[ おはよう ]
チャイムが鳴ってドアを開けると、勢いよく小さな影が
飛びついてきた。
「ツナ兄・・!久しぶり!!」
嬉しそうな声を上げたのはフゥ太だった。
びっくりすると蒼い兎になってしまうという彼は、一部のハンターには
非常に名の通った情報屋である。その所在の不明確さは伝説的で
故に星の王子、と呼ばれている。
「フゥ太・・ちょっと重いんだけど」
苦笑まじりで言うと、彼があっという間に引き剥がされて玄関に
転がった。彼に乱暴なことをするのは俺の知る限り世界にただ一人だ。
「ひ、雲雀さん・・」
普段は風紀委員、ときどき黒豹になる彼は例のごとく学ランを羽織って
腕組みをしている。冷たい視線をフゥ太に送り、彼は「やぁ」と言った。
笑ってはいないが機嫌の良い声だ。
「痛ーい、もう・・動物虐待反対っ!!」
頭を擦りながらフゥ太が起き上がると、雲雀さんは目の端を吊り上げて
「あんまり五月蝿いと狩るよ」
と言った。きゃーっ、とフゥ太は俺の後に逃げ込む。睨まれると
凄みが違うのは、やはり野獣の王と称されるその本性故なのだろうか。
「ちょっ・・二人とも、落ち着いて」
兎と黒豹に、仲良くしろとは言えないが、背中の後で震えている
フゥ太が不憫になり俺は間に入った。雲雀さんが満足気なのは相手が
怯えているからなのだろう。
「とりあえず、中入ってね・・」
二人を玄関からリビングに誘導すると、フゥ太は嬉しそうに俺の後から
飛び出してソファーの上で寝返りを打った。行動だけなら年相応の少年に
みえるが・・
「ツナ兄のおうちは標準日本家屋ランキング10位には入るよ」
ぱらぱらと皮の辞書(彼の商売道具であるランキングブック)を
捲る姿は既に一端の情報屋のものだ。彼は羽ペンを取り出すと家具を
一回り眺めて何かをさらさらと羊皮紙に書きとめている。早速データを
採取しているようだ。
対する雲雀さんはダイニングの椅子に座り悠々と紅茶を飲んでいた。
黒豹の癖に草食主義と言う彼は、甘いものが苦手で紅茶には何も入れない。
銘柄もアールグレイと決めているが、その詳しい理由は知らない。
「――今日、リボーンが来れないって聞いた?」
カップを口から離した彼に聞かれ、俺は頷いた。あれから――獄寺君が
長い長い眠りについてから、二人に会うのは勿論初めてで、リボーンと
会うこともなかった。
「・・理由は?」
雲雀さんの言葉に頸を振る。彼は息を吐いて「そう」と答えた。
何かを考えている眼差しだった。
その時再びチャイムが鳴った。玄関を開けるなり入ってきたのは
黒いスーツを着た、俺より倍は身長のありそうな金髪の男性だった。
「あ、あの・・」
俺と目が合うなり彼はにっこりと笑った。ダイヤモンドが束になっても
叶わないくらい綺麗な微笑だ――思わず見とれて言葉に窮すると彼は
蒼い目を細めて「お前がツナか?」と聞いた。
「・・は、はい・・そうです」
――なんで、俺の名前を知っているのだろう?
