海、その上の月
さようなら、という意味のイタリア語を吐き捨てて男は
鉄の塊を口に含み引き金を引いた。一瞬の轟音の後、静寂が
訪れた。辺りは首の無い死体が沈む血の海だった。
リボーンは返り血を正面から浴びた。裏切りものに銃口を向け、引き金を
引く瞬間だった。
紅い飛沫は短い雨のように彼に降り注いだ。その端正な顔
は裏切り者の血で赤く汚れていた。
沢田綱吉は裏切り者を見逃したヒットマンのネクタイを引っ張ると
血よりも赤いその唇を己の舌でなぞってこう尋ねた。本当は彼の手で
その頭が粉々になるところを見たかったのだ。
「・・どうして、撃たなかったの?」
沢田は彼の顔を滴る赤いしずくを舐めた。丹念に、拭い取るように。
「もうすぐ死ぬ男を、殺す必要なんてない」
リボーンが嘘をついたことを綱吉は知っている。だから微笑んだ。この男は
自分を喜ばすためなら信条も曲げるし、味方を平気で殺すだろう。
その思い切りのよさに恋をしたのだ。十年前の選択が間違っていなかったことも
今夜も確かめる。
廃墟の奥、一番隅の闇で。流れ出る血の海がうつす、輪郭の無い月を眺め。
黒いスーツを乱した男の腰にまたがり、彼は生死の境を彷徨うほどの愛欲に身を
捧げた。
むせ返るほどの血の匂いに自分が狂うほど興奮することを、この暗い眼を
したヒットマンだけが知っていた。