出来損ないでも、俺のそばにいて。




俺が主で。
執事が君で。





まだ文明が発達しきっていない頃の、イタリアのどこか。

一人で住むには広すぎるくらい大きな屋敷に、
少々抜けたところのある優しい主と彼を支える
かなり厳しい(時々優しい)執事が住んでいました。
と言うのもこの主の両親は幼い彼を残して新婚旅行に
行ったまま帰らず行方知れずとなってしまったからです。
彼らの帰宅を待ちながらも主は日々――仕事と勉強に明け暮れていました。
彼の従者曰く、「特別英才教育」(またの名を超スパルタ教育)を受けながら――・・





「まだ書類できてねーのか、判子押すだけだろ、馬鹿ツナ!」
 ぱちん、という平手の乾いた音で眼を覚ます。
あまり気持ちの良い朝ではない。

「痛・・っ・・もう、ちょっと・・丁寧に起こしてよ!」


俺――こと沢田綱吉(このボンゴレ邸の主である・まだ半人前)
は起き上がると朝から主人を引っぱたく暴力執事、リボーン
(執事暦十年という大ベテラン・顔はいいが滅茶苦茶厳しい)に抗議した。

「おはようございます、ご主人様」
 恭しく一礼して、リボーンは布団を畳む。
黙っていれば美形なんだ、黙っていれば・・
「今更丁寧にしても余計に不自然だろ」
「じゃあどうしろって言うんだ、馬鹿ツナ」
 ぐっ、と怒りをこらえて
「馬鹿は余分だろ・・それに」
「それになんだ――ん?」
「・・いいです・・リボーン」

 彼がほかほかのオムレツを俺に見せたところで不毛な喧嘩は終了した。
これ以上言い合うと、せっかくのリボーン特製
(これがまたとても美味しい)オムレツが冷えてしまう。

「ありがとう、リボーン」
 朝一番に朝食を持ってきてくれるなんて気が利くあなぁと思いながら右手を出すと。

「誰がてめぇのために作ったって言った?」
「えええ?」
「さっさとサインをしろ。これは俺が食べる」
「ええーっ!」
――あの・・君・・この家の執事じゃなかったの?

 そんな基本的な事項さえ忘れそうになる。なんて自己中心的な男なんだ・・!

「確かに執事だけどな。駄目主に、有能執事」
「勝手に心読むな―!」

 容姿端麗(でもナルシスト)、頭脳明晰(五カ国語が話せる)、
世界秘書検定ではオール満点、おまけに読心術が使えるときてる
――という文句のつけようない使用人なのだけど・・

――一応俺の方が・・年上なんだけどなぁ。

「年は関係ないだろ。必要なものはキャリアとスキルだ」
「・・う」
 既にぐうの音も出ないし、お腹もぺこぺこだ。
「早く仕事片付けててこい。お前にはトーストを持ってきってやる」
――リ、リボーン・・!

 君を疑って悪かったよ、ごめんね――そう心で念じたはずだったのに。

「気持ち悪い眼で見るな」 「・・・」

 礼を言うべきか、言わざるべきか――それが問題だ。 
そんな会話で始まるおれたちの朝。
 漫才みたいだけど実際は全部本気で――俺たちは
喧嘩したり仲直りを繰り返しながら何とかこの屋敷を守ってきた。

――リボーンがいなきゃ、考えられなかったよな。 

 俺の曽祖父が残してくれた家は、一人で住むにはあまりに
大きく、その維持費用も莫大なものだった。

 現在は、銀行に預けてある財産の利子と、どこにいるか
分からない両親から送られる生活費と、リボーンの趣味だと
いう株で何とか生計を立てている――それでも。
 何度かこの家を売り払おうとしたり、騙して奪い取ろうとした
親類たちをリボーンはその頭脳で見事に退けてきた――
彼がいなければ、この家の丁度品を守りながら
両親の帰りを待つ、なんて暮らしは俺には出来なかったはずだ。
――感謝はしてる・・けど。

「さっさと食え、馬鹿ツナ」
――やっぱり、前言撤回。
 俺は無言で彼の焼いてくれたトーストをほうばる。
 さくさくしてとても、美味しかった。




「――で、また喧嘩したの?」

 はい・・と俺は頷くと雲雀さんは飲み終えたアールグレイを
置いて「ほんと君達って似たもの同士だね」と笑った。
「べ、別に似てないです・・!」
 実際リボーンはアジア系の血が、俺は日本とイタリア
両方の血が混じっている。容姿は似ても似つかない。

