それは幾度となく繰り返される、ごく当たり前の日常だった。



「ツナ!明日数学の追試だって?俺も一緒だから勉強しねぇ?」
 笑いかけた山本に、肩を組まれてよろめくのもいつものこと。
「10代目に気安く触るんじゃねぇ!!」
 と眉根を吊り上げる獄寺君をなだめて、
そのまま仲が良いのか悪いのか分からない二人を
(山本は獄寺君のあしらいに長けているように思う)
連れて家に帰ると、ランボとイーピンが所狭しと走り回っている。
「ツナ、ランボさんはお腹が空いたぞ!」
 飛びついてきたランボを抱き上げると、その下でイーピンは
もじもじとしている。
「イーピンもおなか空いたの?」
 こくり、と小さな殺し屋は頷いた。

「あーそれはIに代入するんだよ、ツナ」
「そうなんだ?」
「――俺に聞いてくださいよ、10代目!」
 満腹になって並んで昼寝をする二人と、
(本人は否定するがランボとイーピンは実はとても仲がいい)
宿題をしながらも続く山本と獄寺君の掛け合い。
 騒がしいのはなんだか苦手だったはずなのに
こういうのって嫌いじゃないから、不思議。
だから少しだけ、大人になりたくない、
ずっとこのままでいたいって・・そう思った









「 大人になりたくない 」









 ――10年後、イタリアにて。

「今日は10時から同盟マフィア連絡会、正午に野党幹部との会食、
7時からはEU関連の会議です・・聞いてますか、10代目?」
「・・うん」
 ツナは革張りのソファーに寝転んで曖昧に相槌を打った。
イタリア語と英語、フランス語にも堪能な獄寺は今やツナに
なくてはならない右腕として、10代目のスケジュール管理も
任されている。
 ぱらぱらと捲った分厚い書類も獄寺は一読しただけで
理解したようだったが、ツナはその半分も読めなかった。

「あいかわらず、休みなしだね」
「選挙もありますし、EU関連でも立て込んでますね」
 いまはそういう時期なんで仕方ないです、と獄寺は言う。
「・・俺、いまいちそういうことよくわかんないんだけど」
「座っていてくださるだけで十分です」
 通訳は俺がします、と獄寺に言われてツナは頷いた。
ボス同士が交わす社交辞令を、何とか話せるレベルのツナには
同時通訳を務める獄寺の存在が会議に欠かせない。

「マフィア会議かぁ・・」
――あれ、苦手なんだよな。怖い人、いっぱいくるし・・。
 でも、集会ならランボと会えるかもしれないな・・とツナが
思っていると
「くれぐれもボヴィーノの牛と口を聞いたりしないように」
 と、獄寺に釘を刺される。
「・・やっぱりダメ?」
 あたりまえです、と獄寺は一蹴した。
「ボスが格下の・・しかもただの下っ端(の殺し屋)と
馴れ馴れしく話すなんてもってのほかです」
 部下に示しがつきません、と言われてツナはしゅんとした。

「だって獄寺君・・ランボに会わせてくれないじゃん」
「個人的に許せません」
「・・分かったよ」
 きっぱりと言い張る獄寺に白旗を挙げ、でも・・とツナは続ける。

「ディーノ兄さんはいいでしょ?」
「・・構いませんが」
 獄寺が語尾を濁らすと、
「向こうだってそんなに暇じゃないんだ。お前と違ってな」
 よく通る僅かに低い声が口を挟んだ。
「・・分かってるよ」
 ツナがむくれて振り向くと、後ろのドアの前に
リボーンが立っている。
 黒のスーツをきりりと着こなし、書類を小脇に抱える
姿は容姿こそ少年のものの、堅気とは思えない雰囲気を放っていた。

「あまり獄寺を困らせるな、もう子供じゃないんだから」
「はーい」
 いたってその気のない返事にリボーンは大げさにため息を
つくと、徐に書類を獄寺に手渡す。
それは、ツナには見せたくない部類に属するものなのだろう。
リボーンが目配せすると獄寺は小さく頷き、彼と入れ替わるように
部屋を後にした。
 ツナはその様子をじっと見ていたが、特に気に留めている
様子はない。
「・・久しぶりだね」 
 1週間ぶりだっけ?と向き直るツナに、リボーンは
「さぁ?」と語尾を上げ書類に眼を落とす。
「俺はお前と違って忙しいからな」
と、素っ気無い態度のリボーンにツナはいささか不満気だ。
「俺だって・・けっこう窮屈なんだよ?」
 ホテルのスイートに押し込められたまま、外出も
ままならないし。よく分からない会議に出て、無理やり
笑って酒飲んで。
 ひさしぶりに会ったと思った元・家庭教師は
自分と眼を合わせてもくれない。

