俺の膝の上をどうか、争わないで。




猫を拾った。真っ黒な毛並みが美しい、
なかなかりりしい顔をした猫だ。たぶん雄だろう。

「・・うちに来る?」

 俺が尋ねるとそいつは「にゃあ」とひと鳴きして肩の上に乗った。

――それが彼・・リボーンとの出会いだった。




Sleep on my knee




俺の家には黒猫がいる。
その名もリボーン。
何故にその名前を知っているかって?
それは簡単――彼がそう、名乗ったからだ。

「俺はリボーン。よろしくな、ツナ」

 その猫は部屋に着くなりベッドに下り、ごろりと
横になって――そう言った。

「ぎゃーっ!」
 俺はもちろんその場に倒れた。
しばらくして――きっとさっきのことは悪い夢だと思い、
起き上がった俺に彼はまたしても

「これくらいで気絶するなんてまだまだだな、ツナ」
流暢な日本語を披露した。
――俺は本日二度目の、盛大な叫び声を上げた。

「どうしたの?ツー君」
 一階からの母親の声に「何でもない〜」と慌てて返事をする。
喋る猫を拾ってしまった。
しかも――とんでもなく「俺様」だ。


「おい、さっさと俺をママンに紹介しろ」
「出来るか馬鹿っ・・!」


 喋る猫なんてどう紹介したらいいんだよ―?


そういうと彼は見るからに呆れた目つきで
「おいおい俺のメシはどうするつもりだ?
『愛猫物語』のスーパープレミアム・鮪味しか食わねぇぞ」
――猫のくせに・・!
 俺は怒鳴りたい衝動を抑えて丁寧に説明する。
 どんなに生意気でも――結局は猫なのだ。

「そ、そう・・ごめんね。うち貧乏だからそういうのは無理みたい・・」
 猫相手に本気で怒るのもどうかな、と思ったんだ。
一人の人間として・・さ。
「じゃあ仕方ねぇな。秋刀魚の塩焼きと鯵の開き――庶民的でいいだろ」
――よくねーよ!

 俺が投げた枕をするりとよけると、リボーンは
「まぁかりかりするんじゃねぇよ、俺たちうまくやっていかねーとな」
――これから世話になるんだから。
 そうリボーンは言い、俺の膝の上に乗った。
「ちょっ・・おい、俺は――」

 お前を飼うなんて一言も言ってない――と言おうとした。けれど。
 膝の上で眠るリボーンはふかふかしてとても温かかったし
 柔らかかった――だから。

――ちょっとだけ・・だからな。

 元々動物が好きだし・・飼うなら猫がいいと俺は思っていた。
頭を撫でるとリボーンはぐるぐると喉を鳴らして、
舌で鼻を何度か舐め、気持ちよさそうににゃあ、と零した。
黙っていたら(というよりそれが普通なんだけど)可愛い猫なのに。
どうしてこんなおかしなものを拾ってきてしまったのか十分前の自分を、
問いただしてみたい気分にもなる。

――まぁ・・いいか・・他に行くとこなさそうだしな・・

 彼は俺の家の前で力なく鳴いていた、野良猫だったのだ。
 プライドが異常に高いのも、誰かに飼われていたからなのだろう。
――野良生活は肌に合わなかったのかな?

「しばらく・・うちで面倒見るか・・」

 俺はため息をついて、穏やかな彼の寝顔を見下ろした。
 我儘で甘えん坊の黒猫はすっかり、俺の膝の上を
お気に入りの寝場所にしてしまった。




「さ、沢田さん、その顔の・・傷は」
「ん・・ああ・・猫にね、噛まれたみたい」
「おいたが過ぎるよーだな、その猫」
「や、山本・・心配しないでね、ば、バット仕舞って!」


 数日後。俺の顔に赤々と浮かんだ引っかき傷に、
友人二人は青くなったり、赤くなったりした。
――リボーンと喧嘩したんだ。


 真っ青になったのは獄寺君だ。獄寺隼人――イタリアからの帰国子女。
素行はあまりよくない(煙草吸ったり、授業さぼったり)けど、
すごく頭がよくて女の子にもてる。

 真っ赤になったのは山本だ――俺の小学校からの親友で野球部のエース。
同じ赤点仲間だけど――本当は、勉強している時間がないだけで頭がよく
――みんなから好かれる人気者。

 学校では有名な二人と俺が歩いているといつも――どこか俺ひとり
浮いたような気持ちになるのだけど「そんなこと関係ない」と声を
そろえて言ってくれる――何でも気兼ねなく話せるとても大切な友達だった。


