それから何かが確実に変わった。白米を手の平に収めながら山本は
厨房にいるツナのことばかり考えた。濡れた唇、涙の伝う頬、自分を呼ぶ
掠れた声、柔らかい下肢の中。注ぎ込んでも流し込んでも届かないもの。
10年宙ぶらりんだった思いは性欲で吐しゃされている。それが間違った
吐き出し方だと知っている。
 浮ついた気持ちで握った寿司は、素直にその味に表れた。客足はだんだんに
遠のいた。もともと老舗というには歴史が浅く先代からの常連と、二代目の
女性ファンが客層の中心だった。シャリも、ネタも何一つ変わらないのに味に
勢いがなくなった、と常連は言った。それまで寿司一本の人生だったが今は違う。
ツナがいる、と山本は思ったがそれは明らかに自分の寿司に対する情熱を損なわせた。
何かに溺れれば代わりに何かを失う。当たり前の報いを受けているだけだったが
次第に山本は苛立ちを募らせていった。
 寿司も握れない。ツナも上手く愛せない。自分は何をしているんだ。
――俺は一体何をしたいんだ。



 日曜の昼間というのに寿司処「竹」は空だった。一度離れた客は早々には
戻らない。山本は奥にいたツナの手を荒々しく引いて、カウンターに押し付けると
その唇を貪った。
「・・ちょっ・・山本・・お店――が」
 シャツの下から素肌をなぞる手にツナは腰を振るわせた。あきらかにそれと
分かる動きだった。
「開いてたって・・誰も入っちゃこねーよ」
 乱暴にボタンを外し、首の筋に沿うように舌を乗せる。昨日愛したばかりの肌を。
味見をするように。
「・・だめっだっ・・て」
 ズボンを下着ごとずり下ろされてツナは山本にしがみ付いた。下腹部の主張は十分
過ぎるほど勢いづいている。



「・・ちゃんと抱いて――お願い」



 涙声のツナに、山本ははっとした。両腕を首に回してすすり泣いている。脱ぎかけた
シャツから覗く肌は震えている。
 山本はそのままツナを抱き上げて階段を上った。敷いたままの布団にツナを下ろすと
見上げる瞳は赦しを請うように濡れていた。



「・・俺は、此処に来ちゃ・・いけなかったね」



 山本はせり上がった言葉を喉に落とした。寿司が握れなくなった。店は流行らない。
遅かれ早かれ「竹」は潰れるだろう。天国の親父は嘆くだろうか、分からない。
でも――それはツナのせいじゃない。俺が――


「・・ごめん」
 ごめんな、と繰り返して山本は泣きじゃくるツナの髪を撫でた。額にキスをして
その隣に横たわり、抱きしめる。壊さないように。
 山本はツナと出会ってからの日々を思い出した。愛欲と禁断の日々。思い出と交錯する
現在。この場所を選んでくれた理由を尋ねることが出来なかった。自分のいない間にツナ
が過ごした十年を。その中で彼が確実に失ったものを。



 慟哭する背中に手を回して山本はひたすらツナの髪を撫で続けた。すすり泣く声は
陽が落ちるまで続いた。やがてツナは彼の腕の中で安らかな寝息を立てた。腫れ上がった
瞼を持つ聖母のような寝顔だった。