看守に名前と此処に来た理由を告げると、彼は黙って薄青色のノートを差し出した。
罫線に沿って偽名と虚偽の住所を書き込むと、彼は鉄の錠束から
一つの鍵を取り出して俺に渡した。
硬質な音を立てて開いた鈍色の門は、地獄を待つものを閉じ込める
光の届かない牢屋へと来訪者を導いていた。
錆びた看板には「此処に入るものはすべての希望を捨てよ」とイタリア語で書かれていた。


「くだらねー変装しやがって」
 濃い色のサングラスと、つばの広い帽子を目深に被った俺を一瞥するなり
鉄の柵の向こうで彼は皮肉を吐いた。
牢屋にまでボスを追いかける暗殺者がいるとするなら、そいつはよっぽどの馬鹿か
自惚れた手だれだった。
 仕方がないよ、と俺は帽子と眼鏡を外しながら答えた。


「こうしないと外出を許してもらえないんだ」
 俺の身辺管理にやたらと厳しい自称右腕の秘書を説得するだけでも二時間
扉の前で押し問答をした。
牢に通じる部屋の前まで随伴する、と約束してやっと此処までたどり着けたのだ。
リボーンの陣中見舞いに行きたい、と言ったのがどうやら彼に癇に障ったようだった。
「君は相変わらずだね」
 檻の向こうの黒いスーツの男は、両腕を組んだまま部屋の隅にもたれるように立っていた。
一流のヒットマンはいつ何時でも敵に後ろは見せない。
それがたとえ――埃と煤を被った薄暗い牢獄の中でもだ。


リボーンがイタリア東部に支部を構える中堅マフィアに秘密裏に潜入したのは
二ヶ月前のことだった。
その資金源や人間関係、ボンゴレに対する危険度などを調査するのが主な目的だった。
そのマフィア内で裏切り行為が発覚したのは、彼が潜入してから一週間後のことだった。
末端の構成員のひとりが、ボスの居場所を警察に売ったのだ。
裏切り者は即首を切られたが、警察の一斉摘発を受けたそのファミリーは一夜にして瓦解した。
ちょうど現場に居合わせたリボーンが拘束されたのは、不幸な事故という他なかった。


  俺は銀色のアタッシュケースから書類を取り出し、柵の間から彼に差し出した。
今日の訪問の目的は彼の様子を伺うことと、保釈の申請書にサインを貰うことだった。
「あと三日くらいで出してもらえると思うよ。彼が頑張って動いてくれたから」


 灰髪の秘書は爆薬だけでなく、法曹関係にも強かった。
彼はリボーン釈放の手続きを、拘留後一番に真っ先に整えてくれたのだ。
 リボーンはつかつかを黒い足音を立てて鉄の仕切りに近づくと
書類を右手で掠めるように受け取り、それを一瞥すると薄く笑みを零した。
「――これが、そいつの礼か?」


 左手を俺の襟元に差し入れた彼が手首に力を込めると、半透明のボタンが二三個弾け飛んだ。
千切れたシャツから覗く俺の鎖骨に咲いた紅い印はまぎれもなく
俺が彼に身体で払った謝礼の名残だった。
 一晩身体を預けて頂ければ、一週間以内に保釈まで漕ぎ付けてみますと豪語した彼に
俺は二の句も用意せず頷いた。抱き合うのに理由なんて要らなかった。
 彼の問いに微笑んだ俺の首筋に、リボーンは噛み付くようなキスをした。
赤く滲む歯形が点々と流線型を描いていく。
それは赤い花の散る鎖骨を越え、胸元をなぞり、臍に円を描いて俺の肉欲を弄んだ。


執拗に舐め上げる舌の動きに、痺れる下半身を支えきれなくなった俺は
柵に額をつけて体ごともたれ掛かった。
膝立ちになった彼は、両手で火照った俺の一部を支えると
なぞる様に抉るようにそれを舌先で攻め立てた。
握り締める錆びた杭はひどく冷えているのに、檻を挟む吐息は視野が曇るくらい熱い。


「保釈金は高ぇぞ?」
「・・幾らでも払うから、早く・・帰ってきて」


 罪を犯した者を収める焦げ色の箱の外と中で、俺たちは一つになった。
突き上げる彼を抱きしめると、迸った汗から僅かに鉄の匂いがした。

それはいつも彼がくれるキスと同じ――懐かしい血の味だった。