「ず、随分アグレッシブな猫なんですね」
「う・・うん・・まぁ」
「俺が躾に行ってやろうか、ツナ」
「あ・・うん、ありがとう。大丈夫」


 何とか話題を変え、俺たちは交差点で手を振って別れた。
 獄寺君も山本も――その猫に一目でいいから会いたい、
と言ってきかなかったけれど。

――いくら親友でも言えないよ・・喋る猫なんて。

 そう思い肩を落とす。
 わが家につけば、沢田家の独裁君主が俺の、帰りを待っている。
――正確には、俺が買ってきた食糧を。


「遅いぞ、餓死させる気か馬鹿ツナ」
「・・わーっ、噛み付かないで。ちゃんと買ってきたから――またたび!」


 俺が小さな袋を取り出すと、リボーンはそれを
ひったくって前足で器用に開き、匂いを嗅いだ。
 ねこまっしぐら印の、またたび。
 買ってこないと家には入れないと朝から猫に脅された。


「お前はいたいけな小動物の命と自分の小遣いどっちが大切なんだ」と
凄まれればさすがの俺も頷かずにはいられない。
――どう考えても、いたいけなのはこっちだと思うんだけど。


「これでいいだろ?リボーン」
 そう言いながら俺が眼を開けたときだった――
さっきまでまたたびを貪っていた黒猫の姿がどこにも無い。
「・・リ、リボーン?」
 部屋のドアは閉じているし、窓だってまだ開けてない
――隠れる場所も無いはず・・


「ここに、いるぞ――ツナ」


 振り向いて――目の前に立っている黒髪の「男」と、目があった。
その直後の記憶が全く無い。


――どうも俺は、その場で気絶したらしい。




「・・い、おいツナ・・」
「ん・・」
 眼を開ける。俺を呼ぶ声――あの猫の声だ。
 その時はまだ、夢ならばいいと思っていた。
 喋る猫を拾ったこと。
 傷だらけの顔で友人に心配されたこと。
 またたびを買わないと閉めだす、と脅された早朝。


「さっさと起きろ、馬鹿ツナ」
 ぱしん、と頬を叩く音で現実に引き戻される。
大きな黒い眼が二つ――俺を見下ろしていた。
「・・ん・・リボーン・・」
 眼の前にいたのは俺と――同じ年くらいの黒髪の少年だった。
ベッドに横たわる俺の隣で、呆れた顔であぐらをかいている
――彼は何も、身につけていなかった。


「わぁああっ・・!」
「いちいち五月蝿いぞ、馬鹿ツナ」
「ツー君、どうしたの〜」
 三つの声が同時に響く。俺は「何でもない・・」と
言い聞かせるように答えながら、腰を抜かしていた。


 猫が――人間になったのだ。


「リ、リ、リ・・リボーン・・お前・・」
「なかなかかっこいいだろ、ツナ」
 ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしてから、
ようやく当初言いたかったことを思い出した。




「・・服を着ろーっ!」




「ったく。細かいこと気にしやがる・・」
「細かくないよ、大事だよそこは!」
「猫が服着たら窮屈だろ」
「――い、今は人間だろ!」
 俺の用意したパジャマを羽織ながらぶつぶつ答える
リボーンに突っ込みを入れつつ――自分でも何を言っているのか
分からなくなってしまった。


「君――あの猫だよね?」
「そうだぞ?何なら戻ってやろうか?」
「い、いい・・ややこしくなるから」


リボーンはふふん、と笑って嬉しそうに右手を伸ばしたり縮めたりしている。
「やっぱり・・ねこまっしぐら印のまたたびは効くな」
「――またたびを食べると、人間になれるの?」
「まぁ・・そんなところだな」
「・・もしかして、元々は人間だったの?」

――人間が魔法か何かで猫になる・・昔どこかの小説で読んだことがある。
「反対だな。元々ただの猫だった」
「・・・」


 猫又って知ってるか――とリボーンは言った。
俺が首を振ると彼は「まぁ・・特別な力を持った猫ってことだ。
昔は尾が二本あって見分けが付きやすかったらしいが、
今は進化して見た目はほとんどその辺の猫と変わらねぇ」


 彼はパジャマの襟を整え
「とりあえず、何か食わせろ。サーロインステーキでも
牛ヒレ肉でもいいぞ。飛騨牛限定な」
「・・無理だってば!」

 まだ、愛猫物語――の方がましだった、と
思いながら俺は大変なことに気づいた。

――リボーンは元々猫・・だけど今は人間。

――いつ、彼は猫に戻るんだ?

