[ 好きなひと ]
告白の現場に遭遇するのは初めてだった。
両手の間からプリントがごっそりと床に落ち、それが
盛大な音を立てて廊下に散らばる――ツナは慌ててしゃがむと
それを一枚一枚拾い上げた。
「――どうした?」
がらがら、と開いたドアからひょっこりと覗いた顔が下級生の
間でも有名な、イタリアからの留学生であることをツナは知っていた。
彼の名前は、ディーノ、と言った。
憂いを含んだ蒼い瞳と目があうと、ツナは真っ赤になって
視線を伏せた。プリントに伸ばした手に、彼の指が触れる。
「・・あ、あの」
ツナは手を引いた。ディーノは腰を下ろして黙々とプリントを
拾っている。手伝ってくれているんだ、と気づくと胸の奥が
温かくなった。こんな間近で話をしたのも初めてだった。
ディーノは集めたプリントを束ねると、とんとん、と床で
数回叩き角をそろえた。彼からプリントを受け取るとツナは
「ありがとうございます」と言った――が、彼の手がプリントから
離れず、ツナはもう一度ディーノを仰ぎ見た。
覗きこんでいるのは笑みを含んだ、透き通るような瞳だった。
「――さっきの、見た?」
「あ・・は、はい」
すいません、とツナは語尾を弱めた。偶然通りかかった廊下で
すすり泣くような声を聞いた。誰かが――泣いている、そう気づいて
教室を覗くと、彼と女生徒が立っていた。生徒の表情は分からないが
ディーノの顔は明らかに曇っていた。ディーノが頸を振った途端、ツナは
両手からプリントを落とした――まずい、と思った瞬間女生徒は反対の
ドアから逃げるように去っていった。ただならぬ雰囲気を感じたが
おそらく彼女は失恋したのだろうとツナは思った。
――ディーノ先輩、もてるからなぁ。
彼は容姿端麗、スポーツ万能、成績優秀と三拍子揃った並盛高校でも
有名な交換留学生だった。日本語も流暢なため友達も多く、貴公子のような
容貌も伴って校内ではアイドルと呼んでも過言ではなかった。
ツナもいわゆる、彼のファンのひとりだった。
そうかーとディーノはツナの答えに眉を曇らせた。困った顔さえ
麗しいのも、美貌の為せる技なのだろう。その表情にツナが見とれていると
ディーノはにっこり、と笑ってツナの手を引いた。彼を教室に連れ込むと
ディーノはドアをがらがらと閉めた。夕陽の落ちた教室では机と椅子と
向かいあう二人がいるばかりである。
「あ、あの・・」
ディーノの笑みが間近にあり、ツナの心臓は早鐘を打った。告白の
現場を見てしまったことが彼を困惑させているのだとツナは思った。
それは、人気があっても浮いた話ひとつしない彼の理由でもあった。
『・・俺、好きな奴いるから』
ドアの向こうで確かに、ディーノはそう言った。だからプリントを
落としてしまったのだ。ショックを受けたのは女生徒だけではない、その場に
遭遇したツナも少なからず――衝撃を受けていた。
――ディーノ先輩、好きなひと・・いるんだ。
そう思うと胸の奥がきりきりと痛んだ。それはどこの誰なのか――もしかして
イタリアにいるのではないか、そう思うと息が詰まり、ツナは涙目になった。
「・・俺、誰にも言いません。聞かなかったことに・・します」
ツナが震えた声を出すと、ディーノは彼の両方をドアに押し付けた。
がたり、とドアが軋み身動きの取れなくなったツナの唇を――ディーノの
それが覆った。歯が、かちんとぶつかり開いた口の間に舌が入り込む――
短く息を吸いながらツナが眉をしかめると、ディーノは肩から手を離して
微笑んだ。口の端をわずかに上げた笑みは、残酷な程美しくもあった。
「・・・っ」
「口止め料、な」
ツナは両手で口を覆いながら瞳孔を見開いた。今起きたことが信じられ
なかった――彼は、無理矢理キスをして口止め料、と言ったのだ。
あの優しい笑顔で。
膝が震えてドアにもたれたツナの両目から、ぽろぽろと涙が落ちた。
好きなひとがいる、と聞いた瞬間よりもショックだった。
こんな、・・こんなの彼ではない、とツナは頸を振る。自分の知るディーノ
先輩は優しくて気さくでかっこよくて憧れの――
「二年A組、沢田綱吉・・だよな?」
ディーノに尋ねられ、ツナは面を上げた。何故自分のことを知っているのか
そう瞳に尋ねられ、ディーノは続いて答えた。
「そりゃ知ってるよ、毎朝走ってくるだろ?あの悪童と一緒に」
毎朝、と聞いてツナにも思いあたる節があった。幼馴染の
獄寺のことだろう。彼の顔色が変わったのでディーノも「やっぱりな」
と微笑んだ。以前からツナを知る口ぶりだった。
「あいつから聞いてたよ、日本に大切なひとがいるって、さ」
「・・あの、獄寺君とは?」
「――腹違いの、従兄弟」
あいつはお妾さんの子だから、とディーノは続けた。
