予想外の状況にツナはパニックに陥っていた。
気がついたときには、自分は獄寺の腕の中にいたのだ。
いつも二人で帰る道。閑静な住宅街の真ん中で。
『 嘘じゃない 』
「・・どうしよう」
大げさにため息をついて、ツナは
空を仰いだ。
雲ひとつない晴天だというのに
その心は晴れない。
――受け取るんじゃ、なかったな。
ツナはその右手にあるものを見下ろすと、
自嘲気味に笑い、己の押しに対する弱さを呪った。
それは、淡いピンク色の背景に白い水玉が
可憐に点在する封筒で――
俗にいうラブレターというやつだった。
むろん宛名はツナではなく、差出人の名前も
ツナは知らない。
ことの発端は今から15分程前、授業終了後に遡る。
「急に呼び出してごめんなさい」
名前も知らない女子――おそらくは同学年だろうが、
に『放課後、裏庭に来て欲しい』と言われる。
健全な男子なら、この先起こるであろうイベントに
胸躍らせたり、そのごく一部は悩んだりするのだが
当のツナはさっぱり見当がつかず、かといって断ることも出来ないため
律儀に呼び出しに応じていた。
「これ、獄寺君に渡してほしいんです」
その少女はおもむろに一通の手紙を差し出した。
ツナはその可愛らしい絵柄を凝視し、ようやく
少女の意図を理解する。
「沢田君・・獄寺君と仲良いから」
――仲いいっていうのかな?
10代目相続騒動以来、一方的に懐かれている気はするものの
自分のことに必要以上に親身になる獄寺の姿に
正直ツナは好感を覚えていた。
好感、といっても獄寺がツナに抱くそれとは180度異なる――
なんだか友達ができたみたい・・というささやかな喜びではあったが。
――こういうのって、とツナは前置きし
「自分で渡したほうがいいと思うよ」
「・・受け取ってもらえなくて泣いてる子、何人も見ました」
「・・・」
その通りで、ツナには返す言葉がなかった。
ツナが獄寺と行動を共にする限りでは、
獄寺が呼び出しに応じたことは一度足りとて無いし、
彼は何度も、登校時目の前に差し出されたラブレターを
無視して通り過ぎてきた。
その余りに無残な対応に、ラブレターを抱えたまま泣き出す子を
ツナも何人も見てきたのだ。
無論ツナとて獄寺の態度を静観していたわけではない。
ことあるごとに獄寺に苦言を呈してきたのだが
獄寺はツナの言うことには耳を傾けるものの
その素行は全く変わらなかった。
「受け取ってもらえるだけでいいんです」
手紙を渡すその手が小刻みに震えていて、ツナの胸は
微かに痛んだ。その少女とて無謀な頼みであるのは
分かっているのだ。獄寺が手紙を受け取る可能性も
それを読む可能性もほぼ皆無――だからこそ彼の
前で無残に散りたくはない。ツナに一縷の望みが
あるならそれに賭けたい・・それが両者にとって
迷惑であっても。
ツナはこころの中でため息をひとつ零し、手紙を
受けとった。
「ありがとう・・」
少女は感激のあまり涙を零し、ツナに心から礼を言って去っていく。
そうして、重い気分のツナだけが裏庭に取り残された。
「10代目、暮れるの早くなったっすね」
「うん・・」
辺りは陽が傾きかけていて、電柱の影がアスファルトに
遠く伸びている。二人の通学路である住宅街は普段人通り
が少ないらしく、コンクリートの塀が延々と続いている
以外は風に揺れる街路樹のざわめきしか聞こえなかった。
「獄寺君・・これ」
単刀直入――といってもいつどう切り出そうか
散々思巡したため、帰途の半ばごろにはなっていたのだが
ツナは意を決し、徐に手紙を取り出した。
「何すか?」
怪訝な眼差しで問う獄寺を見て、ツナは薄桃色の封筒が
鉛のように重くなっていくように感じた。