「・・そういう意味じゃなくて」
 雲雀さんは「どう言ったらいいのかな」と微笑を浮かべ
クッキーを一つ、口の中に放り込んだ。




 雲雀さん――正確には雲雀組組長、雲雀恭哉――は日本では
いわずとしれた筋モノの若き首領である。雲雀の名を聞いただけで
逃げ出すマフィアも多いというからその悪名(?)は世界各地に広がっているのだろう。

 日本に飽きた、と言い出した雲雀さんがイタリアに気まぐれに土地を買い
――別荘を建てた。その隣がまさしく我が家だったのだ。
雲雀さんもボンゴレ邸に勝るとも劣らない広い家にひとりで住んでいる
――どこか浮世離れした彼もまた、世事に関わることがあまり好きではないらしい。


「――来てたのか」
「やぁ、リボーン」
 雲雀さんは微笑を浮かべ、洗い物を終えたばかりの
リボーンに久しぶりと言った。以前うちに入った賊を
雲雀さんとリボーンが撃退したことがあり、
それから彼はリボーンに一目置いているようだ。

「まぁ、ゆっくりして行け」
「――ほんとに、ゆっくりしていいの?」
 一瞬、リボーンの表情が曇った。

「・・夕方までな」
「はいはい。お気に入りに手出しはしないよ」
「・・・?」

 朝の喧嘩をまだ引きずっているのだろうか――リボーンは
不機嫌なまま洗濯物を干しに行った。

「――リボーンまだ・・怒っているのかな」
「え?」
「だってさっきからずっと俺を睨んで・・」
 そう言うと、雲雀さんは腹を抱えてけらけらと笑い出した。
何かそんなツボに入ることを言ったのだろうか・・


「――聞いてみればいいよ」
まぁ、自分以外の人間がそばに寄るのを嫌がるのは
独占欲の一歩だと思うけど、ね。
 そんな謎めいた言葉を残して、雲雀さんは席を立った。

「また遊びに来るから、それまでに仲直りしておくんだよ」
「・・はい」
 お隣さんにまで心配をかけるなんて――俺はとにかく
きちんと、誤解を解いておこうと決意した。

 今――リボーンがいなくなってしまったら本当に困る。
 せめて――この家で、両親が帰ってくるのを待ちたいんだ。
 そのためなら、幾らでも――君のいうことを聞くから。

 その時は考えもしなかったんだ――俺の不用意な一言が
あんなにも――リボーンを怒らせてしまうなんて。





「・・心ここにあらずって感じだな」
 昼食のナポリタンを口に入れた瞬間、リボーンに聞かれて
ぎくりとした。悩んでいることまで――伝わってしまうのだろうか。

「――雲雀に・・何か言われたのか」
「ち、違うよ」
 違うけど――きっかけをくれたのはあの人だ。
 時々よく分からないことを言うけれど、雲雀さんは優しくて強くて面白い人だった。

「ひ、雲雀さんも・・たまにはご飯一緒に食べるといいかなって」
「気に入ったのか?」
「気に入ったとか、そんなんじゃないよ――ただ」
「お前がそうしたいなら、そうすればいい。この屋敷の主だからな」
 どこか投げやりなリボーンの態度に、俺は焦りを感じていた。
彼を怒らせてしまったと、思ったのだ。

「あ、あのね・・リボーン・・」
「――何だ?」
「君が何を考えてるかは分からないんだけど・・
親達が帰ってくるまではこの屋敷にいて欲しいんだ・・無理強いはしない、けど・・」
「・・・」
 食卓の空気が、重苦しいくらい凍りついた。
 何か――取り返しのつかないことを俺は、言ったのだろうか。


「――おかしなことを吹き込まれたようだな」
「リ、リボーン・・違うよ。これは・・俺の意思で」
「――そうか」

 リボーンはそう言うと、食べかけのパスタもそのままに食卓を後にした。
 呆然した俺と、まだ湯気を立てているパスタが二皿、
真っ白なテーブルクロスの上に、取り残されていた。






次の日――リボーンの姿は、屋敷のどこにも無かった。

慌てた俺は――屋敷中をくまなく探した。
クローゼットも全部開けたし、隠れられそうなところは全て、懐中電灯を当てて確認した。
近隣の一大事に気づいたらしい雲雀さんが駆けつけたときには
――俺は半分、泣き出していた。

「しっかりしなよ・・時期ボンゴレの当主なんだろう」
「だ、だって――リボーンが・・」
 泣きながら雲雀さんの入れてくれた紅茶を飲むと、彼は俺をじっと見詰めて
「・・彼に何を言ったの?」
「――両親が見つかるまで、そばに居て欲しい・・って」
「・・それは」
 ちょっと同情するな、といいながら雲雀さんは俺の髪を優しく撫でた。
「三行半を突きつけられたのと一緒だからね」
「みくだり・・はん?」
「――まだ、綱吉は知らなくていいよ」
 彼の唇は俺の頬に、近づいた時だった。


 乾いた銃声が二発、リビングに響いた。
――襲撃?リボーンのいないこんな時に・・!