青い目を見上げると彼は、ディーノ、と名乗った。いきなり現れた
雑誌のモデルのような風貌の人物は元・リボーンの教え子だった。
「おっ、フゥ太じゃねーか」
「ディーノ兄・・!」
リビングに入るなり、フゥ太を見つけた彼は嬉しそうに声を
上げた。フゥ太も目を輝かせて彼に飛びつき、ディーノさんはよし
よしとその茶色い髪を撫でている。
「・・お知り合いなんですか?」
まぁな、とディーノさんは微笑んだ。
「なかなか捕まらないなと思ってたら、ツナのところにいたのかー」
へへへ、とフゥ太は鼻をこする。
「ツナ兄の紹介ならランキング情報料、割引するよ」
まんざらでもない様子のフゥ太に、ディーノさんは「太っ腹だな」と
言った。蒼い眼が嬉しそうに彼と俺を交互に見つめる。
「・・こいつに気に入られるとは、なかなかやるじゃねーか、ツナ」
「・・えっ!?」
急に話題を振られて俺は戸惑った。フゥ太とだって会うのは二度目、眠り
続けている例の彼の件でお世話になっただけだった。
「フゥ太の人を見る眼は確かだからな・・こいつが認めるならお前は
信用の置ける男だ」
ディーノさんの言葉に「なるほどね」と口を挟んだのは雲雀さん
だった。いつのまにかダイニングから移動し俺たちが話をするリビングの
中央に立っている。動く気配が全く無いところも、彼らしい。
「・・君が、リボーンが言ってた柄の悪い天使だね」
「て、天使・・!?」
ご名答、とディーノさんは微笑んだ。
「リボーンからの伝言があってな」
「――リボーンから?」
興味深々で彼の瞳を覗くと、サファイヤみたいな瞳がじっと俺を
覗き込んだ。何かを確かめているようだった。
「・・お前になら、話してもいいだろう」
ディーノさんはソファーに座ると、下肢を組んで腕をその上に置いた。
生前マフィアのボスだったという彼は、座る姿さえ貫禄があった。
俺とフゥ太はその向かいに座り、拳を握り締めて彼の話を待つ。
今日雲雀さんとフゥ太が俺の家を訪れたのは、近況の報告と彼についての
相談を聞いてもらうためでもあった。彼が眠りについてから、二週間後の
再会だった。
「あの悪童は起きたか?」
いえ・・と俺は頸を振る。そうか、とディーノさんは背中をソファーに
伸ばした。眉間に皺を寄せ蒼い視線が虚空を泳ぐ、ひとしきり考えた後
彼は「理論上はもう起きてもいいんだ」と言った。衝撃が重く、心臓を
揺さぶった。
命の源であるという銀の銃弾を身体に打ち込まれてからずっと獄寺君
は眠り続けている。息もあり、呼吸は温かい。生きていることは分かるが
肝心の――目が、覚めない。
俺はそれからいろいろなことを試した。昔話をしたり、音楽を聞かせたり
獄寺君の好きだったシーチキンの入ったオムライスを作ったり・・
でも、何度名前を呼んでも彼が目覚めることはなかった。背に腹は変えられない
と思った俺は思い切って応接室の扉を叩いた。人間の姿をした彼ならそこにいると
噂に聞いていたからだ。対応してくれたのは副委員長の人だったが、彼は雲雀さんの
名前を出すとこころよく伝言を引き受けてくれた。彼はわざわざフゥ太まで探し出して
くれたが、肝心のリボーンの所在はつかめないと言っていた。
翌日リボーンから手紙が届いた。そこには短く、代わりの者を送る、と
書き記してあった。
――それが、今目の前にいるディーノさんだった。
元リボーンの教え子でもある彼は生前イタリアで最も力のある
マフィアのボスだった。ファミリー内の抗争で命を落とした彼はその後
天上の世界で上級の天使にまで登りつめた。圧倒的なリーダーシップと
気さくな人柄が人望を集めたというが、そのカリスマ性は死後も健在
と言ったところなのだろう。
ディーノさんはこほん、と咳払いをすると言葉を続けた。
「・・確かに、命を呼び戻すには体力がいるから一定期間眠りに
つくのは予想できる。でもそれはせいぜい二日か三日だ。二週間も
寝ているのは明らかに――寝溜めか、起きるのをしぶっているのか
どっちかだ」
「・・そうですか」
彼の言葉に息も重くなった。彼は生きている――なのに目を覚まさない
ということは・・彼は起きたくは無いのだろうか。
――会いたいのは・・俺だけなのかな?
そう思うと泣きたくなるので慌てて眼をこすった。こんなことで泣いて
いたら彼を笑顔で迎えることなんてできない。何度か頸を振ってから
ディーノさんを仰ぐと、彼はやさしい眼をして笑っていた。
本当に絵本に出てくる天使みたいなひとだ。
「無理矢理起こすか?」
「・・え?」
にっこりと彼が笑うな否や、何かがぐるぐると俺の身体に巻きついた
それが茶色い鞭だと気づいた瞬間悲鳴を上げそうになったが彼の手が
俺の口を塞いだ。もごもごと喋るとディーノさんは
「ちょっと痛い思いさせるけどごめんな」
と言った。
――い、痛い思いって・・!