「頼まれたんだ、君に渡してくれって」
途端に獄寺の表情が険しくなる。
「・・いりません」
捨ててください、とにべもなく言う獄寺にツナは
手紙を握り締めたまま躊躇した。
――どうしよう・・
このまま手紙を渡さずに済ますことも出来る。
やっぱり無理だったと自分が少女に謝れば
済むことだ――と思いかけて、ツナははっとした。
手紙を渡す時の少女の手の震え――それは
受け渡しを通じてツナにも伝わった。
手段は確かに人任せなのかもしれないが、
脆く儚い思いを自分は託されたのだ。
それを無碍にすることはできない――たとえ
虚しく散ることになっても。
「真剣なんだ・・受け取ってあげて」
ツナが懇願するように見上げると、
獄寺は困惑を滲ませながら苦笑した。
「それを・・10代目が俺に渡すんすか?」
「え?」
「どこの馬の骨だか分からない女の手紙を
わざわざ10代目が俺に・・届けるんすね」
発言の意図が分からない――呆けた顔で
自分を見つめるツナから手紙を引き抜くと
獄寺はそれをツナの眼前でびりびりと破いた。
「・・・」
硬直したまま、宙を舞う紙片を見つめるツナを
獄寺は引き寄せる。
気づいたときには、ツナはすっぽりと獄寺の
腕の中に納まっていた。
「・・ご、獄寺君!?」
ツナが状況を飲み込むのに数秒、それから声を上げるのに
さらに数秒・・その間獄寺は無言でツナを抱きしめていた
――まるで許しを乞うかのように。
足元に散っている、託された想いの無残な結末
(ツナは依頼人がその場にいなくて心底ほっとした)と
獄寺の不可解な発言・・そして身動きひとつ取れない
現在の状況――混乱の余り、ツナの思考は停止した。
「・・俺だけじゃないんすよ、10代目のこと狙ってるの」
獄寺の口調は冷静を保ちつつも、必死さが滲み出ていた。
「でも俺だけを・・そばに置いて欲しいんです」
ゆっくりとツナを離し、正面に見据えたまま獄寺は続ける。
「10代目が・・好きです」
「・・・」
ツナはそのとき初めて獄寺の意図を理解した。
断り続けた呼び出しも、仲介された手紙を破棄したことも
すべて、恋する人がいるからことの行動なのだと。
そして獄寺が懸想していた相手は自分だったのだ。
「獄寺君・・俺」
言いかけてツナは息を飲んだ。
自分を真っ直ぐに見つめる青い灰色の瞳、その眼と同じ色の髪が
夕陽に紅く染まっている。憂いを含んだ瞳はことばを失うほど
美しく、夕闇が整った顔立ちに施す陰影はまるで彫刻のようだった。
こんな美しい人に真剣に迫られたら、大概の人間はそのまま
承諾してしまうだろう――とツナは思った。例えば、同性でなかったら。
「男だよ・・」
「知ってます」
平然と答える獄寺に、ツナは内心大きく動揺していた。
「俺・・獄寺君のこと・・」
「好きじゃなくてもいいですよ」
これから好きになってもらえばいいです、と獄寺は告げる。
大胆な宣戦布告にツナは思わず呟く。
「嘘・・」
「嘘じゃありません。本気です」
「・・・」
まずい、とツナは直感した。放っておけばこのまま
押し切られてしまいそうなのだ。さらにまずいことに、
そうなってもかまわないと一瞬感じてしまった自分がいる。
あの灰色の瞳で真剣に見つめられたとき、吸い込まれて
しまいそうだったのだ。常識も理性も覆して。
「じゃ、帰りましょうか?」
気持ちを告げてすっきりしたのか、獄寺は晴れ晴れとした
表情でツナを開放した。
そのまま笑顔で歩き出す獄寺にツナは「うん」と曖昧に返事を
した。そして激しく高鳴る胸の動悸を悟られないよう、少しだけ
距離を取って歩く。
――今はまだ、この思いを彼には知られたくなかった。
<終わり>