 雲雀さんは咄嗟に俺から離れると、弾道から予測した狙撃者がいる方向
――玄関に向かって呆れたように言った。

「泣かせたのは君だよ・・ったく放り出しておいて
手を出すな、なんて――さ、我儘にも程があると思うけど」
「五月蝿い」
「・・リボーン!」
――じゃあさっきの銃声はリボーン?でも・・どうして雲雀さんを・・

 涙を拭きながらリボーンに近寄ると、彼は俺の頬を思い切り抓って舌打ちを落とした。
「眼を覚ませ、馬鹿ツナ」
「痛っ・・!な、何すんだよ、リボーン・・心配したんだよ!」
「それはこっちの台詞だ。たかだか留守に
したくらいで・・あんな狐に化かされやがって」
「狐・・?」

 雲雀さんは両腕を組んで明後日の方向を見ていた
――必死に笑いをこらえているのがその横顔からでも分かる。


「い、意味が分からないよ、リボーン・・それに・・」


「ツー君!ただいま・・!」
「・・か、母さん・・!」
 リボーンと俺の間に遮るようにして現れたのは―
一年近く姿を消していた俺の――母親だった。



「か、帰ってきたの?」
「リボーンにね、どうしてもって・・頼まれて」
「――頼まれて?」

 俺は母親とリボーンを交互に見た。
両親が消えたとき「旅行に行ったまましばらく戻れなくなった。
生活費は保証する」と俺に告げたのはリボーンだ。だとしたら・・
「リボーン、君・・まさか、知ってたの・・?」
――もしかして君は俺を・・

「騙していたわけじゃないのよ、ツナ。リボーンを責めないでね」
「・・母さん・・」
「――私たちね、こっそり相談してたの。
ツナをひとり立ちさせるにはどうするかって・・
そしたらリボーンがね・・マンツーマンで貴方を鍛えてくれるっていうから」
――確かに鍛えられすぎてるけど・・

「元々そういう契約だったんだよ、馬鹿ツナ」
「ば、馬鹿は余計だろ・・」
「あらあら、すっかり仲良くなったみたいね」
――どこかだよ、と突っ込みをいれる俺の様子を
雲雀さんは大笑いしながら眺めている。

「・・し、心配したんだから・・」
 リボーンと母親。会いたいと思っていた人物に
一度に会えて俺の涙腺が再び緩んだ。

「てめぇがおかしなこというからだぞ」
「へ・・?」

 母親の手前だからだろうか、リボーンは優しく、俺の肩をぽんぽんと叩いた。
「ほら・・変なこと言ってただろ・・両親が見つかれば俺はいらない・・とか」
「い、言ってないよ、そんなこと!」
「まぁ・・リボーンみたいな執事そうそう居ないわよ、ツナ」
「・・そ、それもそうだけど」

何とかこの拗れた糸くずのような状態を修復しようと俺はリボーンの方を向き直った。
 彼は今までに見たことが無いくらい、淋しそうな顔をしていた。
――リボーン・・?
「君・・もしかしてこの家の執事が・・気に入ったの?」

俺の一言に、雲雀さんは腹を抱えて笑い出し、
リボーンはがっくりと肩を下ろし――母親は
「リボーンも苦労するわね」と気の毒そうな眼を彼に向けて言った。

――俺、おかしなこと・・言ったかな・・?

「まぁ・・そういうわけだから、母さんは帰るわね。
リボーンがいれば大丈夫でしょう」
「か、母さん・・?」
 どこへ行くの、と歩み寄る俺に彼女はウインクして
「アラブ某所。住所はもうすぐ教えてあげるわ。
あの人・・石油当てちゃったのよ」
「と、父さんが・・?」
「――だから、しばらくここで留守番してて欲しいの。
リボーンと一緒にね・・お願い」
「で、でも・・」

「他ならぬボンゴレ夫人のお願いですから――命にかえてもこの家と
――次期当主の命は保証いたします」
「大丈夫だよ綱吉――たまに遊びに来てあげる」
「リボーン・・雲雀さんも・・」

 母親はリボーンと雲雀さんを交互に眺めると
「ツナをよろしくね」と言い踵を返した。
 殺伐としたリビングには俺とリボーン、雲雀さんが取り残された。




 三秒後。

「こ、この・・馬鹿ツナ―っ!」

 リボーンの鉄拳が再会の余韻に浸っていた俺の額に、見事に直撃した。
「い、痛い・・何なんだよ、もう・・リボーンの馬鹿」
「馬鹿はてめぇだ!」
「はいはい・・二人とも落ち着いて」