足を動かそうにも鞭が巻きついて体が動かない。がんじがらめにされた俺を
見てフゥ太は「ずるいよ、ディーノ兄!」と口を尖らせた。
そういう問題じゃない、と思いながらディーノさんを見上げると彼は
見事なくらい綺麗に微笑んで「じゃあ、あの悪童が追ってこなかったら
ツナこのまま貰ってくから」と言った。
「――!?」
何か叫びたいが言葉が出ない。ディーノさんは口を塞いだまま俺を
軽々と持ち上げる。連れて行かれる――と覚悟した時だった。
「・・傷、つけないでくれる?」
ふいに鞭の締め付け具合が緩まって、俺は彼の腕の中から地上に下ろされた。
鞭の食い込んだ両腕を擦ると、ディーノさんが「ごめんな」と言った。彼の
頸元には銀のトンファーが食い込んでいる。
「そろそろ・・これ、離してくれないか?」
雲雀さんは無言でトンファーを下ろす。消えない殺気に、部屋の中が
静まり帰った。
「あ、あの雲雀さん・・大丈夫、ですから」
ディーノさんを睨みつける彼にそう言うと、雲雀さんは振り向いて俺の腕を
高々と上げた。二の腕にくっきり、縄を巻いたような後が残っている。
「・・本気だったね?」
「ひ、雲雀さん・・!?」
傷を見つめる彼の眼は明らかに怒っている。
「――ばれた?」
ディーノさんはぺろりと舌を出して、両腕をスーツのポケットに入れた。
「あいつがいつまでも起きないんだったら、俺がかっ攫っていいって」
それが、リボーンの伝言――そう言ってディーノさんは窓の方へ歩き出した。
彼の背中に何かキラキラしたものが張り付いて俺は両目をこすった。スーツの
後姿から生えていたのは・・紛れも無い羽根だった。
「ディーノさん・・」
彼は振り向いて、じゃあな、と笑った。悪かったな・・あいつ起きなかったら
いつでも来いよ、と腕を振る。
――それって天国に行けってことだよね・・?
何て返事をしていいのか分からず手を振り返すと、ディーノさんは光の中に
徐々に消えていった。羽根が生えているから飛んで帰るのかと思ったが
どうやら向こうのドアが開くらしい。姿が消える直前ディーノさんは
俺を見て三番目、と言った。
「もしそれで起きないんだったら・・寝たふりだな」
ディーノさんの残した伝言は、最後の可能性だった。
「本当にディーノ兄はせっかちなんだから・・!」
ぷりぷりと怒りながらフゥ太はオレンジジュースを飲んだ。
嵐が去った後のリビングはなぜか殺伐としている。さっきディーノさんと
雲雀さんが一触即発だったからかもしれない。
「あ、あの・・雲雀さん・・ありがとうございます」
ディーノさんを見送った後、俺は雲雀さんに礼を言った。
黙々と二杯目の紅茶を飲んでいた彼は「別に」と答えた。
「あれで助けに行かないんだから、君の忠犬もよっぽど
熟睡してるか――」
よほど、君に会いたくないかどちらかなんじゃないの、と
言われて俺は俯いた。確かに雲雀さんが止めてくれなかったら
俺はあのままディーノさんのいる世界に連れて行かれていた
と思う。
――獄寺君、俺に会いたくないのかな・・
あまり想像をしたくないので、オレンジジュースを飲み込んだ。
澄んだ甘さがすっきりと喉を潤す。
――助けてくれなくてもいいから目を覚まして欲しい。
会いたい、ただそれだけが目の前にいてどうして・・
叶わないのだろう。
肩の震える俺を見て、雲雀さんは視線を伏せた。
「それか・・最後の可能性、だね」
「――ディーノさんの言ってた・・」
両目を擦って彼を見上げると、雲雀さんは「これでも同じ種類に
属しているからね、気持ちくらいは分かるよ」と言った。
***
次の日俺は茶色い柴犬を連れて家に帰った。もともとこんな小さな犬が
欲しいと思っていたのだ。腕の中に納まって言うことをよく聞く。投げた
ボールも口にくわえて戻ってくる。初めてテレビで見た子犬の瞳も、こんな
