RIVER
















「・・早かったね」

 綱吉が息を吐くと真後ろに立っていた男は頷いて、
被っていた帽子を下ろした。
 リボーン、と呼ぶ名前の通り「不死の」または
「再生した」という意味を持つ男。
 その男の手でまた一つ命が幕を下ろした、そんな春の午後だった。
 どうして、と綱吉は問う。

「俺が・・ここにいることが?」

 この場所に行くことを部下の誰にも告げてはいない。

「・・お前の考えくらい読めるさ」

 ああそっか、と彼は笑った。
このヒットマンは完全無欠なのだ。

「君・・読心術を使えるんだったね」

 振り向いて手のひらを彼の肩にかける。
 綱吉は殺し屋の表情がひどく歪んでいることに気づいた。
 この血も凍るような男が、何かを悔やみ、もがいている。
 それだけが気配から痛々しいほど伝わった。
 先ほど彼が殺したのは、かつてのパートナーであり
綱吉の前任者だったのだ。
 暗殺を依頼したのは他ならぬ綱吉自身だった。

「・・どんな気分なの?」

 この身を捧げて仕えた人物を手にかけるのは――そう思いながら唇に触れる。
触れたら逃れられなくなった。粘膜と粘液を合わせ、舌を吸い、歯列をなぞる。
吐息が混ざる唇を重ねて、ゆっくりと名残惜しくそれを離した。
息さえも彼の唾液の味がした。

 リボーンは何か言いかけて、言葉を閉ざした。
どんなに言葉を並べても埋まらない喪失感。
同じ罪をこの男に背負わせるつもりは毛頭ない。

「――ねぇ、教えてよ」

 君と同じ絶望を俺にも味合わせて?
 綱吉の願いに、彼の肩を抱き寄せよりいっそう深く唇を重ねる。
 人を殺すことは、唇を重ねるくらい単純であっけないものだと――
 おそらくこのボスも引き金を引けば分かるだろう。
それまでは楽園の向こう側にいる。

 お前が渡りたいというなら
 いつでもこの川をせき止めて迎えに行くよ。





























BLOOD




















 一仕事終えると天を仰ぐ。
 おそらくは応接間で焦れて待っているだろう
男の横顔を思い浮かべて綱吉は微笑んだ。
人間を初めてこの世で殺めた夜だった。

――君もこんな気分だったのだろうか。

 十年前はテレビや映画の世界の話だと思っていたことを
目の当たりにすると衝撃より、独特の浮遊感が自分の中で漂った。
鉄の塊で他人の運命を歪める所業。
どんなにお金を積まれても値段を付けられない仕事。

 リボーンは暗殺をそう言い放ったことがある。
その意味を今日、身を持って知った。
それは銃声一つで済む仕事。
風を切るような晴れた音を綱吉は生涯忘れることが無いだろう。
撃たれた先で散った血潮は、あまりにも赤かった。

「・・ただいま」
 ドアを開けると、意外な人物がソファーに腰掛けていた。
 今日の仕事は泊りがけと聞いていたからだ。
「待ってたの?」
 綱吉の問いに彼は答えない。
リボーンは読みかけの経済紙を畳み、彼の方を見た。
ユーロの暴騰は円の下落と、ボンゴレの繁栄を意味した。
「・・もう、帰らないんじゃないかと思っていたよ」
「・・・」
 何で、そう言いかけた綱吉の腕を取る。
泣き出すより早く抱きしめて、その存在を確かめた。

――君以外、どこに帰ればいいの・・?

 綱吉の両目から涙が零れた。
 先程撃った男の最後の表情が脳裏に浮かぶ。
 先刻殺した男は裏切り者であり、綱吉が
イタリアに来て、初めて信じた男だった。

 綱吉は自分を抱きしめる男の背中に腕を回して、
彼以上に、両腕に力を込めた。
その温かさだけが自分を現実に引き戻してくれる――それは祈りに近い。

「・・ただいま、リボーン」

 涙の滲む声にそっと唇を寄せる。
 おかえり、とリボーンが言った瞬間彼は、堰を切ったように泣き出した。
 自分をこの世界に巻き込んだ男のぬくもりだけが
 己の罪を赦してくれるような気がした。