 一触即発、といった俺達の間に雲雀さんが割ってはいる。

「元はといえばお前がな、雲雀――」
「訳も聞かずに飛び出したのは君でしょ、リボーン」
 雲雀さんの反論にリボーンが押し黙った。

 彼を黙らせることが出来るのはこの世で
雲雀さんだけかも――そんなことを、俺は思った。
「とにかく二人でゆっくり話し合うんだよ」
 子供の喧嘩を仲裁するように念を押して――雲雀さんは自宅に戻って行った。




 静まり返った部屋に――俺と、リボーンが取り残された。

「とりあえず・・水でも飲むか・・」
「うん・・」

 喧嘩というのは割合にエネルギーを消耗するものだ。
 頭も冷やす意味も込めて俺たちは一時休戦とすることにした。
――リボーンが戻ってきてくれた・・
 その事実にほっとしている自分自身はあまり、認めたくなかったけれど。

「あ・・あのね・・リボーン・・」
「ん?」
 コップ一杯の水を飲み終わると、俺はリボーンに「ごめんね」と言った。
「何に対しての・・ごめんね、だ?」
「・・リボーン怒ってたから」
「別に、怒ってたわけじゃねーぞ」
「嘘・・絶対怒ってた、だって」

 不毛な言い合いに発展しそうなこの状況を、
無理矢理転換させたのはリボーンだった。
 彼はいきなり、俺の腕を掴み――しっかりと抱きしめたのだ。

「リ、リボーン・・?」
「――しばらく黙れ」
「・・・」

 彼の言葉になす術も無く俺は硬直した。
抓られたり怒鳴られたりするのはいつものことだったけど
――抱きしめられたのは、初めてだった。

「俺もお前に謝らないといけない・・」
「――母さんのこと?」

 リボーンが頷く。
俺は彼の肩に手を置いて「・・怒ってないよ」と言った。

「・・たぶん君と二人きりにならないと
・・ひとり立ち出来なかったと思うから」
 両親の不在はボンゴレ家の次期当主としての 、試練の一つであったらしい――勿論、油田を掘り当ててしまい、
事業が軌道に乗るまでは帰れない両親の事情もあったのだろうけれど。

「・・俺、ほんとに駄目ツナだね」
「今頃分かったのか?
「・・うん。だから・・そばにいてよ」
「・・・」
「どこにも行かないで、ここにいて」
――俺、君がいないと駄目なんだ、リボーン。

 そう言うと彼が、俺の肩口で「後悔するぞ」と言った。
   その本当の意味を俺はまだ、知らなかった。






「・・おはよう、綱吉。・・・あれ?」

 次の日、意気揚々と遊びにやってきた雲雀さんは、
ベッドから起き上がれない俺を見つけるなり残念そうに
「・・もしかして君たち、出来ちゃった?」と言った。

「な、何言ってるんですか・・出来てないです・・!」
「まぁな、最後の最後でこいつが出来ないって泣いてな。おあずけ――だ」
「リ、リボーンの馬鹿!言うな・・!」
「ふぅん。じゃあ僕にもまだ、チャンスが残っているってこと?」

 雲雀さんがベッドの上に足を乗せた瞬間、リボーンの銃が彼の首筋に――当たった。
「手ぇ出したら殺すぞ」
「わーっ!何やってんの二人とも!」
 お願い、仲良くして――俺の叫びも空しく、二人の間に見えない火花が散る。

「――こいつは俺のもんだ」
「リ、リボーン!」
「そんなこと、誰が決めたの?」
「ひ、雲雀さん・・!」

 慌てて飛び起きた俺は、腰がぎくりと痛んで
そのまま――ベッドに倒れこんだ。
昨日リボーンと抱きしめ合って・・それから・・

「・・ったく、君がコブラツイストなんてかけるから・・」
 俺の言葉に雲雀さんは面食らったように両目を広げて、
俺たちを交互に眺めた。

「フン・・せっかく俺が、逆エビ十字固めを披露してやるつもりだったのに」
「無理だよ、俺体固いんだから・・!」

 再び険悪なムードになる俺達に、雲雀さんが気の毒そうに口を挟んだ。

「苦労するね・・リボーン」
「ひ、雲雀さん・・?」
「さっさと起きろ、ニブツナ」
「・・何だよ、それ・・!」

 新しいあだ名まで付けられ、不満をあらわにする俺と。
 相変わらず自信満々のスパルタ指導のリボーン。
 時々俺たちを茶化し、相談に乗ってくれる雲雀さん。
 俺たちの平和な朝食は――まだまだ、遠いらしい。