「話を聞くたび、どんな奴だろうなーって思ってた。ツナが
・・『十代目』だったんだな」
自分の呼び名に、ツナは顔を赤く染めた。確かに獄寺は自分を十代目、と
呼ぶ。彼が以前はマフィアに仕えていて、自分のボスを代数で呼ぶのが
癖なのだと聞いたが、ひょんなことから獄寺の命を救ったツナが今は
彼にとっての「十代目」になっていた。
「あ、あれは獄寺君が――」
勝手に、とツナが言いかけるとディーノはもう一度彼の肩を
押して耳元に顔を近づけた。吐く息が頸にかかり、ツナは頸を
すくめた。
「・・あいつに、黙っておけるか?」
ディーノに聞かれて、ツナは肩を上げた。力の入らなくなった
両手から、ばらばらとプリントが零れ落ちた。
ディーノの唇は先程よりもはっきりと、確かにツナのそれを
なぞっていた。両手首を掴まれたツナが、もぞもぞと身体を動かすと
隙をついてディーノは彼の身体をひょいと持ち上げ、机の上に座らせた。
吸い付くようなキスはまだ、続いている。
唇が離れるとディーノは両手を机について追い上げるように
ツナを見つめた。何かを仕掛けるような――嬉しそうな瞳だった。
「・・ディーノ先輩」
相次ぐキスに酸欠状態となったツナは、ぼんやりと蒼い瞳を
眺めた。先ほど痛みを感じた胸を、別の感情が覆っていく。
身を切るような痛みから、こじ開けられるような痛みへ、それは
形を変え――自分を侵食する。むず痒く、甘い疼きが内股から
駆け上がって背筋を抜けていくような気がした。
ツナ、と彼は名前を呼びその髪に指を絡めた、触れる寸前まで
近づいた唇が頬をかすめ、額をなぞる。甘く試すような仕草に
ツナは背筋をくねらせた。細めた眼が、気持ちいいと言っている。
ずっと気になっていた、とディーノは言った。
「あいつが好きになったのは、どんな奴なんだろう・・って」
耳たぶに触れる息にツナは思わず吐息を漏らした。彼の声が
自分を雁字搦めにするようだ。
「・・ぁ、ディーノ・・先輩」
ツナの声に彼は、ディーノでいいよ、と肩を抱いた。
抱きしめられているのに、抱かれているくらいに身体が熱い。
「それが俺のものになったら、あいつがどんなに悔しがるかなって」
ディーノの言葉にツナの視界が一瞬、暗転した。言葉を反芻するより
早く何かがはじけ飛ぶ音がした。引き裂かれたシャツからボタンが二三個
床に跳ね、転がっていった。
「あ、ディーノ先輩・・、痛っ・・!」
素早くツナの両手を取ると、ディーノは彼のネクタイでその手首を
ぐるぐると巻いた。頭を打たないように彼を机の上に寝かすと、
ズボンが半分ずり落ちた両足がばたばたと宙を蹴った。抵抗している
が力が及ばないといったところか。ディーノはツナのズボンを下着ごと
剥ぎ取るとむき出しになった下腹部に舌を寄せた。しっとりと濡れたそこは
両手で支えて舐めると呼応するように立ち上がってくる。
「・・や、やだ・・やめて――」
ください、と懇願するより早く、弾けてしまいツナはディーノに飲み込まれた
まま泣き出した。号泣に近いそれに、さすがのディーノも慌ててツナの
両足から顔を離した。しゃっくりを上げるツナの両目は腫れ上がり、息も
出来ないくらい嗚咽を漏らしていた。
「・・もしかして、初めてだったのか?」
ディーノはツナの手首のネクタイを解き、肩を抱き上げて
起こした。泣き方を見る限りでは、快楽より衝撃の方が大きいように
見えた。
「・・は、初めて・・って」
鼻水をすすりながら、ツナは俯いた。ボタンの無いシャツ以外何も
身につけていない――その身体でディーノの腕の中にいる。それだけでも
体の奥が火照ってしまうのだ。さっきあんな――信じられないようなことを
されたというのに。
悪い、とディーノは謝った。まさか、初めてだとは思わなかったのだ。
てっきり――
「・・あいつと付き合っているのか思って、さ」
「付き合ってなんて・・」
ぶんぶんと頸を振る姿も健気だ。ディーノは胸の奥が苦しくなった。
日本で悠々と暮らす従兄弟をちょっとからかってやろうと思っただけ・・
――後継者争いとは関係のないところにいられる血族の、思い人が
一体どんな人間か知りたかったのだ。ついでに味見程度、試すつもりが
本当に泣かせてしまうとは思いもよらなかった。ディーノはため
息を落とすと、ツナの額にキスをした。
「・・ごめんな」
あれほど自慢していた最愛の人に、手をつけていないとは
想像もしていなかった。
ツナは自分の腕の中で泣き続けている――ディーノはその髪を何度も
梳きながら後悔した。これではまるで――
――俺がツナに、惚れているみたいじゃないか。
自分にしがみ付いて泣いているツナを見ると、それがあながち
