ねぇどうして君は間違えてしまったのだろう。
あんなに強く抱き合って、激しくお互いを求めた夜だったのに。


 彼の葬儀が終わった後、俺は焼かれた身体を白磁に詰め込んで
葬儀場を早々に後にした。
 覚えていたのは下界にでた時に飛び込んできた憎らしいくらい
透き通った彼の愛したナポリの空だった。

 本部に戻り暗く長い廊下を抜け、一番突き当たりのボスの部屋
――彼と暮らした執務室に戻る。ドアを開けるパスワードは彼と
初めて出会った日『1013』だった。
 音も無くドアが開き一歩足を踏み入れると、ふと君の気配がした。
何の匂いも殺気も残さない透明な気配を携えた男だったのに此処には
君がいた記憶しか残らない。電気をつけなければずっとこのまま一緒に
いられる。途絶された永劫の闇の中に。

 俺は抱えたつぼの中に右手を突っ込むと今日の朝離れたばかりの
男の残骸を手のひらでそっと抱きしめた。彼の腕の中で泣き、赦しを
請いたのは前夜。睦言を交わした夜だった。その思っていたよりは温かい
腕の中で俺は随分見っとも無いところを彼に見せた。恥ずかしいことも
はしたないことも全部交わした。俺の身体で彼の知らない部分なんて
ないくらいに抱き合って、奪い合って別れたのに――
どうして君は俺を間違えてしまったの?

 経緯を聞いて驚いた。君と別れてから二時間後、君は俺と
そっくりだったという撒き餌にまんまと引っかかって、なんてことのない
中小マフィアに捕まった。暗殺班を使えば今すぐ君を亡き者にだって
できたけど、俺は本部に嫌だと言った。自分の尻拭いさえ出来ない男に
抱かれたのではない。俺が愛したのは完全無欠な幻のヒットマンだった。
 程なくして君は戻った。真っ赤に染まった息の無い身体で。

 その時自分のとった行動を俺はしっかりとは覚えていない。
ただ茫然とした頭で俺は――すぐに関係各所に連絡して
この状態の隠蔽を依頼した。
 彼が死んだこと、その経緯、死に方に至るまで緘口令を敷いた。
こんな死に方をさせてしまったことが、彼を送る上で唯一の汚点だった。
   それから少数の幹部でこっそりと式を挙げ、彼を荼毘に伏した。
どんな屈辱も過ちも洗い流して、早く還してあげたかったのだ。
迎えた朝に飲んだワインの銘柄まで俺は、ちゃんと暗唱できる。
朝焼け色に染まった横顔で君が言った言葉も全部覚えている、なのに。
 君はいってしまった、俺をひとり世界に残して。
あんなにそばにいて俺を守ると誓ったのに。俺を置き去りにして。
 三途の川の向こうで君に言いたい恨み節ばかり考える。
でも繋げたいのはこんな言葉じゃない。
 罵倒して、殴りかかって君の胸倉を掴んで出てくるのはこんな
出来合いの言葉じゃないんだ。

 俺は唇を噛んで、粉々になった君を抱きしめた。
こんなに離れてしまうのならもっと早く・・
愛してるとちゃんと、伝えておけばよかった。

 ねぇどうして君は、逃げ出さなかったのだろう。
俺と生きる道を選んでくれなかったのだろう。
 ダイイングメッセージの笑顔が生きろ、なら
俺は君の最期の望みだけは叶えてやることが出来ない。

 君に出会って初めて俺は生まれた、だから君が死ねば
俺も死ぬ。あんなに愛してくれたから、分かってくれたと
思っていたのに――君は俺の阿呆なところまで、受け取ってしまったの?

 俺は彼の残骸を抱きしめて、それから空にばら撒いた。
灰色の粉が宙を舞い、真っ赤な絨毯に散らばって沈む。辺り一面の
闇に灰色の雪を降らせながら俺は、啼いた。

   泣きながらのた打ち回ったら、空気に混入した灰が
喉に詰まって俺は思わずむせてその場に転がった。
 腔、咽頭、気管支、肺――君のすべてが俺に
侵入してやがて全身を侵していく。
 君の知らない俺なんて、存在しない。
 君に出会ってからずっと俺は君のものだった。
そうだよね・・あのときのあの台詞はそういう意味だったんだよね。

 ごほごほと咳をしながら俺は絨毯を転がった。昨日の夜
彼と転がった床だった。
――苦しい。息が出来ない。呼吸もうまく紡げない。
 君が張り付いて、喉が焼けるようだ。
痛くて、哀しくて、君の灰にむせて涙が――溢れる。

 ああ、生き残ったほうが最後まで生きるのだと
 君と確かに約束したけれど。俺はその願いだけは守れない。
 向こうで君にあったとして、どんな嫌味を言われても。

 荒れる呼吸に、視界が霞む。世界が灰に沈んでいく。
 この空虚は君がもたらしたものだ。君が、世界のすべてだった。
 俺の世界を終わらせるのは君の体。灰になった――君の体だよ。

 苦しくて息が出来ない。 君に頸を絞められたみたいだ。

 ああ、お願いだからその手の力を離さないで。
 すぐにでも君のそばに逝かせて。
 君のいる世界で死にたい。




 君のいない世界でどうやって息をしたらいいのか
 俺には・・――わからないよ。