[ 夕暮れ ]
表札に名前を入れると、ツナは恥ずかしそうに
笑った。『山本綱吉』なんておかしいよね・・と言うので
俺は「え?いい名前じゃん」と言った。
「・・だって俺、男だし」
「かんけーねーだろ」
そもそもツナであれば、男とか女とかさえ関係がない。
それは初めて会ったときすでに乗り越えてしまっていた。
「・・でも」
ツナは俯いて、「ここ、山本の代で終わっちゃうから」と
言った。愛し合ったって何も生み出せないことを彼なりに
気にしているらしい。・・俺はツナの細い肩とか腰とか
朝まで恥ずかしがってるところも全部、好きなんだけどな。
「いーんじゃねーの?店が俺で尽きても」
もともと、ツナがそばにいてくれるなら家業が何でも
野球をやめて継ぐつもりだった。跡取りを心配していた親父も
俺が二代目を全うすれば本望だろう。
「・・ツナと二人でやれるのが好きなんだ」
俺はツナの肩をそっと抱いた。
「――だから、毎日こうやって店閉めような・・?」
最後の暖簾を下ろしても、ずっと。
無言で頷いたツナの頬に、キスをした。家の外でしたので
ツナはちょっと怒った(恥ずかしいから)。俺はわざと遠くを
見てやり過ごした。あんまり可愛いことを言うから、ところ
構わず可愛がりたくなってしまう。
二人で夕陽を見送って、星空を眺めて、朝日を仰いで。
変わらない毎日を、小さな喜びを積み重ねて繰り返して
いけるのなら、俺にはもう、何も望むことがないんだ。
『・・山本、おはよう』
ためらいがちな奥さんが、声をかけてくれるまで
狸寝入りをする――幸せな、朝。
汗をかいて寿司を握り、ときおりツナの様子を覗き見る、昼。
一緒に風呂に入ろうと時々わがままを言い、そのまま抱きしめて
連れて行く、夜。
愛し合うことを確かめなくても、生活に溢れるのはいつだって
――伸ばせば手の届く、はにかんだ笑顔だった。
震える肩を抱いて強く祈る、このままずっと二人で夕陽を
眺められますように。
眼が覚めたとき彼の微笑みが、すぐそこにあるように。
俺の右手にツナの左手がそっと・・重なった。
***
表札に名前を入れたい、と彼は言った。俺を家族として
迎えたいと。
男同士だから結婚は出来ないし、法律的には赤の他人
になるけれど、俺と山本の関係を山本の親父さんは笑って
許してくれた。ずっと前から気づいていたようだった。
「武と店を頼む」と言われて俺は頷いた。山本の足を
引っ張ることだけはしたくなくて、俺は彼の手伝いに
没頭した。男二人で仕切る色気のない寿司屋は、何故か
千客万来の大繁盛で、二代目板長は腕もよく話も上手いと
大評判だった。きっと山本自身のファンもたくさん
いたんじゃないかと思う・・だからこの店が
彼の代で終わってしまう(彼は俺以外とは
結婚しないと明言した)ことが惜しかった。
そんな最中の表札の新調だった。
武の横に自分の名前が入ると、何だか気恥ずかしくなった。
山本の奥さんになった気分・・だった。
『山本綱吉』なんておかしいよね、と言うと彼は
いい名前、と答えた。お世辞でも、嬉しい。
でも俺は正直気になっていた。本当に俺なんかで
いいのだろうか――もっと美人で気の利く奥さんが
きっとたくさんいるのに彼は――どうして俺なんかを
選んでくれたのだろう。
男だから、と言うと彼は関係ないという。それは
俺にとっても関係が無いことだったけど・・
「ここ、山本の代で終わっちゃうから」
それが一番心配だった。俺がここに来たせいで
山本の店の未来がなくなることが。
俺は跡継ぎを生めないから・・
いいんじゃねぇの、と彼は言った。夕陽の当たる横顔が
眩しくて俺は、俯いた。彼に気を使わせてしまったのでは
ないか・・そう思うと居たたまれなかった。
「・・ツナと二人でやれるのが好きなんだ」
言葉が心臓を貫いて俺は、返事を失った。
どんな形でもいいからそばにいたいと
ずっと願っていたから――だから二人で、と
言われたことが泣き出しそうなくらい嬉しかった。
「――だから、毎日こうやって店閉めような・・?」
何も言葉に出来なくて頷いたら彼の唇が頬に当たった。
人通りのまばらな道でも恥ずかしいので、俺は頬を
膨らませた。ここで許してしまうと、ずっと彼から
玄関先でキスをされてしまう。
幸せすぎて苦しいことがあるなんて知らなかった
山本に、会うまでは。こんなに胸が締め付けられて
息も出来ないほど――嬉しいことが、あるなんて。
指輪も新しい家もいらない、君の人生のそばにいさせて。
――プロポーズされた時に答えた。俺の願いだった。
当たり前のように君がいて、一緒にご飯を食べて寝て
たまに・・恥ずかしいこともして。でも。嬉しいことも
悲しいことも君と共有したい。力になれなくてもいい、いつか
俺に飽きてもいいから。
だから――
この店の最後の暖簾も・・君と一緒に下ろしたい。
胸の奥で願って俺を抱きしめる彼の右手に
そっと・・左手を添えた。
沈みゆく太陽の輝きに永遠を誓った
――幸せは望むより早く傍らにあった。
初めて出会ったときから、ずっと。
ラーメンシリーズの最終話として毎度!さんに捧げます!
二人を愛してくださり、ありがとうございました・・!!