思い込みではないような気がして、ディーノは優しくツナの性器を
なぞった。先程乱暴に飲み込んでしまった場所だった。
「・・ん、あっ・・ディーノ先輩・・っ」
ぴくりと仰け反る背中は、刺激に敏感に反応する。初めてならば
あまりいじってはいけないのだろうが、ディーノの指の動きにツナは
腰をよじらせた――気持ちがいいのだ、絶え絶えに喘ぐ姿も可愛い。
短く息を漏らすツナの下肢を開くと、ディーノは机から下り膝をついて
ツナの下腹部を舐めた。抉るように竿をなぞると、ツナは仰け反りながら
ディーノの口腔に射精した。二度目ともなると体力もそがれるのか、彼は
ぐったりと机に倒れこんだ。ディーノは口の端を拭うと、力の入らない
ツナを持ち上げて、自分の膝の上に乗せた。立て続けに達した衝撃で、茶色い瞳も
空ろな視線を残していた。
ツナ、とディーノは尋ねた。無理矢理組み倒して出させておいて今更とも
言える質問だったが。
「――全部貰って、いいか?」
彼の返事は無い。茶色い瞳はただ涙を零すばかりだ。ディーノは珍しく
焦った。嫌がっているところを無理矢理ならこれ以上進めてはいけないと
分かっている――分かっているが、自分の息子がどうしてもそうしたいと
主張して下腹部が切ない。
ディーノはツナの肩を寄せて抱きしめた。透き通るような肌が震えている。
好きでもない相手に抱かれて嬉しいはずなどない。ディーノはもう一度赤らんだ
耳たぶに尋ねた。
「・・獄寺のことが、好きなのか?」
腕の中のツナは頸を振る。ディーノは慌てて、彼を離して聞き返した。
とても大切なことを一番後回しにしていたのだ。
「・・誰か、好きな奴がいるのか?」
ツナは頸を振った――それがイエスかノーか、ディーノには分からなく
なった。彼はずっと自分のシャツを握り締めている――離さないでと言わん
ばかりに。
「・・ディーノ先輩だって・・好きなひと、が・・」
小さな返事にディーノははっとした。先程のやりとりを聞かれていたと
初めて気づいたのだ。「好きな人がいる」は告白の断り文句に過ぎなかった
がツナがそれを気にしているとは思いもよらなかった。
――好きなひと、か・・
ディーノは苦笑して、ツナの身体を抱き寄せた。嫌がられても泣かれても
もう止めるつもりもない、気づいたことを――分からせてやるまでだった。
「・・好きな人なら――いるよ」
ディーノの言葉にツナは顔を上げた。眩いばかりの微笑が自分を
見下ろしている。先程までの荒々しさと、今自分を抱きとめる優しさに彼は
どちらがディーノなのか分からなくなった。否――そのどちらも
彼自身であると気づいた。自分は貴公子のような男の一面
しか見ていなかったのだ。衝撃のあまり泣き出した自分を
気遣うディーノはむしろ、後悔しているように見えた。口止めといい
交わしたキスさえ嬉しかった――そんな自分に気づいてしまうことが
一番怖かった。
今自分は、親友の彼にさえ言えないようなことを
ディーノとしているのだ。
「・・ディーノ先輩、俺――」
――本当は言えない、嬉しいなんて。
ディーノ先輩じゃなきゃ、駄目だなんて言えない。
弱弱しく頸を振るツナを抱き上げると、ディーノはその下肢の
奥にゆっくりと指を這わせた。ツナが小さく声を上げるが、彼は
構わずその襞を指で開いていく。壊さないように、傷つけないように。
小刻みに呼吸を繰り返すツナが、ディーノ自身を必死に受け入れる頃には
既に陽は暮れ、月明かりがうっすらと教室を照らすようになってもなお
二人の結び合いは、続いた。
「・・悪いけど、頼むな」
携帯電話を切るとディーノは校門を出て迎えの車に
抱えて運んだツナを横たえた。すっかり精魂を使い果たして
しまった彼は、ディーノが動き終える頃には意識を失っていた。
――さすがに、やり過ぎたよな・・
見回りが無かったとは言え校内で、初めて言葉を交わす相手と
情を交わして自分も興奮していたのは確かだ。ただしそれ以上に
自分を受け入れたツナは扇情的だった。初めてということさえ忘れて
全部中に出してしまいそうになったほどだ。
ディーノは苦笑して、汗に濡れた茶色の髪を撫でた。家に着いたら
沸かしたての風呂に入れて、全部洗ってやろうと思った。ついでに
夕食もとってうちに泊まっていけばいいと思った。明日も、明後日も。
――返せっていっても、返さねーからな?
さんざん泣かせた目じりにキスをしてディーノは微笑を零した。
どんなに頼まれても、二度と例の悪童に彼を渡す気はない。
朱を含んだ柔らかい頬がぴくりと動くと、予感が確信に変わった。
彼が目を覚ましたら好きな人の話の続きをしようとディーノは
思った。自分の膝の上で寝込む天使のような少年に好きだと早く・・
伝えたかった。