[ 真実 ]




 どうしてですか、と尋ねるとどうしてでしょうね、と
答える。残酷な瞳が落とす謎かけに心も身体も堕ちてしまった。
 世の中に天使と悪魔と人間が存在しているのなら、間違いなく
目の前にいるひとは悪魔だ――そう思うのに、唇が拒まない。
 彼から与えられるキスは麻薬だ。頭の天辺から足のつま先まで
侵された。ボスは何ものにも躓くなと、リボーンから何度も言われて
いたというのに、奪われた途端腰が抜けた。膝をついて茫然と
見上げた俺に、彼はわらった。・・そう、確かに微笑んだ。天使の
様に柔らかく、悪魔のように残酷に、禁断の果実を食べた人間の
ように――嬉しそうに。


 黒曜中との諍いは一応彼らがボンゴレの支配下につく――という
形で決着した。納得いかないという雲雀さんと、報復を死ぬ気で
考えた獄寺君をなだめたのは・・意外なことに山本だった。
「まぁいーじゃねーか、丸く収まったんだから」 
 楽観的で平和主義の彼に、今回はかなり助けられた。これ以上の
争いは無益な殺生と判断した部分は、右腕候補としては十分な読みだった。
 時には私怨を捨てて、互いの利益のために手を結ぶことも必要だった。
帝王学を俺に無理矢理仕込んだのはリボーンだった。・・今回は
少し経緯が違ったけれど。


「ありがとう山本、助かったよ」 
 血気盛んなふたりをなだめてくれた山本に礼を言うと、彼は
・・別に、と鼻をかいた。とても言いにくそうな、表情で彼は
「結局全部お前に任せちまっただろ・・」
 と言った。内情を知る彼だからこその気遣いだった。
「大丈夫だよ。俺はどうってことないし」
 曇りがちな表情の彼を安心させようとして笑みを浮かべると
山本が俺の名を呼んでふいに、右腕を掴んだ。その強さに思わず
身体が強張った。
「・・ツナ、お前」
 言わないで、と俺は答えた。嘘をつくのは生憎上手ではない。
今この腕に刻まれた傷を彼に見られれば俺はもう――しらを切る
ことはできないのだ。あの日あの時、ふたりの間でどんな密約が
交わされたのか。


ごめんね、と俺が言うと山本はそっと手を離して申し分けなさそうな
顔をした。そういうところが山本らしかった。
 気づいていてもわざと、気がつかない振りをしてくれる。
「・・俺がもっと強かったら・・」
 こんなことにはならなかったか、と山本は尋ねた。夕暮れに伸びた
ふたりの影に視線を落としながら。
「――俺が、もっとしっかりしてれば、ツナをこんな目には・・」


 違うよ、と遮ると俺は山本の肩をぽん、と叩いた。驚いた
様子で俺を見返した彼の脇を通り抜ける。最後の嘘を残して。


「・・山本がいなかったら、きっとこんな風にはならなかったよ」


 こころの中でごめんね、と俺は何度も囁いた。俺の伝えた内情は
すべて彼を納得させるためだけに捏造した、事実の一部だった。


「今日は随分遅かったんですね」
 指定されたホテルのドアを開けると、彼はいつものように
ベッドの端に座って、頬杖の上に微笑を浮かべていた。
 空になったウーロン茶の缶が、床に数本散らばっている。
待たせたことを怒っているわけではないが、少々気が短く
なっている気がした。
 俺は何も言わずに頷くと、彼の足元にひざまずいた。
初めて奪われたときと同じように、音もなくそっと。
限りなく一途に・・己を投げ出して。


 唇に降りてきたのがいつもの冷えたお茶の味だったので
俺は言葉も出さずに口を開けた。舌が交わって口中を侵すまで
ゆっくり、ゆっくり――彼が、下りてきてくれるのを待っている。
俺が膝をついた地上まで。


 与えられる快楽にだけは嘘をつかないこと。
――それが、彼と俺が共有する真実だった。