 結局――俺と同い年に化けた(彼曰く、人間になるのは序の口らしい)
リボーンは学校の交換留学生として俺の家に住むことになった。


「イタリアから来たリボーンです」
「まぁ、かっこいいじゃない・・ツナ」
――それ、元々は猫なんだけど。
 頬を染める母親を眺めながら、俺は内心大きなため息をついていた。
彼が――泊めてもらうお礼として、おかしなことを言い出したからだ。

「綱吉君の、勉強を教えます」
「えーっ!」
「よかったわね〜ツナ!家庭教師だって」
――猫の家庭教師なんて、聞いたことないぞ!

 これからいっそ猫だった方が――いや猫でも人間でも
態度の大きさは変わりない――半ば俺は、途方に暮れていた。
 とんでもないものを、拾ってしまったと――その時は思っていた。





 衝撃的な自己紹介を終え、部屋に戻るとリボーンは
「人間ってかったるいな」と開口一番言った。
「じゃ、じゃあ猫に戻った・・ら?」
 一縷の望みを抱きそう言うと、彼はくるりと回れ右をして微笑んだ。
「戻らねーぞ。この先、ずっとな」
「えええっ」
――も、もしかして永遠にこの家に住み着くつもりなの?
「ど、どうして――」
 リボーンはにやりと笑うと、俺に近づいて言った。

「猫又が人間になれる時ってのは相場が決まっているのさ」
「そ、相場って」
「猫でいるのに不便を感じた時と――人間に恋をした時、な」
「・・・」
 その場合は当てはまるのは前者だろうと俺は思った。
 リボーンが紛れもなく雄だったからだ。

「てめぇを好きに、なっちまった」
「☆○×#$%&*・・・!」

 ぺろり、と頬を舐められてから何と発言したか全く記憶にない
――彼と出会って、気絶するのは三度目だった。




三度目の正直と言うけれど俺が、眼を開けたその時も彼は――人間の姿だった。

「おい・・大丈夫か」
「・・ん・・うーん・・」
 額の上の冷たい気配。リボーンが濡れタオルを頭の上
に置いてくれたらしい。人間らしい気遣いに心の奥で感謝する。

「あんまり無防備に寝てると犯すぞ」
 元猫から出た信じられない発言に飛び起きると
――リボーンは必死に笑いをこらえていた。
「ちょっ・・ちょっと、リボーン!」
――何もそこまで笑うことないだろ?


「ほんとに、予想通りだな・・お前」
「・・え?」
 涙目になった(それくらい笑い過ぎたらしい)
リボーンの横顔が近づく。猫よりずっと整った風貌に心臓が高鳴った。

「俺はずっと、てめぇを知ってたぞ」
 リボーンの手が頬に触れる――俺はどうしても、振り払うことが出来ない。
「本当に馬鹿で駄目で、何してもいいとこ無いところとか。
猫に押し切られて、またたび買ってくるくらいお人よしな
ところも――お前の友人二名がご執心なことも」
「お、おいリボーン」
 さりげなく馬鹿にされている気がするがそれより
――徐々に近づいてくる彼の顔が気になって仕方がない。

――猫なのになんでこんなにかっこいいんだ・・?

「――だから焦ったんだ。早く俺のもんにしとかないと
――他の誰かに横から、掻っ攫われるってな」
「・・・ぎゃーっ!」


 彼は、俺の耳元で囁いた瞬間――俺の首筋に、思い切り噛み付いた。




「さ、沢田さん・・その怪我は?」
「あー・・昨日ね・・猫に」
「やっぱりその猫発情期なんじゃね?
去勢した方がよくねーか、ツナ」
「う、うん・・ありがとう・・山本」

 朝迎えにきてくれた友人から交互に心配されながら
――俺は首に貼った絆創膏をかばうように何度も撫でた。

――跡が残るくらい噛みやがって・・!

 噛み付いた後の、リボーンの満足気な表情を思い出す。
『他の男が来たら、この傷を見せてやればいい』
――見せるか、ばか!