ツナの言いたいことがリボーンには
手に取るように分かった。ただし、今は
他愛のないわがままを聞いている状況ではない。
 今眼の前にいるのはかつてのダメツナではなく、
唯一無二の、絶対のボスなのだから。

「俺も獄寺もそばにいるだろう」
 何が不満だ?と聞かれてツナは黙った。
野球留学でNYにいる山本以外はみんなイタリアにいて
リボーンに出会ったころと状況はそう変わってはいない。
 変わってしまったのは自らの立場とその環境なのだ。
それを踏まえず行動すればファミリー・・ひいてはマフィア社会
全体に影響を及ぼす。それゆえに獄寺の完全な警護があり、ひたすら身を
隠して生活しているのだ、とリボーンは暗に言う。

「・・分かってるよ」
 抗いようのないリボーンの言葉にすっかりむくれたツナは
ぷい、とそっぽを向いた。
 およそ23歳とも思えないその態度にリボーンは
のん気なものだ、と苦笑する。
 会議ひとつのためにどれだけ走り回っているのか
獄寺や自分の苦労を語りたい気分にもなったが
余計な情報をボスに伝える必要もない。
ひたすら籠の鳥にして甘やかしたのが
悪かったか・・とリボーンは思った。

「・・俺だけいつも蚊帳の外だよね」
 ぽつり、と真理をつかれてリボーンは思わず
書類を落としそうになる。
察しは良いほうではないが、何気なく大事なことに
気づく。それもツナの長所だった。
獄寺が通訳を務める理由は「ツナに言語が分からない」
という以前に、聞かせたくない会話が多いからである。
余計なことを知らせてツナを汚すような真似は慎みたい
・・と、リボーンは常々思っている。
周囲には甘いとよく言われるが、それが彼と
獄寺の共通認識だった。

  リボーンがツナの背中を見つめながら思考に耽っていると
「・・大人になりたくない、か」
 ふいに、ツナが呟いてリボーンは顔を上げた。
「何だ?」
「ずっと前に思ったんだ、まだ・・日本に居たときに。
あの時はみんないて毎日大騒ぎで、忙しかったけど、
楽しかったな」
 いやに感傷的だな、と言いかけたリボーンに
振り返ったツナは尋ねる。
「ね、リボーン。俺・・少しは、大人になった?」
 上目使いで聞かれてリボーンの声は、少し上ずった。
「そうだな――俺の愛人になれるレベルにまで来たぞ」
「それって褒め言葉なの?」
 最上級の意味でだが――彼は曖昧に「ああ」と答えた

 ――ツナ自身の所有する「危うさ」・・
それは少年とも青年とも見分けのつかない容姿と
ときどき妙に際立つ色気にある、とリボーンは思っている。
 気づかぬうちにそれに囚われ、離したくない・汚したくないと
いう庇護欲を掻き立てられてしまっていることは百も承知だ。

――大人になんて、ならなくてもいい。

 これは叶わぬ願い。いっそ満たされないのなら。

ずっと手の届くことの無い岸壁の花でいてほしい。







「珍しいな、勉強か?」
 ツナは地元紙を何束か取り出し、食い入るように
見つめている。
出国前の猛特訓の甲斐あって、ツナのイタリア語は
日常生活に支障のないレベルに達していた。
ただし時事用語や専門用語には強くないのが現状である。
「獄寺君にだけ、危ない橋渡らせたくないから」
 真剣に言いコーヒーを啜る姿に、リボーンは驚嘆を隠せなかった。
――いつまでたっても容姿に惑わされているのは、
こちらかもしれない。
自分が思う以上に、教え子にボス意識が根付いていたのかも
しれず、リボーンは苦笑した。

「EU関連の語録だ。会議の前に読んでおけば役立つ」
リボーンは手帳からいくつかメモを取り出し、
ツナに差し出した。
 普段は何でも自分で調べろと言って何ひとつ
教えてくれないスパルタ教師のサービスに、ツナは
驚く。
「珍しいね、リボーンがこんなに優しいの」
「特別講義だ。別料金だからな」
「出世払いでいい?」

 一生払わなくていいから、そばにいてくれ。

リボーンは自分の子供じみた独占欲に笑いながら
手帳のページを閉じた。





<終わり>