スイッチを切ればいい。ただ、生かすのは難しい。
今目の間で魚と戯れる、天使のような微笑を持つ――こころ
優しい男を、修羅の道で生かすことは。
経験は警鐘を鳴らしたが、リボーンはそれを拒んだ。
ツナしかいないと彼は思った。ボンゴレ十代目が
彼でしか為しえないのではない――自分が仕えるのは
生涯この男しかいないのだ。
それがどんなに無謀で、自らをも危険に晒す選択であっても。
「まぁ・・いいんじゃねーのか」
コラ、とコロネロは席を立ち、肩を回した。もともと
じっとしているのが苦手な男だ。
「お前がびっくりするくらい、しごいておいてやるぜ?」
覚悟しとけよ、コラ、と言い残してコロネロは私邸へ
向かった。さっそくライフル演習でも始めそうな背中だった。
「・・頼む」
リボーンは小さく言うと、玄関へ足を伸ばした。
その時だった。
「――リボーン!」
声に追いかけられ、振り向くといつのまにかツナが真後ろに
立っていた。密談を聞かれていたとは思わないが、さすがのリボーンも
驚きを表情に見せた。
「・・行くの?」
「――ああ」
「いつ、帰ってくるの?」
「・・しばらく先だな」
戦争が終わるまでは、という付け足しは言わない。
リボーンは帽子を取るとそれをぽん、とツナの頭に乗せた。
それは十年触ることさえ許されなかった、彼の持ち物だった。
「お前に預けておく」
汚したら殺すぞ、と言ってリボーンは踵を返した。
長居は情が移るからよくない、と自覚しているが
泣き出しそうなボスを見ていると胸が痛むのも
確かだった。
「・・リボーン、俺――」
待ってるからね、君がびっくりするくらい・・
強くなるから。
どんなに逆立ちしたって君には――叶わないだろうけど。
ツナの言葉は続かなかった。泣くものか、と思っていた
けれど一度も振り向かない彼の背中を見送ると自然と視界が
潤んだ。泣き顔で見送りたくないので帽子で顔を隠す。
一度も敵の前で外したことが無いというそれは、彼の誇りでも
あった。
愛する人の背中を見送るボスの後姿を、スカルは後片づけを
しながら何度か仰ぎ見た。小さなボスの背中は最後まで
彼を見送り視線を離さなかった。その茶色い瞳に光るものを
見たとき、スカルの心臓もまた熱くなったが・・今は彼を
そっとしておこうと思った。
日が沈むまでにはコロネロも準備万端で戻ってくるだろうと
彼は思った。長期滞在は久しぶりなので初めはパーティでも
した方がいいのだろうか――とスカルは考えながらさっき二人が歓談
していたテーブルを拭いた。
「――ありがとう、スカル。手伝うよ」
振り向いたときには極上の笑顔が机の向かい側に立っていた。
ツナは二人の飲み残したグラスを持ってキッチンに走っていく。
まずはリゾートランドの市場に食料を買出しに行こう、と
スカルが提案すると、黒い帽子を斜め掛けに頭に載せたツナは
うん、と嬉しそうに頷いた。