「さ、沢田さん・・どうしましたか・・?」
「あ、別に・・何でもないよ、ぼーっとしてごめんね」
「ツナ、あんまり手に負えないんだったら相談しろよ?」
「う、うん・・」
 相談できるのものならしたい――けれど。
 拾った猫が翌日には人間になって、一方的に惚れられた―なんて。

――無理だよ・・絶対言えない。

 まず、喋る猫について話した段階で友情が壊れる気がする。




「ただいま」  どんよりした気持ちで家に戻ると――
リボーンは俺の顔を見るなり「遅すぎだ、馬鹿ツナ」と言った。
「恋人をどれだけ待たせれば気が済むんだ」
「こ、・・こいびとっ・・?」
 元飼い猫からの衝撃発言に、声が裏返る。

「さっさとそこに座れ」
「ちょ、ちょっとリボーン」
 俺を正座させると――彼は俺の膝の上に頭を乗せ、
ごろりと足を投げ出して横になった。

「あんまり心配させんな、馬鹿」
「・・馬鹿馬鹿ってそんなに・・」

 言い返して気づいた――リボーンは俺の膝の上で
ぐうぐうと穏やかに寝息を立てていたのだ。

――もしかしてリボーン・・俺の膝じゃないと眠れないの?

 何だか猫みたいで(実際はそうなんだけど)くすりと笑うと、
彼は何かをごにょごにょと呟いて寝返りをうつ。
――・・まぁ・・いいか。

 静かでいてくれればそれでいい――と俺は
単純な思考回路でそう判断した――けれど。

「俺のこと、可愛いって思ってるだろ、馬鹿ツナ」
 突然ぱちりと眼を開けて、リボーンが言った。
「お、思ってないよ・・!」
――猫のくせに狸寝入りかよ、と内心突っ込みを入れつつ反論すると
「嘘付け、俺は心が読めるからな」
「なっ・・」
「――猫又だって言っただろ?」


 彼はむくりと起き上がって――そのまま、俺を壁に
押しつけてキスをした。唇を、ひと舐めされたんだ。
猫が飼い主にそうするように・・

「っ、何する――」
「愛情の印だ。猫が良くやるだろ?」
「・・で、でも」

――こういう時だけ猫を持ち出すのはずるい、と俺は思う。
 だって、眼の前にいるリボーンは。

 無茶苦茶で、俺様で、ひとのこと馬鹿呼ばわりで、
いきなり噛み付くような奴だけど――俺のことを
意外なほどよく分かっている――ひとりの人間なんだ。


「ね、猫だから・・するわけじゃない・・から」
――自分でも何を言っているのか良くわからない。
 けれど――驚くほど、嫌じゃなかった。

 俺を見つめるリボーンの眼が、細く弓なりにしなる。

「そうだな――俺以外とは、するな」

 耳に響く彼の言葉に眼を閉じ、俺たちは
もう一度、ちゃんとキスをした。

「・・俺以外の、猫ともするな」

 彼らしい独占欲に苦笑いしながら、俺を抱きしめる 腕の力にただ――身を委ねた。




「さ、沢田さん・・傷、増えてますよ?」
「ツナ、ほんとに大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ・・心配かけてごめんね」
――リボーンの馬鹿!あんなに跡残すなっていったのに!

 俺の手首やら首すじに貼られた絆創膏に、二人が
痛々しそうな視線を送る。次の日のことだ。


「ね、猫に噛まれただけだから」
「・・許せません・・果たします・・!」
「個人的に腹たつのな〜」
「ふ、二人とも落ち着いて」

 最初は猫だった男と――交尾まがいのことを
してしまった俺は目覚めた時――侵した過ちに猛烈に後悔した。

 悶々とする俺と対照的に、リボーンだけは悠々と、
ベランダで日向ぼっこをしていたけれど(もちろん服を着て)。

――なんであんな奴、好きになっちゃったんだろう。

 そんなことを思いながら宿題をしていたら、
その様子を見守っていたリボーンが一言
「――やっちまったもんは仕方ないだろ」
 と見も蓋もないことを言い放った。

「な、何言って」
「今しょうもないこと考えてただろ、お前
――どうして好きになっちまったのか、とか」
「・・っ」
 図星だ――返す言葉もない。
「――安心しな。少なくとも、死ぬまでてめぇを離すつもりはねぇ」
「猫又って寿命・・あるの?」
「平均して三百年だな」
「――俺の倍以上じゃん」
 だからだ――と彼は俺を引き寄せた。
強引で我儘な腕、強靭な肉体、俺を見下ろす真っ黒な瞳
――そのどれも、俺の心臓を締め付けて、離さないのは確か。


「先に死んでもあの世で俺以外に惚れるんじゃねぇぞ」
「・・リボーン」
「まぁ俺はこっちで愛人つくるけどな」


 猫のように黒い眼を細め、首筋にキスを落とす。
それが嘘だと知りながら俺は、苦笑いして彼の首に手を回し、
見えない首輪に音も無く、錠を下ろした。