嘘
獄寺君は嘘が上手ではない。
誤魔化したいことがあると彼はいつも無理やり笑って、俺を煙に巻こうとする。
それは十年前からの彼の癖だけれど。
その強引な笑みに騙されるほど俺も馬鹿じゃないつもりだった。
「・・獄寺君、早く脱いで」
いらいらした口調で短く告げると、彼は驚いてやや大げさに両手を挙げた。
「どうされたんですか、十代目――」
「右腕、さっきからちょっと動きがおかしいよ。怪我したんでしょう?」
返事を遮って俺が指摘すると、彼は右肩をぐるぐると回して
「かすり傷ですよ」と食い下がった。
俺がその腕をぐいっと掴んで外側に捻ると、
さすがの彼も眉を歪めて苦痛をあらわにした。
「痛いです・・十代目」
「だから早く脱いでって言ったでしょう」
ようやくしぶしぶとジャケットを脱いだ彼のシャツには微かだが血が滲んでいた。
先ほどの銃撃で俺を庇ったとき、被弾した傷だった。
テキパキと彼の右袖を捲くり、まだ新しい傷口に消毒液を浸したガーゼを当てると、
彼は申し訳なさそうに頭を垂れた。
「十代目、手当ては本部でも・・」
「銃の傷は熱発するんでしょう?ドクターから聞いたよ」
火薬の匂いの染み付いた腕を包帯で巻いて固定すると、
俺は彼の右袖を戻し袖口のボタンを嵌めなおした。
細いけれどもしっかりと筋肉のついた腕は、いつでも俺の盾になることを厭わない。
「ありがとうございます、十代目」
彼はジャケットを羽織ると右腕を摩りながら、真摯に礼を述べた。
ぺこぺこと頭を下げる彼を見ていたら、なんだか無性に腹が立ってきた。
おそらく自分は心配だったのだ。
自分を庇った彼の傷がどんなもので、どれくらいの深さか。
銃弾で抉られた組織は壊死すると言うから、
たとえかすり傷でも手当てをしないのは危険だった。
傷口からばい菌が入れば、どんな些細な怪我も致命傷なのだ。
車に乗り込もうとした俺が狙撃された時、彼は一番に前線に立って俺を守った。
それは右腕として最良の判断だったかもしれない。
それでも俺は、無理やり車内に俺を押し込み、
そのまま車を発進させたことを恨んでいた。
取り残された彼のことが、どうしようもないくらいに心配だった。
「どうして自分だけ残ったの?」
俺は彼を睨みつけて詰問した。
待ち合わせ場所で再会するまで、彼のことが気になって仕方なかった。
爆破及び破壊工作のエキスパートに、心配なんて無縁なのかもしれないけれど、
俺の知らないところで彼に何かあったなら俺は、ボスをやめると思った。
たとえリボーンが許してくれなくても、彼のいないファミリーに用なんてない。
獄寺君は両目を見開いて、困惑気味に俺を見返した。
叱られるとは思っても見なかった、という表情だった。
「・・心配したんだよ」
だから、と続けて俺は口ごもった。
ちゃんと右腕としての働いた彼を責める道理なんてひとつもない。
子供じみた我儘をいうのは、十年経っても自分くらいだった。
理不尽に腹を立てている己が、今度は逆に嫌になってきた。
こんなことだから俺は、いつもリボーンから「平和ぼけするな」とどやされるのだろう。
「・・十代目がご無事で、安心しました」
彼はそう言うと晴れ渡ったような笑みを浮かべて、俺の両手を握った。
「ずっと心配していたんです。
十代目はちゃんと目的地に着かれただろうか。
途中妨害を受けなかっただろうか・・
十代目に何かあったらと思うと、気が狂いそうでした」
そう流れるように告げた蒼い瞳は、感謝と安堵を浮かべて微笑んでいた。
数え切れない程の爆薬と一度に持つ大きな手がそっと、俺の手を握る力を強める。
「一緒に逃げられなくてすいません。
追っ手を消すのに、十代目を巻き込んではいけないと思って・・」
正直に謝る彼の言葉に、俺は視界が霞みだして思わず下を向いた。
眼を開けていたら、泣いてしまいそうだった。
彼の判断は正確で妥当だった。
マフィアなんていう血生臭い生業に
いつまでも私情を挟んでいるのは俺だけかもしれなかった。
だから俺は、いつまでたってもダメツナなのかもしれない。
「命の続く限り俺は、十代目のお傍にいます。
だから・・一生、十代目を守らせて下さい。」
ボンゴレのボスを襲名する前夜、彼が俺に膝まずいて誓った台詞だった。
その言葉に頷いてから三年、俺は一度も後悔しなかった。
・・彼は後悔しただろうか。こんな子供じみた思慮の浅いボスをもって、
十年間護衛や身の回りの世話をし続けて。
嫌になったり、呆れたりしたことは、なかったのだろうか?
「・・ごめんね。俺が、悪い・・」
涙を拭こうにも、両手は彼が握っていて離せない。
彼は顔を近づけると、重力にしたがって頬を駆け抜けていく涙に優しく口付けを落とした。
温かくて柔らかい舌がゆっくりと、雫を舐め取っていく。
まるで、勝手にヒステリーを起こした俺をなだめるみたいに。
「何一つ、十代目のされることに間違いはありません」
そう言いながらも続く雨のような彼のキスが、口元に降りてきて・・
何か言いかけた俺の唇を吐いた息ごと封じ込めた。
その時なんて言おうとしたのか、俺にも分からなかった。
ごめんなさいとも、ありがとうとも違う、甘酸っぱい気持ちが流れ込んできて
俺は彼と舌を交わらせながら泣いた。
出会って十年、彼は俺を信じ続けてくれた。
俺が至上のボスになると、いつか自分が右腕と呼ばれる日が来ると。
イタリアに渡って三年、半人前のできそこないのボスを彼はずっと影で支えてくれた。
俺を十代目と呼ぶ声も、俺を抱きしめる火薬と硝煙の匂いのする右腕も何一つ変わらない。
俺の胸を締め付ける、甘くて苦いキスも、ほんの少しニコチンの味が強くなっただけだった。
十年ずっと、俺は変わらずダメツナだったけれど。
それでも、君が呆れず疑わずに傍にいてくれたこと
・・それがただ一つ誇れる俺にとっての真実。
一夜にしてすべてが嘘になる
虚偽と欺瞞の溢れる世界で唯一俺が信じている、
たった一つの、真実。