風にくりくりして愛らしかった。
俺はベッドで寝息を立てている獄寺君にその子犬を見せた。こいつが俺の
新しい家族だよ、と。
「可愛いでしょう?言うこともよく聞くし、大人しいし、だっこすると
暖かいし・・俺、こんな犬がほし――」
最後を言うより早く、何かが俺の肩を掴んだ。久しぶりに起きたせいか
彼はぐらりとベッドから落ち、俺の身体に倒れこんだ。彼と俺の間に挟まった
柴犬はきゃんきゃん鳴いて腕の中をすり抜けていった。
――囮にして、ごめんね。
子犬に心の中で謝って、俺はそれよりもっと大きな犬の髪を撫でた。
腕の中には入りきらないし、言うことはちっとも聞いてくれないし
時々暴走する――取り扱い注意な俺の、大切なひと。
「・・獄寺君、おはよう」
銀の髪を撫でたら、俺を抱きしめた彼が小さく「申し訳ありません」と
言った。いいよ、と俺は答える。彼は泣いているのだろうか、ちっとも顔を
上げてくれない。響くのはすすり泣く情けない声ばかりだ。
「もう二度と・・会えないかと思ってた」
涙がとめどなく、頬をつたって落ちた。
***
目を覚ました獄寺君は、肝心なことは綺麗さっぱり
忘れていた。自分が銀の狼であること、その過去、受けた呪い。
何から何まで頭の中は空白だったと言うのに、たった一つだけ
忘れていないことがあった。
それは俺のことを十代目と呼ぶ癖だった。
獄寺君は最初、何も覚えていないことを平身低頭して謝った。
覚悟もしていたし、かえって覚えていない方がいいことも
あると思ったので俺は気にしないで、と言った。俺のことを
覚えていなくて彼は彼だった。再び彼と出会った俺は、同じような
経緯を辿り――言うなれば彼と、恋に落ちた。
目を覚ました瞬間のことを彼はこう語る。俺が子犬を抱いていた時
抗いがたい何かが働いて自分を動かしたのだ、と。
「・・あの犬は、京子ちゃんから借りてきたんだよ」
俺が答えると獄寺君は安堵して蒼い瞳を細めた。喜んだ顔が
こんなにも胸を締め付けるなんて・・ずるいよ。
――君以外の存在と一緒に暮らすわけなんてないのに・・
彼が聞いたら泣いて喜びそうな台詞は黙っておく。
その肩にもたれると・・獄寺君は少し困ったように頬を赤くして
――しばらくして嬉しそうに俺の肩を抱いた。
間のとり方さえ変わらなかった。
「・・十代目、俺――」
「・・なぁに?」
肩に身を寄せて尋ねると獄寺君は「・・何でも、ありません」と
言った。ごつごつした右手に力が入る――このまま粘ってみたら
抱きしめてくれるかもしれない、と思う。
「ここにいても・・いいですか?」
「・・いいんじゃない?」
「じゅ、十代目ー・・」
「嘘だよ」
そばにいたいのは本当、でもまだ言いたくない。肝心な答えを
聞いてないから。
「・・獄寺君は、どうしたいの?」
――耳たぶまで、真っ赤だよ・・獄寺君。
俺はちっとも煮え切らない大好きな人と、午後三時を示す
時計を交互に眺めた。あと数時間、夕ご飯が出来るまで彼の
返事を待ってみようと思う。
彼を追いかけて何度も問いかけたことを。
――俺の答えはもう、出てしまっているから。
我慢比べは余り上手じゃないと記憶している。暴走したら
たぶん止められないけれど、それでいい。
困ったような、迷ったような顔で俺を何度も振り返る
彼にもたれ、俺は目を閉じた――あの日ディーノさんが帰った後
フゥ太が俺にウインクしながら言った言葉を思い出しながら。
彼を起こす最上の方法は一つだけ、それは俺にしか出来ない
とっておき。今日も明日も明後日も変わらないと思うこと。
フゥ太は、ランキングブックを取り出してこう言った。
――へたれがちなペットをたたき起こすランキングの第一位はね・・
新しいペットに「やきもち」を焼くことなんだよ、って。
(おしまい)