[  My Heart is Yours 1 ]




大きな黒い犬がいなくなったあの日
その犬と同じ眼をした少年が俺の家にやってきた。



[ My Heart is Yours ]



「おはようございます!10代目」
 俺の朝は、飛び込んでくる彼の跳ねるような声から始まる。
たしかに毎日布団に乗っかられて起こされていたものの
犬と人間では身体の大きさも重さも違う
「重いよ・・獄寺君」

 彼はスキンシップのつもりでも、端から見れば
押し倒されているのは俺で、起き上がろうにも
起きられない。
「はいっ、すいません。10代目!」
 いつも返事だけは言い彼は、ぱっと飛びおりると
俺に右手を差し出した。彼と手を繋いで体を起こすと
眼を合わせて彼が、にっこりと笑った。

「ご飯はパンとご飯どちらにしますか?」
「じゃあ・・パンで」

 それを聞くと飛び上がるようにベッドを後にして
彼は一階に降りていく。俺はため息をついてパジャマを
脱ぎ、制服の袖を通した。

 彼が俺の部屋に居つくようになってから
彼が体ごと飛び込んでくるモーニングコールと
過剰なまでの身の回りの世話は、毎朝の恒例行事だった。

二週間前、彼のことを「イタリアからの留学生なんだ」
という・・俺の必死の嘘を単純に信じた母親は
じゃあ日本料理をご馳走しなくちゃね、のんきに笑い
この奇妙な二人暮らしを許してくれた。

 当初、獄寺君は俺の部屋の前の廊下で寝る、と
言って聞かなかったのだ。母親は俺の部屋の隣の部屋を用意
したが彼はそれも拒んだ。犬だった彼の流儀では、ご主人様の
寝室をお守りするのが自分の役目だと言う。

――いったいどういう環境で育ってきたのだろう・・

 結局彼は俺のベッドの下でマットを引き、そこを寝床に
することに決めた。俺より背の高い彼が横になると、もともと
狭い俺の部屋は足の踏み場もなくなってしまう。
 
「だったら俺、一番に起きて10代目を起こしますから!」

 そう言ったきり彼は俺の目覚まし代わりになって、俺は彼が来てから
遅刻をしなくなった。
 ちょっと重くてうるさいけど、彼はなくてはならない
――俺の生活の一部になっていた。



「10代目、学校に行きましょう」
 どこから調達してきたのか、彼は俺が通う中学の
制服を入手していた。さらに驚いたことに彼は帰国子女と
して編入の手続きもしっかり済ませていた。

「こういうことは慣れてますから!」
 俺がその件について尋ねると、彼は照れたように
笑った。俺と一緒の学校に通えるのが嬉しくて
たまらないようだった。

――ここに来るまで・・いろいろあったのかな。  

 俺は彼の過去を知らない。でも、俺を10代目と
呼ぶのだから・・彼には以前に9人の主人がいたことに
なる。
――9代目の主人は確か・・イタリア人だったんだよね。
 そのせいか彼は、イタリア語はもとより英語やドイツ語
フランス語だって流暢に話すことが出来た。また日本語は
こちらに来てから覚えたと聞いて、俺はとても驚いた。

――獄寺君って本当は・・とっても頭がいいんじゃないのかな。

 俺は、通学路ではきまって車道側を歩く彼の横顔を見た。
彼の銀色の髪が朝焼けに反射して眩しい。
 通った鼻筋、薄い唇、蒼い瞳・・俺の頭ひとつ分高い
身長と、すらりと伸びた細い手足。

 ときどき彼があの真っ黒な犬だったってことを
俺は忘れそうになる。確かに性格は犬のままだけど
見た目は英語の教科書に出てくる外国人みたいで
通りがかりの高校生やクラスメイトの女子が振り向くの
分かる気がする。

――獄寺君って・・きれいだよなぁ。

 同性に抱く感想としては間違っているけれど。
彼に対する形容詞で一番ふさわしいのは綺麗、なんだろう。
 ぽかんとしたまま見上げる俺に気がつくと、
彼は下を向いてにっこりと微笑んだ。

 そのときふいに心臓が、音を立てて鳴った。
どうしてこんなにどきどきするのか俺にはまだ、分からなかった。